| 本名 |
熊谷 涼至 (くまがい りょうじ) / 昭和48年 04月17日生 |
 |
| 出身 |
青森県西津軽郡深浦町 / (鯵ヶ沢高校/日本大学) |
| 体格 |
身長:177cm/体重:120kg |
| 部屋 |
八角部屋(師匠:横綱 北勝海) |
| 今場所 |
| 初日 |
2日 |
3日 |
4日 |
5日 |
6日 |
7日 |
中日 |
●
叩き込み
益荒海 |
○
引き落し
霧の若 |
●
上手投げ
松谷 |
●
押し出し
普天王 |
●
突き出し
剣武 |
○
突き落し
星風 |
●
送り倒し
寶智山 |
●
小手投げ
山本山 |
| 9日 |
10日 |
11日 |
12日 |
13日 |
14日 |
千秋楽 |
3勝12敗 |
●
寄り倒し
若天狼 |
●
切り返し
安壮富士 |
●
送り出し
旭南海 |
●
引き落とし
豊桜 |
●
寄り倒し
土佐ノ海 |
●
小手投げ
春日王 |
○
掬い投げ
将司 |
|
| 応援 |
・怪我に泣き、何回もくじけそうになった14年間、よくここまで精進し努力しました。長い間おつかれでした。 りょうじぁ!! |
| 戦歴 |
| 年 |
1月 |
3月 |
5月 |
7月 |
9月 |
11月 |
| 22 |
西十両11 |
東十両8 |
西十両14 |
西幕下10 |
|
|
| 8勝7敗 |
4勝11敗 |
3勝12敗 |
引退 |
|
|
| 21 |
西十両8 |
西十両4 |
西十両11 |
東十両9 |
東十両11 |
東十両4 |
| 8勝7敗 |
4勝11敗 |
8勝7敗 |
7勝8敗 |
9勝6敗 |
4勝11敗 |
| 20 |
西前頭16 |
西前頭14 |
東十両5 |
東十両7 |
西十両13 |
東十両5 |
| 8勝7敗 |
4勝11敗 |
6勝9敗 |
5勝10敗 |
8勝7敗 |
5勝10敗 |
| 19 |
西十両6 |
東十両2 |
東十両5 |
東前頭15 |
西前頭6 |
西前頭14 |
| 9勝6敗 |
6勝9敗 |
9勝6敗 |
10勝5敗 |
4勝11敗 |
6勝9敗 |
| 18 |
西十両7 |
東十両8 |
東十両7 |
西十両8 |
東十両6 |
西十両9 |
| 7勝8敗 |
8勝7敗 |
7勝8敗 |
8勝7敗 |
6勝9敗 |
8勝7敗 |
| 17 |
西前頭6 |
西前頭10 |
東前頭4 |
東前頭10 |
西前頭07 |
西十両4 |
| 5勝10敗 |
11勝4敗 |
4勝11敗 |
8勝7敗 |
全休 |
5勝10敗 |
| 16 |
西前頭15 |
西前頭16 |
東前頭12 |
西前頭08 |
西前頭09 |
東前頭13 |
| 7勝8敗 |
9勝6敗 |
9勝6敗 |
7勝8敗 |
7勝8敗 |
10勝5敗 |
| 15 |
東前頭05 |
西前頭05 |
東前頭04 |
東前頭08 |
西前頭10 |
東十両01 |
| 7勝8敗 |
8勝7敗 |
5勝10敗 |
6勝9敗 |
5勝10敗 |
8勝7敗 |
| 14 |
東前頭03 |
西前頭08 |
西前頭08 |
西前頭04 |
東前頭08 |
東前頭08 |
| 5勝10敗 |
7勝8敗 |
8勝7敗 |
5勝10敗 |
全休 |
8勝7敗 |
| 13 |
西前頭03 |
東前頭09 |
東前頭06 |
西前頭10 |
東前頭04 |
西小結 |
| 4勝11敗 |
8勝7敗 |
6勝9敗 |
9勝6敗 |
10勝5敗 |
5勝10敗 |
| 12 |
東前頭09 |
西前頭13 |
東前頭05 |
東前頭06 |
東前頭08 |
東前頭09 |
| 6勝9敗 |
8勝7敗 |
7勝8敗 |
7勝8敗 |
7勝8敗 |
8勝7敗 |
| 11 |
西前頭09 |
西前頭12 |
東前頭10 |
西前頭05 |
東前頭09 |
東前頭11 |
| 6勝9敗 |
8勝7敗 |
8勝7敗 |
5勝10敗 |
7勝8敗 |
8勝7敗 |
| 10 |
東十両03 |
西十両01 |
東前頭16 |
東前頭14 |
東前頭10 |
西前頭02 |
| 9勝6敗 |
8勝7敗 |
8勝7敗 |
8勝7敗 |
8勝7敗 |
3勝12敗 |
| 09 |
西幕下08 |
東幕下03 |
東十両13 |
東十両09 |
西十両12 |
東十両06 |
| 5勝2敗 |
6勝1敗 |
9勝6敗 |
6勝9敗 |
9勝6敗 |
9勝6敗 |
| 08 |
西幕下60 |
西幕下08 |
西幕下02 |
西幕下14 |
西幕下09 |
東幕下16 |
| 7勝0敗 |
5勝2敗 |
2勝5敗 |
4勝3敗 |
3勝4敗 |
4勝3敗 |
| 年 |
1月 |
3月 |
5月 |
7月 |
9月 |
11月 |
| 西幕下: |
平成22年07月 (引退:年寄「谷川」襲名) |
|
|
| 東十両: |
平成20年05月 |
東前頭: |
平成19年07月 |
| 西十両: |
平成17年11月 |
西前頭: |
平成17年09月(全休) |
| 東前頭: |
平成17年03月 (技能賞:2回目) |
再入幕: |
平成16年01月 |
| 再十両: |
平成15年11月 |
西小結: |
平成13年11月 |
| 西前頭: |
平成13年09月 (技能賞:1回目) |
新入幕: |
平成10年05月 |
| 新十両: |
平成09年05月 |
初土俵: |
平成08年01月(幕下付出し)
幕下優勝:1回 |
|
| 通算 |
| 幕内49場所 「最高位=西小結」 |
生涯戦歴 : 569勝625敗32休(86場所)
幕内戦歴 : 326勝377敗32休(49場所) |
|
| 得意技 |
|
| 技 |
★ 過去6場所の平均だよー!!★
| No |
決まり手 |
回数 |
No |
決まり手 |
回数 |
| 1 |
引き落とし |
6回 |
3 |
下手投げ |
4回 |
| 1 |
突き落とし |
6回 |
|
|
|
|
| 参考 |
・海鵬の名は実家の持つ漁船「海鵬丸」からとったもの。
・軽量だが、立ち合い低く当たって左差しで食い付く取り口で、動きの速さを利しての突き押しも見せる。
| ■解雇処分の経緯■ |
|
| 2011年の大相撲八百長問題では、現役中に八百長相撲に関与したことを特別認定調査委員会に認められた。4月1日、相撲協会の発表により退職勧告を受けたが、引退届提出期限の4月5日夕方に記者会見を開き、「14年間の現役生活で一度たりとも八百長相撲を取ったことはない」、「私は自分の信念を貫き通し、退職届を提出しない。解雇されるかもしれないが、自らの気持ちに背いてまで退職勧告に従えない」と述べて、相撲界を去る意思がないことを涙ながらに発表した。師匠の八角親方は「俺のことは気にせず、自分の思っていることをやりなさい」と語っている。4月6日、勧告拒否により解雇処分となった。 |
| ■元小結・海鵬関が引退(年寄「谷川」を襲名)■ |
東奥日報(2010/07/20付) |
日本相撲協会は名古屋場所8日目の18日、元小結で西幕下10枚目の海鵬関(37)=本名熊谷涼至、深浦町出身、八角部屋=の現役引退を発表した。同日の理事会で年寄「谷川」の襲名を承認した。今後は八角部屋付きの親方として後進の指導に当たる。
海鵬関は日大相撲部から1996年初場所に幕下付け出しで初土俵。98年夏場所に新入幕し、2001年九州場所で新小結となった。小兵ながら出し投げ、内掛けなど多彩な技で観客を沸かせて、技能賞を2回受賞した。幕内に通算49場所在位したが、今場所から幕下に転落していた。 |
| ▼37歳小兵「体カの限界」(今場所前に心は決まっていた) |
さまざまな投げ技を繰り出し、業師として名をはせた37歳の元小結海鵬関。引退について「寂しい気持ちでいっばい」と胸の内を明かした。
日本大学卒業後、1996年初場所に幕下付け出しデビュー。だがアマ時代とは、力や技でレベルが違った。身長177cm、体重120kg未満の小さな体は、いとも簡単に吹き飛ばされることもあった。「これからやっていけるのか」と自信をなくし、不安に駆られたという。
折れかけた心を支えたのが、けいこだった。番数を増やし、自分を追い込み、精進した。
そんな努力が実を結び、翌年夏場所に十両昇進。父が所有する漁船にあやかり、しこ名を名字の熊谷から「海鵬」に改め、13年という長い関取人生を歩み出した。
もっとも思い出に残っているのは、2001年秋場所の横綱武蔵丸関戦だ。自分より100kg以上重い巨体を鮮やかな内掛けでなぎ倒した。「初めての結びの一番で、初の金星。夢かな、と思うほどうれしかった。あのときの国技館の大歓声は、まだ耳に残っている」と大一番を振り返った。
しかし小兵ゆえに度重なるけがに悩まされるなど、苦しいことも多かった。02年名古屋場所で右足じん帯を損傷。05年にも右足を骨折するなど、大けがに泣かされてきた。体カの衰えも追い打ちをかけ、近年は十両下位が定位置に。先場所は後がない西十両14枚目で、大きく負け越した。
「体力の限界だった。納得できる相撲が取れなくなった。今場所前、既に心は決まっていた」と引退め理由を語った。
今後は部屋付き親方として、若手の指導に当たっていく。賭博問題などで角界には厳しい視線が注がれているが、「いい力士を育てることが、信頼回復にもつながる。何事にもあきらめない、我慢強い子を育てたい」。
安美錦関や武州山関ら多くの県勢に慕われ続けた良き兄貴分は「青森は相撲王国。若手は意地を見せて、土俵をもっと盛り上げてもらいたい」と後輩たちに工ールを送った。 |
| ▼両親「よくやった」 |
深浦町北金ケ沢塩見形の実家では、父・光雄さん(71)、母・タマエさん(68)が同日夕、息子の引退を報じるテレビに見入った。本人からは5月場所後、名古屋場所途中で引退表明するーと電話があったという。
光雄さんは「2度の大けがは残念だったが、小さい体で15年近くよくやったと思う。部屋付きの親方として相撲界に残れることになって本当に安心した」と語る。
タマエさんも「場所中は心配で取組をまともに見られなかった。負け越しが続いた時は冬場も神社に願掛けに通った。第二の人生が決まりほっとした。本人もさっばりしたと思う」と胸の内を明かした。
町内からもねぎらいの声が相次いだ。町大相撲後援会長の吉田満町長は「町出身の4関取の先輩格として大相撲、町に貢献してくれた。夏巡業深浦場所での晴れ姿から約3年。町の名声を高めてくれたことに感謝したい」とコメントした。
海鵬関が小学生のころから家族ぐるみの付き合いを続ける団体職員福田博明さん(52)は「弟のような存在でかわいがってきた。引退は寂しいが、これまで一生懸命やってきた。こ苦労さまと言ってあげたい」と話した。
|
| ■心は折れていない(海鵬8敗 残り5番に意欲)■ |
東奥日報(2010/05/19付) |
「今場所で一番攻めた相撲。前に出ていた」。8敗目を喫し幕下転落が決定的となった海鵬だが、悔しさはない。すがすがしい表情で、取り囲んだ 報道陣を見渡した。相手は同じ深浦町の後輩としてかわいがってきた安壮冨士。「何でこういう節目に当たるのかな」。痛めていた左腕のサポーターを外し、気迫を前面に出して臨んだ土俵。立ち合いから攻め立てたが、突き、押しが軽い。内掛けを振り払われると、後ろを取られて切り返された。10年以上守ってきた関取の座から降りるのがほぼ確実となり、寂しさがよぎったのだろう。花道できゅっと口を結ぶと、目を少し潤ませた。
177センチ、121キロ。.他の力士と比べて体は一回り小さい。だがデビュー以来、左四つからの下手投げ、切れ味鋭い内掛けを繰り出し、多くの巨漢をなぎ倒してきた。
そんな相撲の醍醐味(だいごみ)を見せ、館内を沸かせ続けてきた業師も、もう37歳。「体が思うように動かなくなってきた」。この日は限界を思わせる言葉も口にした。「引退」の二文字がささやかれるが、残リ5日間は土俵に立ち続けるつもりだ。「ファンをはじめ支えてくれる人がいる。何より、まだ心は折れていない」。手術あと、内出血、そして無数のかすり傷。満身創漬(そうい)のベテランをかきたてるのは「意地」、ただそれだけだ。 (東京支社・松田啓志)
|
| ■海鵬調整抜かリなし(食欲旺盛、夏バテ知らず)■ |
東奥日報(2008/07/12付) |
|
大相撲東十両7枚目の海鵬が3場所ぷりの勝ち越しに向け、気持ち新たにけいこに励んでいる。「調整は順調」と言うように、体の張り具合がそれを物語る。 厳しい暑さでも食欲は旺盛。夏バテ知らずの三十五歳は若手に負けじと元気な姿を見せている。
名古屋場所初日(13日)を2日後に控えている11日は、名古屋市天白区の八角部屋でしこ、すり足を中心に終了。「マイペースだよ」とベテランらしく無理をせず自分のぺ-スのけいこを維持した。ただ、前日までは若い力士にけいこを付け、10日には出げいこに来た横綱自鵬の胸を借りるなど精力的に動いた。
パワーの源は食事にあるという。けいこ後、どんぶり飯とちゃんこ鍋を2杯ずつ平らげる。友人らとの食事会では「二軒をはしご」することも。暑さとの戦いでもある名古屋場所は「しっかりと食べる」ことが、15日間を乗り切る術だと心得ている。「あとは疲れを取って初日に挑みますよ」。体調管理に抜かりはない。
|
| ■深浦の関取けっぱれ!■ |
東奥日報(2006/10/20付) |
|
2006年10月、東京近郊の深浦の相撲応援団「深浦のお相撲さんを励ます会」(会長:久慈さん)が、浅草ビューホテル開催された時のものです。今年は36人の出席。海鵬をはじめ、深浦の4人の関取がそろい踏みで、大にぎわいだったとか………。
この会は2000年9月に発足。海鵬に続いて安美錦が新入幕となり、深浦町から後援会支部の形での発会。現在は深浦町出身者に限定せず門戸を開き、会員数は約60名。会長の願いは、四人全員がそろって幕内で相撲を取ること。
今回は海鵬と将司がサイン入りの手形色紙を出席者全員にプレゼントした。 |
|
| リンク |
|