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■アイヌコタンでのお祭りは、とても楽しかった。赤い着物を着て、マタンプシを付けると、何となく血の騒ぐところを見ると、オラの身体にはその気があるのかも知れない。

■マタンプシ一本3000円也はその値段分あって、手触りと言い、頑丈さといい、刺繍のあんばいといい。とてもgoo−な逸品である。
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摩周湖その1(ぜーん部バッチシィー!)
■第3日目「6月5日(木)」
 本日も晴天。朝風呂につかって朝飯。朝8時の出発だ。本日の行程は「ホテル−摩周湖−硫黄山−藻琴山芝桜公園−知床斜里(昼飯)−オシンコシンの滝−知床峠−知床五湖−知床さいはて市場−知床ウトロ温泉」(約160km)。

摩周湖その2(ガイドさんと)

硫黄山その1

硫黄山その2
 摩周湖は快晴で霧なし。よって真ん中のヘソみたいな小島も含めて全部見えた。本日は、なかなかラッキーな出足である。

 そー言えば、蟹族の時も全部見えたような気がするな??? ただし風は強烈で、早々に売店に駆け込む方々が多かった。

 硫黄山ではアイヌの服装をして記念撮影。その昔、網走の囚人が枷をつけて硫黄採掘に従事して、鉄の足かせを付けたまんまゴロゴロ死んでいった場所だとか………。

 未だに硫黄の噴出が続く活火山である。噴煙(今流行の硫化水素)で、鈍感なオラでも目と鼻が痛くなった。
 芝桜公園は残念ながら盛りを過ぎていた。もう一週間早かったら………と、係の人がしゃべっていました。ここで記念撮影。

 しかし、見渡すかぎりの斜面に一面の芝桜は圧巻であった。何でも、個人で7割を植え付け、その頃になってようやくボランティアで応援団が出てきたとか。いやはや、そんな方もいるんですねー。

 斜里で昼食。駅前整備の真っ最中で、どこの店も仮店舗だったし、道の駅も開発途上ingだ。中に「扇ネプタ」が飾ってあった。
 ここは弘前との姉妹都市なので、ネプタ運行が行われている町である。弘前藩からの北方警備が事の始まりである。ただし、一冬で全滅に近い生活だったらしい。全員何とかという病気に掛かって、その病気によく効いたのがコーヒーだったと、どっかで聞いたことがある。

道の駅「しゃり」
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芝桜公園

オシンコシンの滝(その1)

オシンコシンの滝(その2)
 オシンコシンの滝は2つから3つになっていた。すごい水量で、これがお湯だったらと………。ここも蟹族行脚でやって来た場所だ。

 海岸の岩は全て真っ黒な玄武岩。知床峠に向かう。この道路は35年前には無かったように思う。

 峠のてっぺんに展望台があり、外国が見えた。羅臼から国後までは30kmしか離れてないとか。晴の天気のお陰で国後島を見ることが出来たのはラッキーであった。

 知床連山を眺めながら知床五湖に向かう。途中の道路のいたる所からエゾ鹿が出没。最初は「あっ、鹿!」とか声を上げていたバスの中も、終いには「何だば、鹿だなぁー」という有様。
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国後島遠望(知床峠)
 ことほど左様にシカが多い。中には腹の大きい奴もいた。バスや車はそっちのけで、悠々と道路を横断するし、道路脇の草をはんでいた。この時期、角は落ちてるので、♂か♀かは、判然としない。

 カーブのど真ん中で乗用車が止まっている。交通の妨げと思っていたら、林の中にヒグマが一匹。黒くて、顔が判然としないが、確かにクマでかなりデカイ。

 バスもカーブにそのまま停車。バスの中は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。お尻だけだったが、熊公の写真も撮った!
 ヒグマには金色と焦げ茶と黒いのがいるそーで、金色が一番凶暴だとか………。
 懐かしの知床五湖に着いた。ガイドさんを先頭に2つの湖を散策。途中、鹿に遭遇。バスの中とはまたわけが違う。よくよく見ていたら食事中だったらしく、笹の真ん中の笹笛にする部分だけを引っこ抜いて食べていた。

知床五湖
 辺りを見ると、笹の真ん中だけがなかった。グルッと一回りしてもう一回笹の新芽に出くわすには、かなり広い場所が必要かなと…。帰りの車窓から、鹿が姿が頻繁に見える。が、熊と鹿に遭遇したせいか、誰も声をあげなかった。「見飽きた!」という感じか。

 ホテルはベットであった。夕食のバイキングには蟹やジンギスカンまで出て、よりどり見取り。これまでの最高という感じのバイキングであった。

 無料のインターネットがあったので、USBメモリーから久し振りにメールをチェックしてみた。メール総数は950件を超えていた。このうち99.99%は不要のものである。削除に20分を要した。

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 ホールで、誰かが講演をしている。聞くともなしに聞いていると「オホーツク老人」の話が出てきた。この方は川端隆さん。昭和44年2月下旬、知床半島を18日かけて流氷の上を徒歩で踏破。その間約100キロ。当時31歳。現在69歳。今から41年前の大冒険でした。

 詳しくは「drift ice」を参照。ここから、戸川幸夫の「オホーツク老人」(昭和35年)、それを元にした森繁監督デビュー作「地の果てにいきるもの」(昭和35年)。 また、知床旅情(サラバ羅臼)とオホ−ツクの舟唄(この曲は東京に帰ってから作ったもの。メロディは同一)へとつながります。

 デッカイ写真(風船岩=現存せず)が飾ってありました。カメラをもってなかったのが残念。サインだけいただきました。
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■第4日目「6月6日(金)」
 本日はあんまし天気が良くない。やっぱ朝風呂は気持ちが良い。昨夜の夜の自然探索では鹿の出産に出くわしたとか…。んー、深浦も大自然に抱かれている場所だが、夜中に懐中電灯もって、狸やカモシカの出産に立ち会ったことは無い。流石超一流の大自然だ。朝飯も豪華版だった。

クロユリと原生花園駅
 さて、本日の行程は「ホテル−小清水原生花園−天都山−網走市内−網走海鮮市場(昼食)−サロマ(車窓)−上湧別チューリップ公園−北の森ガーデン−銀河・流星の滝−層雲峡温泉」(約320km)。

 蟹族の折も原生花園に行ったが、ハマナスしか見た記憶がない。今回も何ーーーんにも無く、クロユリが強風にあおられて、今にも折れそうになって咲いていただけ。
 土産売り場には綺麗な絵はがきもあったが、今日の原生花園は強風の吹きすさぶ、小高い丘でしかなかった。

 バスは網走郊外の天都山へ向かう。何かなと思っていたら、単なる眺望と流氷博物館の選択見学なそーな。当然流氷の方を選ぶ。
 入口で可愛い受付がおしぼりを手渡す。その割には「雑なおしぼりだなだな」と思っていたら、流氷庫内は−30℃の世界だそうで、このおしぼりを数回クルクルするだけで凍るとの話であった。

 流氷に始めて触れてみた。持ち運び用に小型のものだろうが、なかなか迫力のある風景であった。出来ればこの3倍の広さが欲しいけど、ペイしないだろうな。
 そうそう、寒いということで、入口でかっこいい、コートを貸してくれます。

 出る前におしぼりをクルクルしてみたら、簡単に固まってしまった。氷点下30℃は、すごい世界らしい。クリオネも展示されていた。 

これがコート

後ろはエキノコックス源
 車窓から網走刑務所を見て昼食会場へ向かう。空はかなり危ない雰囲気になってきた。昼食後は買い物も無いし、浜に出てみた。雨も降り出した。貝殻がゴロゴロしていたが、ホタテではなくホッキ貝くらいのデカイ貝殻であった。オホーツクの海だ。
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 サロマ湖(どー見ても海にしか見えない)を右手に見て、ひたすらバスに乗る。チューリップ公園に着いた。

 案の定、チューリップは完璧に終了していた。この広さに120万本とか言ってたが、終わった後はどーするんですかね??? 終わったチューリップ園を訪れる人っているんですかね。約2週間目当ての大事業ってーことでしょうか。ここは、皆さん、バスへの集合が早かったなぁー!

 今日はともかく西へ戻るための旅だ。長いことバスに揺られてようよう層雲峡だ。見た感じ変わってはいなかったが、ここの岩は凝灰岩らしく、かなりもろい。蟹族のころに歩いた道路は、危険だと言うことで現在使われていない。

銀河の滝とチューリップ公園の風車
 まぁー、離れて見る分、見やすくなったのもあるが、銀河・流星の滝のように、ワザワザ道を入っていかないと見えないところも多々あるようだ。まぁー崩れたり、折れたりして丸こくなってゆくんですね、山は………。

 ホテル着。本日で温泉三昧ともお別れである。早速風呂へ。湯花(沈んでる)がものすごい。露天風呂は小さいがユッタリできる。帰りしな、良く分からん言葉で大声でわめき合う観光団と遭遇。台湾からの観光客とか。どこでも大声でわめきあっている感じだけど、偏見でしょうか。

 bunママもあとで風呂に行ったらうるさくて大変だっとか。おまけに露天風呂が五右衛門みたいな丸い木の桶。そん中に湯花が………。周りは薄暗い。アカと間違えて、かなりくみ出した後で、湯花と気が付いたそうです。なかなか楽しいbunママではある。
 最後の夕食は時間をかけてユックリと………。あんましユックリし過ぎて、周りを見渡したら2組しかいなかったし、満腹になったので席を立つことにした。

 ホールにPCがあったので、使おうと思ったら100円で15分。これがまた、やたらにつながりの悪いPCで、おけらの掲示板を覗いて、バラライカにカキコしたらoutであった。ホテルなんだから、もーちょい早めの奴にしてほしいなぁー。大きな声がするので行ってみたら、ビンゴ大会。顔見知りもチラホラと………。明日は長旅なので、今夜は早めに就寝だ。
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■第5日目「6月7日(土)」
 本日もドンヨリ。例によって朝風呂。どーも湯治旅行になった感じで、吹き出物が再現してきた。この頃は、大人しくしてくれてたので、薬は持参してない。まぁーしゃーねー。

 さて、本日で朝のバイキングともお別れ。と言っても、初日のバイキングでコリを見ているので、納豆+海苔+梅干し+佃煮+漬け物くらいのもんです。幼き頃、洟を垂らしていた時分の食いもんが、一番身体にあってる感じです。

旭山動物園1

旭山動物園2

アシカ
 本日のコースは「ホテル−旭山動物園−砂川ハイウェイオアシス(昼食)−函館港」(約500km)。
 加えて、「函館港…ナッチャンrera…青森港−深浦」という大強行軍。

 層雲峡を出て、ひたすら旭川に向かう。なまら、遠い!旭山動物園は旭川の市立の動物園で、全国でもかなり有名な動物園と聞いた。

 まぁー確かに人は多いのだが、99%は大型バスによる、我等が○○ツァーご一行さまで、頬笑ましき親子連れの姿はほとんど皆無であった。土曜日なんですがね。そーいう意味では、ブームに乗った名所のような気がした。
 動物のお食事timeが人気らしく、それを目当てにというのが、ここの売りのようである。

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 バスの中で2回目3回目という方がいたので、どんなすごい!所かと思っていたが、見せる見て貰うというコンセプトには変わりないので、珍獣でもいないかぎり、青森県の人が2回目3回目も来ることは無いと思っていたからである。  現場に来て納得。牛に曳かれてではなく、バスに載せられてが正解でした。

 フクロウの小屋でしばらく時間を潰し、猿山で餌隠しを見学し、久し振りに水辺の哲人カピバラに会って帰ってきました。山腹を利用し、真ん中の通路から右に左に見所を配置した、楽しめる動物園です。

 そうそう、オランウータンは最後に高い木の上に登ってくれましたが、綱渡りはしませんでした。残念!

カピバラとクモザル

羊蹄山
 さて、ここからはひたすら高速道路をひた走ります。一日目に走った道路の反対車線というこってす。
 車内では、 昨日から始まったガイドさんによる「オホーツク」の再講義が始まり、最初の試験は60点。この歌、出だしが「大ちゃん音頭」にうり二つ。ここさえクリアーすれば何とか歌える歌である。

 ガイドさんはお座敷小唄に似ている………と言われてると言ったが、しゃべった乗客は大ちゃん音頭をご存じなかったのだろう。
 ちなみに、いなかっぺ大将(1970)という柔道アニメのテーマsongで、歌は吉田よしみ( 現天童よしみ)。家に帰って、早速midiにして、バス会社に連絡を入れたが未だに音信無し。返事くらい寄こしてもよさそーだが………。こんなくだらん所で評判落としてどーすんのかなーと思いつつ、「my car!」という結論だ。
 森町のトイレ休憩で名物のイカめしを買う。一人前に5つも入っている。ギュウギュウ詰めのめしは、2つ食えば腹一杯。残りはお土産とした。函館港到着。運転手のtakahasiさん、ガイドのsinoharaさんには、安全運転と楽しいガイドのお礼を申し述べた。

 ナッチャンreraに乗り、一路青森へ。コーヒーを2杯呑んで、kawamuraご夫妻と話をしてたら、青森着。皆さんにお別れの挨拶をし、帰路に着いた。
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ナッチャン・Reraいろいろ

函館ターミナル

ナッチャン・Rera内部

ナッチャンへの乗船通路

 夜中の明日になろうかという時間に、ようよう深浦に着いた。旅行中気になっていたムシャリンドウは無事咲いていた。玄関先にクマガイソウが新聞紙にくるまれて置いてあった。あらら、いつ置いていったんだろう?? 忙しくて、楽しくて、かちゃましかった「バスツアーin北海道」は無事終了した。
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遅くなりました。<(_ _)> (2008/11/10) by bunbun