■引退までの経緯■ |
4月1日、大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた。この処分について「全部がおかしすぎる。受け入れなかったら、これ以上重い処分にすると、理事長から言われた」とコメントした。今後、相撲協会を提訴する見通しとされたが、4月5日に引退届を提出し受理された。 |
■大相撲・将司(深浦町出身)が新入幕■ |
陸奥新報(2008/7/1) |
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大相撲の将司関=深浦町出身、本名小野正仁=が新入幕を果たした。先場所9勝6敗の好成績を挙げ、東十両三枚目からの昇進。実家の深浦町では家族らが喜びに沸き、名古屋場所での活躍に期待を寄せた。
「まだ本人からは連絡はありませんが、先月26日の風合瀬地区の激励会で『もしかしたら』と顔をほころばせていたので、実現してよかったです」。
深浦町風合瀬の将司関の実家では母一美さん(49)が、新入幕を祝福する知人らからの電話の応対に追われた。父正夫さん(55)が出稼ぎ中のため、一人留守を守りながら、息子の出世を手放しで喜んでいる。
将司関は、先場所初日直前の5月4日、かわいい盛りの長男昴親ちゃん(4つ)を不慮の事故で失うという不幸に見舞われた。場所直前ということもあり、悲報を聞き、駆けつけたものの、自宅にはわずか数時間しか滞在できず。無言の息子に新入幕昇進を誓い、後ろ髪を引かれる思いですぐに帰京した。人知れない深い悲しみを抱え、「天国の息子に強い父親の姿を見せたい」と、東十両三枚目という入幕目前の位置で場所に臨み、9勝6敗と勝ち越した。30日発表の番付で新入幕昇進を見事に決め、息子との約束を果たした。一美さんは「孫の49日も終わり、気持ちを入れ替えて頑張ってほしい、けがだけが心配です」と息子をいたわった。 |
■亡き愛息にささぐ白星(将司)■ |
東奥日報ちから水(2008/05/25付) |
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将司が自己最高位の東十両3枚目で勝ち越しを決め、来場所の新入幕のチャンスを引き寄せた。貴重な8個目の白星を挙げても笑顔はない。今場所直前、長男の昂親君(四つ)を不慮の事故で失った。「しんどかった」。23歳は軽く息をつき、ポツリと心情を吐露した。
出げいこで積極的に関取衆の胸を借り、今場所に向けて意気込んでいた5日、事故の連絡を受けた。急いで入院先の青森市内の病院に向かったが、長男の容体は悪化する一方。3日後に息を引き取った。初日前日に火葬を済ませて帰京し土俵に臨んだ。
連日、首に数珠をかけて場所入り。自身の出番を待つ間、肌身離さず身につけ、手を合わせて土俵へ向かった。制限時間いっばいになると、花道奥に視線を注ぐ。「ガキのために」。付け人の胸に抱かせた昂親君の遺影を目に焼き付け、闘志に変えた。
「何も考えないで落ち着いて取る」ことを心掛けたが、事情を知らない周囲から期待の声が降りかかる。「応援してくれるのはうれしいけれど…」。悲しみと闘いながら勝負に挑んだ。
勝ち越しを掛けたこの日の一番。立ち合い、もろ手で霧の若の出足を止めて右上手を取る。相手の動きを誘い上手投げで仕留めた。
愛息に自分が勝つ姿を見せるのが、何よりの励みだった。だが、それができない。今場所は、無念が将司を支えてきた。
新入幕の可能性を高めるためには、手秋楽の一番での自星が必須。「相撲を取って勝てば、(昂親が)喜んでくれると思う」。息子への愛情は天にも届いたはずだ。 |
■将司 勝って恩返し■(深浦対決 先輩安壮富士を破る) |
東奥日報(2005/09/22付) |
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深浦町出身関取の対戦が実現した。新十両の将司が8歳年上の安壮富士を一気の出足で押し出し。初顔合わせの一番は、後輩に軍配が上がった。立ち会い、将司は頭を下げて懐に踏み込んだ。左で手繰ろうとする安壮富士に対し、間髪を入れず左右の突き押し。上体の起きあがった安壮富士はたまらず土俵を割った。
「勝ったー!」と素直に喜んだ将司。同郷の先輩との対戦に、取り組み前は「勝っても負けても複雑な気持ち」だったが、「勝って恩返しするつもり」で土俵に上がったという。
一方で安壮富士は「ちきしょう やられた」と、黒星にも同郷の若手の台頭に目を細めた。将司が初土俵を踏んだ2003年初場所は、幕下8枚目で関取の座を狙っていた。今では、ともに十両力士として相撲を盛り上げている。反撃の機会すら与えられなかった一番も、「年を食ったかなー」と笑い飛ばした。 |
■勝ち越して昇進を(東幕下7枚目 将司)■ |
東奥日報「あすなろ桟敷」(2005/03/14付) |
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先場所、6勝1負の好成績を上げ、十両が見える位置まで一気に番付を上げてきた将司(20)=本名小野正仁(深浦町出身/入間川部屋)。低い態勢で当たり、いったん押し込まれた物の、相手の右を手繰るようにして体を入れ替え形勢が逆転。下から突き上げるように押し出した。
動きがいいように見えたが、本人は「腰が痛くて、全然けいこが出来なかった。休場しようかと思ったぐらい。一番相撲を取るまではビクビクしてた」と苦笑い。
「腰は針や電気治療をしているが、相撲を取ってる分には気にならない。とりあえず今場所は勝ち越して、次に十両昇進を狙いたい」と気合を入れていた。 |
・2003年3月場所デビュー。いきなり序の口優勝と勢いづいています。
・相撲を始めたのが小学校1年生で、そのころから横綱の風格がありました。中学校は越境入学で海鵬や安美錦と安壮兄弟を育てた「大戸瀬中学校」へ進学。大らかで負けず嫌いな性格は、まさにプロ向き。兄弟は4人。一番下だが、一番でかい。 深浦町3人目の関取を目指し、がんばってほしい。 |