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■「5月24日(月)」■アフターうたごえin浅草 |
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このホテルは外国の団体が非常に多い。よって朝食はいろんな言葉が大声で飛び交う。まんず、早めの時間は避けた方が無難である。外国という感じなのか、「旅の恥は掻き捨て」感覚が多い。
昨晩、ゴリで田戸さんとデートの約束をしてある。今日はいろいろと予定があって、その後のデートである。アフターうたごえは、東京タワーかはとバスか???
都内某所のとある駅で田戸さんと落ち合い、東京見物は「浅草」ということで決着した。お上りさんにはjustの選択である。そー言えば、ここ10年ほど仲見世をブラブラしていない。
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さすが浅草である。平日なのに「この人通りは何なんだぁー!!」という程のにぎわいである。bunbun達のようにお上りさんが大多数なのだろうけど、外国(欧米系)の方が相当多い。また、この方々をターゲットにしているとしか思えない品物もいっぱいだ。
例えばユカタ。半纏というかガウンというかユカタとは似て非なる物があちこちに陳列されている。お土産というのは元来そーした物かも知れないが、日本文化の代表のようなユカタが「似て非なる物」に化けてしまうのは悲しい。 まさか、「Made
in Chaina」とかって、書いてないよな。
仲見世は食べ物あり、名札あり、アクセサリーありと、一日見ていても見飽きないようなお土産がところ狭しと置いてあり、見ているだけで楽しい。ここで、bunbunがもっとも欲しいと思った物はアイスキャンデー。
オラがガキだったころは割り箸が真ん中に刺さってる氷ガリガリのアイスキャンデーだった。 |
ウロウロして気付いたのだが、こんだけにぎわっている仲見世にもシャッターを下ろしたままの店が結構ある。周りに比べてとても違和感がある。華やかな店構えの間にシャッターがあると、そこから仲見世全体が蚕食されて、そのうちシャッター街になってしまうのじゃないかとという寒さを覚える。浮世離れの物見遊山が現実に引き戻された感じだ。
浅草寺に出た。大きい。お上りさんなので、取りあえず記念撮影。雷門とこれで二枚目。いい男でしょ! 右手にデッカイ実のなっている木があった。夏みかん(オラは、大きいミカンは全て夏ミカン!)らしい。
3月の久留米ツアーで柳川に行ったとき、船頭さんが、「水の中にサボン!と落ちるので、これはザボンと言います。」とか言ってたのを思い出した。(あははー 失礼をばいたしました!) |
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焼香用の線香を買う。ババさま用だ。ここの線香入れはかなり大きい。善男善女の線香の煙がすごい。この煙が何にでも効く万能薬。他人の線香でもご利益はあるのか疑問ではあったが、オラは「頭と顔」にまぶした。このレポを書いている時点での御利益は無い。bunママがどこにまぶしたかは秘密だ。(笑)
浅草寺は五重塔もあったりして、とにかく作りがデッカイ。何が一番デカイかというと賽銭箱だ。人間の10人や20人は飲み込んでしまいそうな程、デカイ。
田戸さんが曰うに………、小銭を握れないくら握って、派手派手にばらまくのが賽銭の基本とか。何でかと思ったら、ジャラジャラーンという音で仏様がビックリして特別目をかけてくれるのだとか言いつつ、ジャラーンと実践して見せてくれた。田戸さんは、これで死ぬまで生きることを浅草寺で確約されたことになった。 |
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ぺーじとっぷ |
見ていると、たまにだが「千円札」を投げ入れる方もある。今どきだからこそかも知れない。苦しいときの何んたらなのだろう。オラのは慎ましやかな人生なので、いつも100円程度で、しかるべき御利益もないが、慎ましく生きられることが本来の御利益なのかも知れない。
この頃は密かに仏像ブームだそうで、金堂の左手にある建立物の四隅にある守護神(何というか知らない!)のうち、奥の一体が無かった。マイ仏像としてチョロまかしていったのかも知れない。 それで自宅に安置しても御利益どころか「ぶつぞー!!」てな感じで罰が当たりそうだけどねネ。
左手をそのまんま道なりに歩く。人通りは無し。大きな場外馬券場あり、いつもは仲見世以上のにぎわいと聞いた。美味しそうな牛すじ煮込みの店もあったが、大方は閉まっていた。一回りして仲見世に戻り、浅草に別れを告げた。 |
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今夜は田戸さんちにご厄介になる予定である。田戸さんとは昨年の10月「深浦のうたごえ」からのつき合い。とは言っても深浦と神奈川で「まぁー 一杯!」というつき合いはできない。深浦のうたごえ記念アルバム(写真集)を作ってくれた方で、唐土久美子ファンクラブの役員をやられている。
このアルバムが素晴らしい。一生もんである。写真の印刷テクニックもすごいが、所々に散りばめられた文章もすごい。オラはモソモソ書くだけだが、短い言葉の中にその場の情景を思い描かせる文章力は真似ができない。
田戸さんちは綾瀬というところだそーで、大分遠いのだそーだ。おっしゃる通り、何回か電車を乗り継いで目的地に着いた。綾瀬の表玄関は、すっきりさわやかな駅前広場であった。ここからはタクシー。
ここは、厚木基地のある街なので、飛行機のTouch&Goの練習になると、窓どころか家全体がグラグラっと揺れるという話だ。青森県にも三沢基地があり、Touch&Goの時機になると苦情が新聞をにぎわす。今日の基地はシーンとしている。ラッキーな日のようである。
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■「5月24日(月)」■大歓迎晩餐会in綾瀬
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■裏の竹林(竹藪?)■ |
大きな竹林の手前に田戸さんちはあった。和風で、しゃれた二階建ての一軒家。そう一軒家。隣まではちょっと離れている。田戸さんは田舎と表現するのはこの辺かも知れない。早速、田戸ママにごあいさつ。昨年の11月に「ともしび」と「家路」でお目にかかって以来である。ニコニコと出迎えてくれ、大変お元気そうに見えた。
bunbun地方は孟宗竹の北限。限界だから太くて高い竹はない。深浦の観音様の裏山で、かつ風の当たらない所にだけある。つまり偏在だ。
京都の観光用の竹林は別として、竹の林を間近に見るのは初めてである。ほんとうに高くて太い。今年芽を出したタケノコが親の竹を遙かに越えてそびえている。これから枝葉を伸ばすのだろうか、面白い形でてっぺんでブラブラしていた。写真は今年伸びたタケノコの勢い!!
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なんたらさんのCDを聴かせて貰ったりギターをひいたり歌ったりと、けっこう音の出ることをやったのだが、近所は大丈夫らしい。ここが一軒家のいいところだ。bunbunのところも畑の中の一軒家だから、昨年の「深浦のうたごえ交流会」は居間が壊れんばっかりの大騒ぎだったが、苦情は「0=ゼロ」。こーいう時はいいもんだ。
風呂とかなんとか言われたような気もしたが、何時に眠ったのか分からない。十分にしゃべって、飲んで、食べて、歌って騒いで、気が付いたらふかふかの布団で眠っていた。まぁー、いつものごとくニコニコしながらのバタンQであった。
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■「5月25日(火)」■江の島タワーと大仏in鎌倉 |
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目が覚めた。暗かったのでもう一寝と思っていたら、雨戸を閉めてくれていたらしく、約束の起床時間はとっくに過ぎていた。朝食は「江の島」でいただくとのことで、洗面もそこそこに田戸さんカーに乗り込む。
起きたとき、頭がガンガンするので、昨夜の酒量をチェックすると、高価なる焼酎のビンがあらかた空になっていた。田戸さんはビールだから、ほとんどはオラが飲んだと言うことだ。ガンガンするわけだ。
綾瀬は緑深き街である。従ってけっこう狭い道もあるが、通い慣れた道なのか器用にハンドルを操りつつスイスイ走る。高速道路に関連して里山(雑木林)の開発の話があり、もうあちこちでアクセス道路の工事が始まっていた。都心から近く開発しやすい場所として綾瀬に白羽の矢が立ったようだ。 |
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しばらく車を飛ばすと海が見えてきた。湘南海岸、江の島である。朝ごはんは江の島近くのなんたらというレストランで摂った。貸し切り状態である。天気も良いし、どーせならと言うことで、外で食事をすることにした。まことに気分爽快である。食欲はまぁまぁ。おしゃべりをしながら食べ始めると、小雀が一羽。食い物をねだるようにすぐ側までやって来る。田戸ママがパンくずをあげると、待ってましたとばかりに飛びついてついばみ始める。逃げない。われわれが悪さをしないと心得ているようで、好ましく微笑ましかった。
つい最近まで、この付近の海岸は立派な松林だったというが、今はコンクリートで固められた海岸線がズーっと続く。地元のなんたらがワイキキだったかの海岸を真似して、海岸からすぐ生みにアクセスできるようにコンクリートにしたらしい。 |
それが江の島地区の活性化につながっているかどうかは知らないが、この海岸が「白砂青松」という表現からほど遠いものになったことは確信できる。ふるさと原風景の風化である。オラホでも似たようなことをやっている。あれほどあった砂浜が、道路になったりコンクリート海岸になったりで、ほとんど無くなった。夏の一時期のための大いなる犠牲である。
江の島は、てんでにお土産の店が並び、平日にも関わらず車が往来し、ヨットハーバーにはびっしりとヨットが繋がれ、にぎやかを通り越してゴチャゴチャの感じが強い。
鳥居の向こうはなんちゃらの工事中。聞くと温泉付きの健康ランドを大々的に建設中と言うことであった。ますます、ゴチャゴチャ化ぁー。展望台へはエスカレーターの乗り継ぎで向かう。運営が大変なのか、コカコーラの宣伝が壁面を飾っている。江の島の名所案内は皆無で、少々さびしい気がした。 |
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ぺーじとっぷ |
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島のてっぺんは結構高く、この奥に展望台がある。田戸さんはこれまで登ったことが無いそうだ。得てして地元の民というのはそーしたもんで、いつでも見られるし来られる感覚があって、ついつ未体験の場所が多くなる。ミーハー的行動力も必要なのかも知れない。
また入場料を取られる。江の島は観光地の見本みたいな場所である。展望台へはエレベーターでどーんと上がる。高くて気分はいい。どーして、高い所って気分爽快になるんだろう???
ハワイアンなホテル群とビーチが見渡せる。サーファーもチラチラ見える。唱歌「鎌倉」で有名な稲村ヶ崎も見える。残念なことに「真白き富士の根 (七里ヶ浜の哀歌)」に歌われる「富士山」が見えない。オラは富士山に縁が無く、三保の松原で一度見たきりである。登山もしてみたいが、あの人混みでは行く気にもなれない。遠目に美しい姿を眺めているのが一番だろう。なんといっても日本のシンボルマークだしね。 |
岩場で釣りを楽しんでいる人もチラホラ見える。そー言えば昨年の夏から釣り糸をたらしてないなー………。
下りは田戸さんと徒歩で。結構きつい。地面に足を付いて振り返ると、今出てきた場所に「ここからは登れません!」と書いてあった。ここは切符のもぎりの手前だ。下れると言うことは登れるということだから、このレポを見た人はとても得をしたことになる。
上りはエスカレーターだったが、下りはトホトホと歩くしかない。途中でチラチラ植物を眺めたが、見覚えのあるものないものいろいろだ。一番ビックリしたのが「オニヤブソテツ」。そのでっかいこと鎌倉の大仏なみである。オラホ(深浦)地方では何故「オニヤブ」かと思うくらいの大きさだが、ここでは「オニヤブ」の命名に「なるほど!」と思ってしまった。それくらいデカイ!! |
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坂の土産店街に来た時、bunママの歩みが急にのろくなり、やがて止まった。お土産物色開始である。
あちこちに江の島名物が並べられ、売り子が声高に口上を述べている。サザエの壺焼きやアサリ………貝細工の舟もあった。また、あちこちに「しらす丼」という看板があって、春先から獲れるしらす(いわしのまれっ子)を、これでもかー!と言うくらい散らした丼で、いたく美味であるそうな。朝めし直後だったのが、残念。
ウロウロしていると、ガラス瓶のラムネがあった。このごろのラムネはプラスチックで、かつビー玉が入ってないから、趣がない。こいつは本物のラムネだ。思わず買ってしまった。深浦のラムネも江の島のラムネも、シュワー、カラカラと懐かしい味と音がした。
だんだん暑くなってきた。田戸さんカーは「いざ、鎌倉!」へと向かう。 |
ぺーじとっぷ |
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■「5月25日(火)」■大仏in鎌倉 |
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鎌倉の街は狭い。が、今日はスイスイである。大仏の近くになったら急ににぎやかになった。いるいる。人山とはこのことである。中でも目立つのが小学生。多分、修学旅行なのだろうがにぎやかで元気で小うるさい。パワーの固まりが帽子をかぶって歩いているようなもんだ。
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大仏は優男(男だよね???)で、いいお顔をしている。天蓋がなく吹きっさらし状態なので、傷みのひどいのだろうが、オラの節穴のような眼力では判断不能であった。
ここは、後にも先にも初めての場所である。平日にも関わらず、参拝客でごったがえしている。オラホの「観音様」もこれの半分くらい客があれば、一年も待たず蔵が建つだろうに………。地の利+人の利というところですかネ。
大仏の右手に一服休憩所があった。ここにはデッカーイ草鞋(わらじ)が飾ってある。片足が畳一枚分くらいある。小学生の一行は盛んに記念撮影をしている。中にはケータイで撮ってっているのもいた。オラも………、と思ったが、小学生に混じっての記念写真はさすがメグサク(恥ずかしく)、諦めた。
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大仏はねまって(座って)いるので足裏は見えないが、あの座高から判断するに、片足で6畳くらいはある。合わせて12畳。置く場所がないかも。
画家のダリに「水虫のキリスト」というのがあるそーで、大抵、周りはひざまづいているので十字架の下から見上げた構図になるが、その時のキリストの足裏に水虫描かれているものらしい。
はて、大仏様の足裏はどうなのでしょうか???雲の上のと考えれば、あってはならないことだし………。
庶民的に考えれば水虫の大仏は圧倒的なカリスマ性を帯びてきます。 んー、どっちだべー??? と草鞋を見ながら一人悩んでいました。 |
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小学生の旅行団(聞いたら、東京や埼玉・群馬)はおしなべて「鳩サブレー」の黄色い紙袋をぶら下げている。遠目にもよく目立つ。鳩サブレーは鎌倉名物のひとつだから、ここの店も修学旅行のコースに組み込まれているのかも知れない。
この鳩サブレーが鎌倉のお土産というのは、田戸さんに聞いて初めて知った意外な事実である。こいつは美味で、よく東京方面のからの方々が持参される。じゃによって、鳩サブレーと「ひよこ」と「雷おこし」は東京名物とばか思っていた。
ン10年も、ひたすら食って、製造場所も分からんというマヌケがここに明らかになったのである。それにして思い込みってーのは怖いものですネー。 (>_<) |
ぺーじとっぷ |
ここまで来てお土産を買わないわけには………と思っていると、田戸ママが次の鶴岡八幡宮の近くに土産屋がいっぱーいあるとのことで、ここは覗き見だけでお仕舞い。ちょっと早いが昼食をとることにした。これも美味しいお奨めの店があるとの事だったが、この混雑では大変。大仏様のお膝元でいただくことにした。
なかなか風情のある店構えのところがあったので、そこに決めた。案内された所は階段の中二階のちょっとしたスペースで、感心してしてしまった。土地利用のプロのなせる技である。そばも大変美味であったが、店の名前は忘れた。
鶴岡八幡宮へ向かう。相変わらずの小学生ご一行様がキャーキャーワーワーとかっちゃましい(喧噪)。加えて外人さんやオラ達のようなお上りさんやらで、大仏と同様かなりの人出である。さすが歴史の真ん中に鎮座している八幡宮である。石段の途中に実朝が斬りつけられた大銀杏もあり、そぐ側にお墓があった。
折角と言うことで、宝物殿にも入ったが、思いがけず簡素で拍子抜けした。オラホの観音様の宝物殿は、名調子の解説員付きで、これよりは見応えがあると思う。深浦にお寄りの節は、是非ともご覧いただきたい。
帰り道、ちっと一服タイムで美術館らしき建物の裏に入ったら、キャットフードが山と積まれていた。多分捨て猫が多いのだろう。目立たない場所だが、半分異臭のするものもあり、八幡宮の意外な一面を垣間見てしまった。 |
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さて、いよいよお土産タイムとなった。あっちこっちウロウロした揚げ句、bunママは鎌倉彫のブローチをgetした。getに際してはbunbunが記念プレゼントということになった。オラへのお返しは無し。
結局は鳩サブレー本店に入り、いろいろと物色する。やっぱり混んでいる。いろんなお菓子が並んでいて試食できる。オラが一番と思ったのは、小指の先ほどのちっこーい鳩の落雁で、食べると豆の香りが口の中に拡がって、甘さ控えめのgoo−な仕上げである。かつ、安い!!
鎌倉は文人墨客など名の知れた住人が多いと聞くが、なんぼなんでもここらで暮らすことはあるまい。山手の方なのだろうか。今回はにぎやかな鎌倉を案内していただいたが、次回があるとすれば、鎌倉の別な顔も見てみたいものである。 |
ぺーじとっぷ |
三大チョメチョメ (その2) |
■日本の「三大八幡宮」は、定番のようです。 |
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No1 |
No2 |
No3 |
八幡宮 |
鶴岡八幡宮 |
石清水八幡宮 |
筥崎宮 |
所在地 |
鎌倉市 |
京都市 |
福岡市 |
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■「5月25日(火)」■海ほたるin東京湾 |
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飛行機の時間もあるので、羽田に向かう。田戸さんは道路を知り尽くしていて、高速道をあっちにヒラリこっちにヒラリと、優雅に運転している。羽田に行く前に「海ほたる」でコーヒーを飲むことになり、木更津方面に向かう。
長ーいトンネルを抜け、地上(海上?)に出ると、そこが海ほたるであった。風は強い。東京湾の真ん中らしく、見晴らしは最高であった。木更津方面に煙突群がかすかに見え、そこに向かって道路が蛇のように続いている。
オラはズーッとトンネルとばかり思っていたのだが、海ほたるからは海上、つまり橋の上を走るのだそうな。
ここはかなり広い。トンネル掘削したときのデッカーいドリルの先っちょがモニュメントととして飾られていた。有明の炭田でこいつを使ったら、あっという間に資源枯渇だろう。 |
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海の中ほどに、指サックの形をしたよく分からんものが見える。どーも人口的に作られたもののようで、田戸さんに聞くと空気抜きの施設ということであった。それにしてもデッカイ空気穴である。都会は何でもデカイ!
見晴らしのよい店で目的のコーヒーを飲む。味はまぁまぁー。周りが広々としてなかなかgoo−な気分である。ネオンまたたく時間とか、早朝は気分よさそーである。時間があれば、もう一回来たい場所である。
羽田に向かう。来た道を引き返すことになる。またまたトンネルだ。羽田まではそれほどかからなかったが、羽田の駐車場まではまるで迷路だ。案内もあるのだが複雑でオラには無理だ。
いつも、飛行機から降りて、ターミナルの外の道路脇で一服するのだが、そこはかなり苦労しないと到達できない場所であることを確認した。 |
買い物は済ませたし、残すは搭乗手続きくらい。青森の空港とは違って並ぶことはない。田戸さんご夫婦に見送られてゲートをくぐった。お二人には大変大変お世話になった。今日一日だけのお付き合いでも、大変だったと思う。心からお礼を言いたい。一年前まではまったく知らない方だったが、深浦のうたごえが縁を作ってくれた。人の縁(えにし)とはまったくもって不思議なものである。
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今回は長くかかった。筆遅のbunbunでも、ビックリするほど長くかかった。記憶忘却すれすれで滑り込みのセーフであった。ふぅーやれやれである。(完結:7/26) (>_<)
世の中捨てたものでは無い。こうしてみると、いろんな出会いがもっともっとあるはずである。人は一人では生きられない!! これは事実である。しかし、その求心力は「良き伴侶を!」の範疇をはるかに越えている。人はとてもわがままだ。わがままを通すとつき合いは狭くなる一方だが、人の順応力+適応力は底知れない。
人が人を評価するのは至難の業である。だから手っ取り早い「肩書き」が幅を利かす。それを鵜呑みにするのも処世術の一つかもしれないが、人が人として人を求めるとき、響きあう波が最優先される。処世術は二の次三の次、いや、九の次十の次だ。人が人として人を求めるとき、そこには裸の自分しかいない。
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ぺーじとっぷ |