とっぷ おけら歌集 荒木とっぷ 荒木年譜 文献目次


センター交響楽 「荒木 栄」

この文章は、『故荒木栄さんが、大牟田センター合唱団機関紙「あしおと」の創刊号(一九五七年七月発行)に寄せた文章で、同合唱団の了解のもとに、数回にわたって紹介します。』と、「うたごえ新聞」の第362〜364号、第367号に4回にわたって紹介されたもの。

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第一楽章・ひとみちゃんとぼく
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うたごえ新聞362号(1957年7月)
 おさげ髪のひとみちゃんは、おそらくセンター合唱団の最年少者であろう。新中卒後、市内の○○店に勤めながら、夜間の高校に通って、向学心を燃やしているかわいいソプラノさんである。
 レッスン帰りのある日、みんなで喫茶店により、なけなしの金をはたいたときの、彼女と僕の会話の要約。
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「ひとみちゃんは幾つネ?」
「十六です。荒木さんは?」
「おれ、三十二だヨ」
「フーン、案外年とっているんだナ。もっと若いのかと思ってた」
「何をコイツ!生意気だぞ。ドーシのごつ思とる」
「あらごめんなさい。でも私たち、みんなドーシでしょう?歌をうたう・・・」
「・・・そうかア、こいつは一本やられたナ。ところで、三十二引く十六は、ナント十六才で、おれはひとみちゃんの二倍だけお菓子を食っていいことになると・・・」
「うあアずるい!」と彼女、手許のケーキをあわててかくす。

「しかし、おれ、ひとみちゃんと十六も違うと思えんとバッテンね、どうしてやろ?」
「ほんと!私もそう思うんです。コーラスの人たちと一緒にいると、不思議に年令の差を感じなくなってしまい、なんでもお友だちみたいに語り合えるという気持ちが強く湧くの。みんなもそうかしらん」
「そいツはいいことだ。三十代のオッツアン」から、おさげ髪の少女に至るまで、年の差を感じないで、一緒に一つの目的に向って進めるグループなんて、そうメッタにないよ。こいツはまったくステキな人間関係だ・・・」
「ホント、ホント、ホント!」とすこし近眼の彼女が有頂天になっているすきに、おいしそうなヤツを一つ失礼した。

 このようにして、センターの若さの代表である後藤(又兵衛ならぬ)ひとみちゃんと、最年長者である荒木又衛門の両剣豪が、その友情を再認識した次第である。
 ぼくらの周囲には、権力や、利害や、中傷や、腹芸だけでつながっている人間関係が多すぎる。そのようなものの不必要な、理解と友情にみちみちた人間のあつまりを、センターの中に確立しようとするぼくらの夢を、甘いと思う人があるなら思え。
 全員が、その年令や環境や地位の違いを統一美の中に還元してしまい、歌の呼吸も、生活の呼吸もピッタリ合った集団を作り上げることが、可能か不可能か、みんなで試みてみよう。
 いたわり合い、助け合い、愛し合って行くことが、どのように生きることの大きな力になり、どのように大きなうたごえになるかを試みてみよう。


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第二楽章・リアリスティックなロマンチスト
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うたごえ新聞363号(1957年7月)
 リアリスティックなロマンチスト
 ロマンティックなリアリスト
 二つならべて、どちらが好きかと聞かれたことがある。そこで或る人の言葉を借りて、
 山の秋
 秋の山
 と並べて、君はどちらが好きかと問い返したら、うまい返答だとその人は笑った。ちっともうまい返答だとは思わない。そんなことは言葉の遊びにしか過ぎないのであって、抽象的な答え方しか出てこないという証拠を示しただけのことであると重ねて返答したら、語るに足らず、といったような顔をされた。五、六年も前のことだったが、時々そのことが思い出されてなつかしい。

 折にふれて親しい友人から、
「君は年取り甲斐もなくロマンチストでありすぎる」と笑われることがある。絶えずロマンを持ち続けることはいいことなのだが、生きて行く手段や方法まで、ロマンチックであっては損得はさておき、その抱いている夢を実現させることが困難になることを、忠告してくれるのだと感謝する。
 明るく健康なうたごえをひろげよう、そして世の中を明るくしようというロマンを、ぼくは長く仲間と一緒に持ちつづけたい。
 けれども、そのうたごえ運動の展開の方法や手段が、非現実的でひとりよがりだったら、運動になりえない。例えば浪花節や流行歌を愛している人たちに、そんなものはつまらないから、こんな歌をうたいなさいといくら力んでみたところで仕方がない。なるほど、うたごえっていいものだ、とその人たちを納得させる別の方法を考えることの方が大切なのだ。
 また、たとえば団員自身の要求や生活状態や精神上のことを考えないで、無理な企画をしたり、行動を強いることは、かえってロマンのうちこわしになる。
 さらに、たとえば、人情にかられるあまり、正当な出演料をもらうのをえんりょしたり、ついでに自分にも同情して会費をおさめるのをえんりょしたりして、財政面をルーズにするようなことは、ロマンチックなリアリストのそしりをまぬがれぬ。要するに、ロマンは生活の外にあるのではなく、生活とつながっていることを忘れず、どっしりと地面をふまえた理想家、つまりリアリスチックなロマンチストたらんことを期したい次第。
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第三楽章・センターは意欲する
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うたごえ新聞364号(1957年7月)
 バスパートのM君が、うたごえ食堂のことを話してくれた。
 ○町のある店が、宣伝をネラッて一週になんどか、うたごえ演奏を聞かせる食堂を開くため、合唱団およびソロイストと契約したいとのことである。ぼくはおもしろいと思った。店の宣伝より合唱の宣伝になりそうな話だからである。話がきまったら、映画館などでスライド宣伝もやるという。
 空想の好きなぼくの頭には、うどんやぜんざいの匂いがプンプンただよう食堂に、働く人たちが夕の憩をしている中で、或る時はセンターの仲間たちがすてきな合唱をやり、踊りをおどって人々をよろこばせ、またあるときは、センターと共に合唱するお客の力強いハーモニィが、表通りに流れて行く、といったような場面が展開するのである。

 「だからお前はロマンチストだよ」と笑われそうであるが、こんな夢は大いに抱くべし。そのために、大衆によろこびを与え、うたごえに興味を愛着を覚えさせることができるなら、そして、またそのために仲間たちのうたう技がのび、表現が豊かになって行き、おまけに金もうけができるならこんなステキなことはない。
 合唱は、ステージや練習場だけのものだという、一面的な芸術家気どりを捨ててしまって、どしどし街の中や、家庭や職場の中に、うたごえを進出させることが、正しい音楽運動と思う。

 同時に表現方法としても豊かでなければならない。音楽の深さを真底から味える人々をも、ミーハー族とよばれる純すいで素朴な人々をも、感動させうる合唱表現法は、たえず練磨したいものである。
 うたごえの転換期という言葉がはやり出した。わかる人にはわかるけれど、大多数の人々には、うたごえなど、ただやかましいばかりで、何の縁もないのだと批判されているらしい。縁がないのではなく、縁があることを感じさせない、ひとりよがりの表現が問題なのだ。

 合唱劇「山の音楽会」で、ぼくらは合唱表現に、新しいスタイルを工夫して、立体的なものを試みた。食堂でうたうことは、もっと現実的で立体的な芸術表現法である。映画「シベリア物語」に出てくる酒場の合唱場面は、「歌は生活だ」という感じがしきりにするシーンである。そのまねごとでないが、あらゆる生活の場で、うたって行く勇気と技術をぜひ、センターのものにしたいと希う。


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第四楽章・すばらしい青春
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うたごえ新聞367号(1957年7月)
 合唱劇「山の音楽会」は、内容的にいっていろいろの問題があるが、新しい合唱の表現形式として、一応成功をおさめたと思う。「見ていて何か親しみをおぼえ、肩のこりがちれるようなさわやかさを感じた」という、ある批評を最高のものとすればよいであろう。
 二階の観客席から指揮することは、なかなか快いもので、ひとみをあげてのびのびとうたっているメンバーの一人一人の表情がながめられる。それに、従来の合唱団と指揮者という演奏の形が作る聴衆との壁がとれてしまい、リアリスチックな迫力をきく人に感じさせることに気づいた。舞台で、力一杯うたっているみんなの心が聴衆をとおして、ぼくと音楽的にむすびついていることをひしひしと感じさせられ、拍手の波がおこるたびに、理屈をぬきにした生甲斐を感じるぼくの心は、すなわち、みんなの心だと思ったりした。
 演奏を終って、控室にひきあげた時の、かがやきにみちたひとみは忘れられない。

 「すばらしい青春だわ、わが生涯の最良の日ってところよ」感激屋のU嬢が、紅潮した頬に手をあてつつ詩的表現をする。
 「よかったですね、実に気持がよかった・・・・・・」初めの頃、このような形で合唱演奏することに、あまり気の進まなかったK君のうれしそうにつぶやくバスをきいたとき、あらゆる努力がいっぺんにむくわれた気がする。
 みんなの心にも、この日のためについやした二十日間のレッスンのことが、いろいろの形でうかんでいるにちがいない。

 ずいぶん無理をかさねたレッスンの日々であった。企画、選曲、プリント、配役、練習場のこと、経費、そして練習時間、等々。 練習プランどおりすすまないことにあせったり、なげいたりしつつも、この公演の意味するもの、すなわち、メーデーに向って、明るく力づよい働くもののうたごえを結集すること、および、大牟田合唱連絡協議会を結成するための刺激点になること、さらに、合唱表現の立体化(聴衆との結合)という、外にひろく、内に深くうたごえ運動をすすめて行こうという意欲に終始した、センター三十余名の涙ぐましいレッスンぶりであった。
 このはげしいレッスンは、またセンターに集まった人々の心と心を深く結びつけることにもなった。
 ほとんど自分の時間を準備のためにささげたY君やN君、おどりたくないおどりをおどらされる辛さに耐えたO嬢、アコの重さをもいとわず、かがやかしい伴奏をしてくれたK氏、「私の声はハーモニィをこわすのではないでしょうか?」と純真なひとみで問いかけてくるS嬢。各職場から集まったうたう仲間たちが、真剣に、仲よく励ましあう中で、交流する友情を感じとるよろこびは格別であった。

 組合の幹部であるアコのK氏は「組合運動にも、音楽運動にも自信を失いかけていた自分にとって、センターでの交友がなぐさめを与え、センターのレッスンが勇気を与えてくれていることを意識する」とある日語り、「女性がよく発言する」センターだともいった。
 このような中にあって、指導の役割をひきうけたぼくは、自分でも殊勝なほどはりきった。あるときは荷の重さに耐えかね、ねむれない夜もあったけれど、みんなのひとみがぼくをはげましてくれた。

 こうしてセンターの練習はすすみ、同時に、センターの誕生が確立したわけである。
 一つの目的にむかって、力を合せた青年乙女たちが学びとったものは、自分と他人(ひと)、個人と団体のつながりのよりよい理解力である。主張すべきことと、謙虚であるべきことの区別、年令の差や性別が人間価値を決定するものではない、ということなどを合唱する技術と共に学んだことはとおとい。
 若くて、美しくて、健康な団員たちの上に、このような何にもまして「すばらしい青春」がながくつづいていくことを、こころから祈るものである。  (おわり)
作成(2007/03/16) by bunbun pagetop






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国民音楽創造の力強い芽
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荒木 栄  うたごえ新聞242号(1966/04/151)
 この文章は、故荒木栄さんが一九六〇年八月十四日付全九州合唱団会議発行の「うたは斗いと共に、三池共闘創作集」に書いたものです。

 三池斗争の中で、沢山の詩や歌がつくられ、うたわれ、広められました。会社、第二組合の悪らつな分裂工作に対する憎しみの炎、権力の弾圧に対する怒りの火柱、辛苦を共にする仲間たちへの無限の信頼、斗いをしっかりと支える主婦たちの細やかな愛「トウチャン、カアチャン、ガンバレ」と働く者の血をついだ子供たちの叫びの歌・・・。
 全く三池という演奏会場で、労働者大合唱団の大演奏がやられているといっても、ちっとも過言ではなく、うたは斗いと結びつき、斗いの武器となりました。

 ピケ前線で、デモで、社宅で、あらゆる集会で、組合歌「すみほる仲間」を始め、「みんなで敵をうて」「もやせ斗魂」「山の娘」「ゴーホームポリ公」「ガンバロウ」など、
一つ一つのうたが斗う者の実感をこめ、 一回一回の合唱が巨大な斗いのエネルギーを反映してうたわれています。全戦線、どこへ行ってもうたごえがひびき、団結ガンバロウが三唱されるのが聞かれる有様です。三池の労働者、主婦はまさに日本一のうたい手たちです。

 一斉に大口あけて腹の底の思いを歌に託して噴き上らせているこの状態の中に、私は国民音楽創造の力強い芽生えを痛感します。
主婦の子守唄」をつくった時、私たち創作班は貴重な教訓を得ました。主婦たちと懇談する中で、斗いがどんなに人間の感情と思想を豊かにするかという事を主婦たちのあけすけな打明け話の中で知りました。
 第二組合の分裂をくやし涙で語り、哄笑と興奮した空気の中でおどろくほど豊富な斗い、日日の感情が語られ、語り手の一人ひとりがすごく美しいひとみをしていて、彼女らの顔や姿そのものが、詩であり歌であると思いました。
 私は、自分の作品のつたなさを反省することよりも、この斗いの中で脈うつ労働者の豊かな感情、沸とうする大衆のエネルギーを芸術創造上の根底として、しっかりとらえ、より深く、より正しい音楽作品をつくるためにガンバルことの方が大切だという思いを強めています。

 安保反対斗争、三池斗争を中心に、平和、独立、民主主義を守る労働者階級、国民の斗いは日本民族の歴史的な斗いとして広く、深く、永く伝えられねばなりません。数多くのうたごえ創作活動家が、これらの斗いをうたにする活動を組織的に展開すると共に、詩人や専門作曲家との結びつきのを強め、新しい国民音楽の創造運動をすすめてゆくのに、今は絶好の時機だと思います。

(大牟田センター合唱団)
作成(2008/01/18) by bunbun pagetop





宇部興産の斗いによせて

●一九六〇年十二月末、宇部興産資本の合理化攻撃が襲いかかってきました。この闘いの武器として「宇部興産炭鉱労働者のうた」「三池で燃やした火を燃やせ」を作り荒木栄さんに作曲を依頼したのです。ものすごい速さで詞に曲がついて帰ってきました。資本の側がせいぜい二週間とたかをくくっていた闘いが、八十二日間の無期限ストライキという激烈な闘いに発展し、敵の土台をゆすぶったのです。荒木さんの作曲した歌がその大きな力になったと、私たちは確信しています。この時、楽譜についてきたのが、このパンフに掲載している手紙です。この手紙からさえ、荒木栄さんの面影がほうふつとうかんでくるでしょう。 (花田 克己)
うたごえ新聞/(1966年04月15日)第286号
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■第一便/三池の不屈の斗魂を宇部へ
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 速達を拝見しました。
 宇部興産炭鉱労働者の斗いを注目しております。三池の斗いの不屈の斗魂が宇部の仲間にうけつがれることでしょう。

 御依頼の創作曲をお送りします。実は創作上の問題をもっとほり下げてみるために、しばらく創作をやめて勉強してみたいと思っていたところでしたが、宇部の斗いにふれ、創作の必要を感じましたのでとりくんでみました。あなたの作品には、もっと欲をいいたいのですけど、これをこの斗いにおけるはじめの作品にして、深く斗いの心にふれてゆかれることを希望します。
 メロディについては、あまり自信もてませんが、大衆の中にもちこみ、ふたたびそれをとり出すという態度で今後とりくんで行くことが必要だと考えます。
 御健斗をいのります。あとでこの歌の状況、斗いの状況などお知らせ下さい。
 尚、この曲のコッピーをとっておりませんのでプリントでも一枚お送り下さい。   三月九日  荒木栄

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■第二便/斗いの激しさに見合う創作
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 あたなのお返事の速さと感受性のするどさから、宇部の斗いのはげしさが伝わって来ます。
 "三池でもやした火をもやせ"は前作品に比べて、すぐれていると思います。斗いの深部にふれて来ました。欲をいえば、三池でもやした火は何であったか、どのようにもやしたらいいかという内容がほしいとは思いますが、それは次の作品に期待出来そうです。この歌は三池でも、ぜひ広めたいと考えます。宇部、貝島の斗いを支持する三池のうたごえ行動をおこそうと、昨日、三鉱うたごえサ協会議で話し合い、次の日曜は社宅工作(鉛筆、ノートなどのカンパの訴えも合わせて)をやる予定です。

 “斗争記念のホッパーパイプ、ふかせばうかぶ斗う三池”というところ、作曲しながら涙が出ました。みんなもきっとそうでしょう。斗いの激しさに見合う創作のテンポをあげましょう。どんどん書いて下さい。そして他の仲間にも作ることをすすめて下さい。ぼくの方も、集団的に作曲活動をおこす運動にしたいと思います。

 そちらへ出向くよう御依頼の件ですが、ほんとうにできれば行きたいのですけれど、こちらの仕事や、三作の組織問題などここしばらくはどうしても行けない状態です。一応サ協で話合ってはみます。ぼくが行くということより、サ協として宇部斗争に参加するということの方が発展的ですので、そちらからサ協あて連絡して下さい。貝島へは三川から宮脇君が次の日曜日に行くことを決定しました。サ協事務局は三鉱労組本部(不知火町2)気付、原守男でいいですから。

 先日、“かさなび”(玉置氏作曲)をみました。仲仲よく曲がついています。そちらでうたっていますか。いま三池では、正月にお送りした“仲間のうた”を中心に“ボタ山ゴロゴロ” “ボチョンボはわがふるさと”などうたわれています。
 明るく、くったくなく、そして、芯の強い歌が要求されるときです。生活をえがくことのうまさ、まじめさをもっているあなたの詩に、斗いの息吹きと八十一か国共産党宣言の力強さがふかく結びついたら、うたごえの詩の貧困さに画期的な新しさと豊かさをもたらすことでしょう。
 期待しています。   三月十三日 新しい同士へ  荒木栄
(以上の文章は宇部興産鉱職場合唱団発行「花田克己詞作品集」より転載させていただきました。 尚、楽譜の小音符は、大牟田センター合唱団発行、荒木栄作品集「わが母のうた」に掲載されているもので、荒木さんが改作されたものと思われます。事務局でも調査して、改めてご紹介したいと思います。) うたごえ新聞社
作成(2007/07/07) by bunbun pagetop






荒木栄さんの手紙

この歴史的な斗かいの姿をつたえる歴史的な創作に向かって総力を!
 この手紙は、『いま北海道うたごえ協議会では、うたごえ二十周年を記念して、北海道での創作活動の歴史を編さんし、特集号を発行(三月末発行)する計画をすすめています。そのなかには「北海道と荒木栄さんとの変流」を収録することも企画されています。つぎの荒木さんの手紙は、協議会創作集団に寄せられたもので、北海道炭鉱のうたごえ協創作ニュースNo.4(一九六一・七・二八発行)に全文掲載されました。このたよりを、いまあらためて読みなおしてみて、荒木栄さんの思想の深さを知ることができます。同時に、現在の創作活動のなかで深めなければならない、いくつかの問題が提起されていると思いますので紹介します。
藤本五郎 (うたごえ新聞/1968年04月20日号)
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■三池でもうたごえ学校をひらく
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 たびたび貴重なうたごえ活動の資料を送っていただきありがとう。仲々返事が書けず申訳なく思っています。北海道の仲間達の、創作に対する意欲的な取り組みをうかがい知ることが出来て、深い関心と敬意をもっております。
 三池でも、去る六月十三日井上先生をお招びして「うたごえ学校」をひらき、その中で、集団的創作実習ををやりましたところ、作詞十五編あまり、作曲も数多く出来ました。作曲は、まとまったのは二・三曲ですが、はじめて創作にとりくんだことのよろこびをみんなのものにすることが出来、また、これからの活動の上に大きな成果をあげました。
 三池でもやっと小生ひとりの創作活動ではなく、集団的にとりくむ姿勢が生まれはじめたことをとてもよろこぶと同時に、今までそのような活動が足りなかったことを強く反省し、これから共に若い仲間と協力してもっとすぐれた大衆のうたを作りたいと願っています。

 その点、北海道の仲間の創作態度と内容は大変参考になると思います。
 作詩と作曲を比べた場合、数の上では作詩が多いけれども、その内容と表現方法については、もっともっと豊富なものにすることが必要です。やはりうたいあげる内容について討論する事が必要で、表現はその次でいいと思います

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■大衆の心にふれることのできる詩
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 大衆の斗かい、共通の生活感情を客観的に表現したものも、個人の感情や意志をうたったものも、それがほんとうに大衆の心にふれることの出来る詩であれば、曲もかならずすぐれたものになります。数多く作るここといいものを作ることといは別個のものでないということを集団創作の心がまえとして、まず、いい詩を、広範な層と広範な生活感情、意志を持った詩を作ることにとりくむことが大切だと思います。
 炭鉱マンは炭鉱のことだけ書けばいいとという風に限定せず、国民の斗かい、全労働者の斗かい、農民の斗かい、それをさまざまの角度から、さまざまの方法でとらえる創作が日地用だと思います。更には、国民伝統の音楽形式をも、もっともっと利用されなければなりません。
 中国訪問団に三池の原君をおくることが出来て、みんなハリ切ってカンパにとりくんでいます。北海道も藤本さんをおくる運動がすすんでいると思います。毎日のように社宅、地域でのうたごえ行動をつづけております。
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■斗かいの力はおれたちの体から失われていない
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 組合員・主婦たちは、「主婦の子守唄」や「団結おどり」などをきいて「一年前のあのはげしかった三池の斗かいを思い起こす」と云い、うたごえのわかいエネルギッシュな「常磐炭鉱節」「ソーラン節」などのおどりに「斗かいの力はおれたちの体から失われていない」と感想をもらします。まさにうたは斗かいを思い起こさせ斗かいのほのほをあふり立てる風の役目を果たしているのです。
 「おい仲間たち」の力強い合唱は、三池労働者のたましいに結合して、新しい斗かいの起点を示すかの如く、職場に地域にひろがっています。差別待遇、坑内災害、賃下げ、配転、組織切り崩しと巧妙な敵の攻撃を身にあびつつ、真剣に統一の問題を考えている組合員、内職に歯を食いしばってガンバル主婦たち、この仲間たちに「そうだ仲間たち、もっともっと体をよせ合って、あつい血のうねりを伝え合おう」と、第二組合をふくめた呼びかけ、統一の思想をもっとうたごえも訴えねばならないと教えられる思いです。

 水害・小児マヒ・炭鉱災害・交通事故・等々、暑さの故でない政治の貧困が、国民に次々の犠牲者を出させているこの頃、国内では政暴法反対・平和大行進・合理化反対・賃上げの、労働者・国民の斗かいは一層強まり、国際的にはソ朝・中朝の相互援助条約締結が示す平和勢力の力強い前進の姿があり、アメリカ帝国主義と独占資本の益々追いつめられて行く姿があります。
 この歴史的な斗かいの姿をうたえる歴史的な創作に向かって、うたごえの総力を今こそ発揮しましょう。
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■ぼくらの創作の方向
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 創作の方向としてぼくらのなかで話し合っていることは、

・労働者・農民、人民の斗かいを正面から堂々とうたい上げる作品。
・個々の感情・意志・願望・出来ごとをふへん的なものに結びつけた作品。
・民族的な伝統を生かす新しい民謡。
・演奏上の創作(アクション、おどり、表現合唱、かえうた、オペレッタ)。

 そのうち三池でも「創作ニュース」が出せるようガンバリたいと思います。佐藤広志さんの「ポプラ」「アカシア」の歌は、すがすがしい北海道の風景を連想させられます。 「ニュース」二号、三号の中で、「明日はおれたちの時代」「夜明けの鳩」など注目すべき作品にふれ、ぜひ三池でもうたってみたいと思います。他の作品も、それぞれ特徴的にまとまっており、これからの質的な作品を約束していると思います。「あせのうた」なども明るくていかにも青年らしいうたです。みなさん一層ガンバッて下さい。では又。
 1961年7月  荒木 栄
作成(2007/05/03) by bunbun pagetop






創作活動の経験報告(上・下)

創作活動の経験報告「荒木 栄」
 次の文章は、1962年4月に開かれた第一回全国創作活動者会議に大牟田センター合唱団から参加した故荒木栄さんの報告を議事録から再録したものです。三池、安保の斗いの真っただ中における大牟田センター合唱団の創作活動とと荒木栄さんの作品を理解する上で、少しでも参考になれば幸いです。
(うたごえ新聞/うた新1964年10/01日号)
1、団活動としてどう取り組んできたか
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■(イ)三池斗争以前の活動
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 ・作品数 約30曲/特徴点

 主として個人のイメージ、才能に依存され、ことに作曲は全く荒木一人の手でなされてきた。これはうたごえ運動における創作活動の意義についての理解と指導の不十分さの表れであり、集団指導の上に個人の才能をおくといった運動そのものの欠陥ともいえる。作曲ということが特殊の技術を要するものと考えられたり、創作に対する全体の意欲を正しく引き出し、より大衆的に組織的にするという点がなかった。従って生まれた作品は、一応良心的なものではあるが、ふかく大衆の心に密着しているとはいえない結果も生み出している。主観的な詩句、安定性のないメロディとリズムの作品も作られている。

 この、個人的、主観的創作傾向に一つの転機をもたらしたものは大牟田自労詩人グループとの合同創作(にくしみの中から)であった。この中での集団的な討議と創作方法は、それからの創作態度と演奏に役立ち、一つの作品は大衆的な討議も、批評の中でより正しい大衆のことば、大衆の音に直されてゆき、更に演奏の中で正されていった。(子供を守るうたの創作がその端的な例で、はじめは、「夢をつむぐ子供達」といううたで、作曲者の勤評闘争への感想といった形であったが、団そのものが、勤評闘争の参加からもっと闘いの本質、闘うものの心を表した歌を、という要求をおこし、団内の教師が書いた詩をまとめ、作曲もみんなでうたって直してゆくという形の、集団的創作のスタイルを初めて生み出した)

 しかし、作曲という仕事を組織化するという点では熱心に取り組まれなかった。生まれた作品を批評し、演奏によって肉付けするということは行われても、みんなが作るという運動に発展し得なかった原因は、@うたごえ運動の歴史と現状の把握について指導部の見解のあまさ、A権威主義を大衆の上におくゴウマンさ、B技術指導の系統性の欠陥、という点にあったと思える。

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■(ロ)三池闘争と創作活動
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 創作数約30曲、詩、かえうた、おどり、娯楽版、約200編(推定)、どんづまりの歌どんと来いみんなで敵をうて主婦の子守唄みんなニコニコおれ達の胸の火はガンバロウ団結おどり守れホッパー闘いの火をひびかせろ宇部労働者の歌花をおくろう(以上荒木作曲)
 不知火、はちまきかたく、闘いの火は消えず、ゴーホームポリ公、みんなニコニコ、月見草、われらの朝を、強いぞ弱いぞ(以上多泉作曲)
 おれたちの胸の火は、月見草(木下作曲) 主婦と花(宅孝二作曲) われらの朝を・他(大西進作曲)

 巨大な労働者のエネルギーをあつめて戦え荒れた三池闘争は、同時に巨大な労働者の芸術文化活動の結集点でもあった。うたごえ行動隊は、闘う労働者にうたというすばらしい武器をぞくぞくと補給し、うたを持たなかった労働者が、一斉に大口をあけてうたい、闘魂をほとばしらせると共に、団結と連帯の武器とした。一つの歌が生まれると、かわいた砂地に水がしみ込む早さで大衆の中に入っていった。闘う労働者は、うたうだけでなく自ら創作をはじめた。歌詞、作文、詩、短歌、川柳、かえうた、おどり、などすべての作品が闘う者のこころ、凝集として、豊かさとして表われた。
 こういう中で、創作を闘いとし正しく結びつけ発展さして行くため、うたごえ行動隊創作班は、@創作の態度、方向を(A)闘いの客観的な状勢の点からみる。(B)安保との結合として三池闘争をみるとき、民族性の立場をはっきりさせる。(C)闘いの内側での大衆の様々の感情をとらえる。という三つの点から、意識的な創作活動にする。
 A大衆と話し合って集団的な作品を創る。B詩人、作曲家、専門家との結びつきをふかめる、という観点に立って活動を始めた。

 この結果、質的量的に、闘いを生き生きとうたい上げ、全国に広める作品が続出した。「ガンバロウ」「主婦の子守うた」「敵をうて」などの作品は、民族性にもとずいた作風で労働者、主婦の闘いのこころを端的に表したものとして、そのまま大衆にうけ入れられてにいった。また「炭鉱(やま)の子」「炭鉱(やま)の娘」といった生活のうたが、新鮮な実感としてうたわれ、民謡とともに闘いのバックボーン的役割を果たした。

 うたごえ行動隊は、創作をその生まれ出た根拠の上に立って全戦線に広げ、全国に伝えた。
 三池闘争における創作活動は、その参加者の数、作品の数の点でも、その意識的な運動の進め方の点でも、演奏とのむすびつきの点からも画期的なたたかいであった。従ってこの活動についての現地指導部(日本のうたごえ実行委)と地元うたごえ行動隊の、より総括的な討議と評価の不足は、うたごえ運動の創作活動の立場をよわめると思われる。このことは、それ以後の大牟田の創作活動に積極性が表れない大きな原因の一つでもある。  (つづく)

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■(ハ)三池斗争以後の活動について
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 三池斗争での旺盛な創作活動を受け継いで発展する情勢の中で、引き続き作品が生まれている。そして作品の内容は、団の活動との結びつきをふかめたmのとして表れている。それをまとめると、
  @二つの的を明らかにする独立平和、民主主義擁護の斗いの諸活動の中で「こぶしかたて」「アメリカ帝国主義を叩き出せ」「筑紫野に春を」「黒潮の歌」「日中友好のうた」
  A三池斗争以後の発展する労働者の斗いと結合して、「おい仲間たち」「炭郎くんと炭子さん」「炭鉱社宅のおかみさん」「三池でもやした火をもやせ」「溶鉱炉はもえるよ」「仲間のうた」「地底のうた」「ボタ山に雪がふる」「月見草
  B農民との結合をすすめる中で「田植うた」「ひざっこぞうの歌
  C青年を組織する斗いの中で、「よろこび」「心にゃ夜はない」「ふるさと

 これらの作品の一つ一つが、演奏活動と結合してふかめられ、大衆の中に持ち込まれると同時に、「おれたちも作ろう」という機運を生み出し初めた。ことに昨年八月、大牟田のうたごえ学校で、はじめて創作を行った中で、十編あまりの詩と、それにつけられた未完成の分をふくめての四十数曲の創作は、「やればできる」という意欲となり、創作があらためて団全体で考えられ始めた。団の芸術局に創作部が設けられ、研究生教育でも創作を取り扱うという方針を決めた。実際の指導の点でまだ充分とり組まれていないが、幾人かの書き手が現れはじめている。(「日中友好のうた」「月見草」「ふるさと」「ボタ山に雪がふる」などの曲は、わかい意欲を持った仲間の手で作曲された)

 創作部としての問題点は、この創作意欲を系統的に、組織的にするため、創作曲集、ニュースの発行、団の内外の反響、創作運動全体との関連、交流、提携を点検し、ふかめるという具体的作業にすぐとり組むことであり、このとり組の不十分さの原因となっている要素を克服することである。この点、北海道の仲間たちの経験などを知りたい。
 団はこのほか、団としての編集と製作の責任において、大牟田のうたごえ創作集、及び三池斗争創作集を、一九五六以降四回(発行部数三〇〇〇部)にわたり発行し、一定の成果を上げた。しかし、全国の創作活動との結びつきという点では、極めて不十分であった。

2、個人の経験と問題点について
 発表、未発表あわせて五十四あまり。一九五〇年ごろ、職場の合唱サークル活動の中で始めた。一九五四年第一回九州のうたごえで「炭鉱ばやし」を発表していらい、創作の根拠を個人の感情、イメージから、大衆の立場、階級の立場にかえることを、その後うたごえ運動で学んだ。しかし、立場は変わったが、作品に残す点ではやはり主観や才能に依拠するとい弱点を抜け去らなかった。また自分が合唱団の指揮者という立場から、自分の作品を一方的におしつけるという態度をもっていた。

 三池闘争の中でほんとうの大衆的な作品、創作態度を学んだ。とりわけ。「主婦の子守うた」を創作したとき、主婦たちの実にたくましい闘魂、ゆたかな階級的愛情につらぬかれた言葉をそのまま、詩と曲にまとめたこと、「ガンバロウ」を作ったとき、ホッパーをはじめ、全前線での闘う仲間との交流や、うたごえ行動隊の意見や創作班のきびしい批判、討議が、創作の不動の肉付けになった経験を通して、大衆の歌を作ることの厳しゅくな創作態度と、客観的な高い思想性が不可欠であることを知った。更に民俗の音楽を継承し労働者の立場から発展させてゆくという問題に真剣にとり組んできた。

 一つの詩をみて、瞬間的にうかぶメロディは大抵の場合、明治以来間違った音楽教育の中で失われた民族性と、西洋音楽への偏った、生活とのつながりのうすい安っぽいロマンチシズム、つまりメロディおぼれるといったメロディであった。ほんとうに労働者、大衆の生活感情のことばとして音としてさぐってゆく、つまり自分が労働者の一人として息づき、うたうという態度をはなれては、大衆に受け入れられる歌は生み出せないことを知った。
 そこまできて、いま考えていることは、大衆のこころをうたい出すと同時に、大衆に迎合するのではなく、大衆と共に高まってゆく作品に立ち向かうことである。そのためには、どうぢても、民俗の音楽をもっとふかく、理論的につかむこと、自らが高い思想性と、その表れとしての表現力を身につけること、音楽の学習を系統的に、集団的に学ぶこと、創作活動を集団として展開すること、以上のことを実践にうつす活動にとり組むことを始めたい。
(1962年04月01-03日、音楽センターで開かれた第一回全国創作活動者会議における報告より再録したもの)
作成(2007/07/07) by bunbun pagetop






こうして生まれた「心はいつも夜明けだ」

■春闘そしてメーデーと全世界の労働者の団結と闘いの日が近づいて来ました。
 職場の仲間達はメーデー歌をおぼえ五月の青空にひびかせようと一千万人みんなうたう会を進めています。音楽センター発行の平和歌集には全世界の労働者が作り闘いの武器としてうたって来た歌・日本の労働者が作り闘いの武器としてうたって来た歌の数々がのせてあります。このうたがどうして生まれ、うたわれて来たかを学ぶ事は大切なことです。そこで今回は今、最も親しまれ うたわれている故荒木栄の“心はいつも夜明けだ”をとりあげました。
 尚、この文章は一九六二年春に開かれた全国創作活動者会議での荒木さん自身の報告からとったものです。
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■1962年 全国創作活動者会議での報告(荒木 栄)
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(うたごえ新聞/19xx年xx月xx日号)
 この歌の詩は昨年(一九六一年九月)、私と同じ工場で働いている旋盤工、永山君によって、その一番が作られました。永山君は私より三つ年上で、年令的にはもう壮年なのですが、新鮮な感覚をいつも持ちつづけている詩人労働者であり、組合の分裂に反対して斗いつづけている仲間の一人です。
 たまたま昼休みの食堂でうたごえの詩のことについて話題になったとき、「青年のうたが圧倒的に少ない、特にいま「政暴法やそのほか職場のたたかいの先頭で、若いエネルギーをもやす青年の姿や暗いジメジメした資本主義的な生活感情から抜け出そうとしているたくさんの青年たちのこころにピッタリしたうたがうんと作られるべきだ」と紙きれをよこしました。

 おそらく機械をまわしながら浮んだイメージを書きつけたものと見え、詩は油あかでよごれた古カードの裏に書かれてありました。
 永山君は即興詩人のタイプです。推敲や添削がきらいで、また「作品はいくらでも出来るが、書き終わると、すぐつまらなくなるから破りすてる。発表する気はない」といういかにも労働者らしい気質をもっていますので「きみがもっと作品を大切にし、作品に責任をもつことから、より大衆的なすぐれた作品が生まれるのではないか」といい、彼のすてがたい作品のいくつかを仮名で発表したこともありました。

 さて、表題も何もついていない永山君の詩を一読して「これなかなかいい、まさに注文通りの詩だ」と感じました。
夕陽が
よごれた工場の窓にしずめば
おれたちゃ町に散らばる
若者や娘たちの
胸に火をともしに
心にゃ夜はない
いつも夜明けだ
 ゆっくり口ずさんでいると、うたごえや民青の若い仲間達の顔や姿が次々にうかび上がって来ます。
 木庭の門から、坑口から、事務所から、店の裏口から、一日のつらい長い労働を終えた若者やら女たちが開放感にあふれたひとみで帰路につきます。
  彼等は、みじかいこれから帰るまでの自分の時間に何をしようとしているのでしょう。明日、また仕事がつらいからせめて今夜の歓楽を求めるのでしょうか。

 いやいや彼等はマージャンやパチンコや街のあかりに青春のよろこびや生甲斐を感じるのではありません。明日の仕事を楽しいものにするため、今日のたたかいに出かけるのです。

 平和と生活をおびやかすやつらとの斗いのために、働く者が築くすばらしい明日の時代のために、ひとりでも多くの青年たちが起上がるよう、斗いの火をともしに出かけるのです。彼らには孤独や暗さや、デカダンスの弱々しい美的感覚はありません。職業や貧乏への劣等感もありません。
 彼等にあるものは労働者の誇り、青年らしいあふれる正義感、直線的な行動力、確信にみちた未来への展望です。このような青年がいま職場に、街に、村に、次々ふえています。
心にゃ夜はない
いつも夜明けだ
   なんと素晴らしい文句でしょう。私のこの詩に対する作曲の的は、もちろんこの部分でした。(中略)
 曲が出来上がって見ると、どうしても一番きりでは物足りない気がします。そこで詩の補佐をしようと作詩とのとりくみです。
 一番の歌詞は仕事の終ったあとの活動ですから、二番では仕事に入ってゆく姿をうたおう、三番に青年労働者の誇りと未来への意欲をこめよう、と考えました。
  「そうだ今日もガンバロー」このせりふは自分にいいきかせ、仲間と方をたたき合うことばとして、そう入することも考えつきました。これらすべて三池のたたかいを受けついだ、大牟田の各産業の労働者の合い言葉として胸の底にこめられてあるから、自然に出てくるのだと思います。

 題は作詩者のいちばんいいたい“心にゃ夜はない”ということばをそのままつけましたが、あとで日本のうたごえ実行委員会の意見として“心はいつも夜明けだ”とした方がよりよく確信を語る題になるということに同感しました。 今うたわれている“心はいつも夜明けだ”はこのようにして生れて来たのです。
     
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