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青年歌集/第一篇 「再刊にあたって」
昭和28年05月01日改訂 関 鑑子編著  定価100円
昭和36年04月20日再版
■日本には優れた民謡や民族舞踊が北から南へのさまざまな気候や風土生活の異いの中からそれぞれめ特色や伝統をもってうけつがれてきております。この事は日本人が歌や踊りを好む環境にも恵まれていた明るい民族であるという事を示すものではないでしようか。

■今日でも殊に若い人々はのびようのびようとする自然の力をもっているのですから、歌い踊るのは当然でしよう。憂うつだと云っも口笛が出たり、苦しい時にもはねのけようとする力が大きい、二人三人よれば歌になりピクニックには勿論、大勢よって歌の出ない事はありません。
 歌う人が多くなればなる程、作曲家も新らしい作曲に没頭しなければならないでしようし、歌う人々の心もちをよく表現した曲を作らなければならないでしよう。

■私は歌う人が一人でも多くなる事をのぞんでおります。まだまだ歌声は小さいように思います。日本中から明るい健康な歌声のきかれる平和な情景を考えると、そうなる為にはもっともっと努力しなくてはいげないと考えます、さきに申しました様に、日本の音楽や舞踊の伝統を生かし・現代の生活の中から、更に発展させるためには、こうした音楽を愛する大衆と専門家の努力との交流が本当に大切だと思っております。

■全国に歌う友達をもち、職場の中で皆さんと共に歌い、時には公演で、レコードで、映画でおなじみ深い中央合唱団も創立三周年を迎えましたので、その記念の一に青年歌第を今度はじめて合唱団の手によつて発行する事に致しました。今までの不備な点を訂正し、選曲も新たにして皆さんの御希望をくみ入れ、出来る丈よいものにしようと懸命にやっております。

■では全国の歌のともだちえ合唱団より贈る、この小さい贈物を皆さんの御力でどうぞ大きく生かして頂きますよう、私よりも御願い申し上げます。
1951年11月 関 鑑子(於:音楽センター) 青年歌集 pagetop




















青年歌集/第二篇 「歌ごえは平和の大きい力」
昭和30年12月01日 改訂 関 鑑子編著  定価100円
昭和36年04月20日 再版
■新らしい青年歌集第二篇が出来ました。日本の民謡と日本人の作曲が多いことが特色です。皆さんの希望によって作曲して頂いたものが多く、いづれも中央合唱団で歌って喜こばれ、愛誦されております。どの歌もメロデイ(ふし)が美しいので四部合唱しないところでも皆さんでメロデイを歌って下さい。
 日本民謡を歌う時には踊りの手振りを想像して動きのとれる歌い方、リズム(拍子)よく歌うことが大切です。さもないとダラダラとして了って民謡らしい明るさが出てきません。悲しい歌でも区切りよく歌うことを忘れると悲しい歌でなくつまらない歌にきこえます。嬉しいといふことも悲しいといふことも人間の生きた感情です。それをはっきりと現はすことが芸術−歌ですから、歌う時に注意する事と云へば、歌う人も聴いている人も生き生きと楽しめる、つまらなくならないようにする事ではないかと思います。 よく先生の云ふ通り歌つて大きくと言へば大きく、早くと云へば早く歌つているけれど、どうもしっくりしない、面白くないといふことをききます。それは先生と皆さんとの生活、考へ、楽音の経験のちがひから当然起ってくる事ですから、皆さんでどう歌ったら元気づき、楽しくなるのかを工夫してみて下さい。
 それを仲間の友達にきいてもらひ、みんなで話合つて会合を張り合いのあるものにして下さい。音楽を型にはめてキュウクツにしないで、先づのびのびと声はりあげて歌いましよう。音チ、音チなどとけんそんしている人の中にびっくりする程よい声の人がいますし、人々を明るくする性質の人がいるものです。むづかしい四部合唱より、まづ色々の歌を覚えて折あれば一緒に歌って下さい。

■歌ごえは楽し、歌う人の心の素直さ、自然な表情は誰の気もちも明くします。うるさいといふ人やむづかしいことを云ふ人は、どこにもいますが、然し働く仲間にうたごえが高まり拡がればその力の大きさはくらべものになりません。
 歌うのだ自信がないという方は今までの習慣で声を出すといふ事になれていない丈ですから、一度思い切って歌って了ふともう平気になります。自信を少しでも確かなものにする為に発声や音階を習ふことは一層よい事です。
■声は自然に出すことがよく・自然にきこえる事がよいので、専門家といっても不自然な作り声は感心しません、音階は物さしの様にきまった度合いをもっていて、その判断は耳がします。従って声や音にさとい耳となる様に注意して聴こうとすることが大切です。あまり大きい声を出し過ぎ耳がきこえないと他の人と調和していない事に気づきません。
 よい声は健康と明るい心からと云ひましようか、十人十色それぞれ特長があってよいので細い声は細いなりに、太い声は太いなりによさがあり、このちがふ声が音楽的に調和してゆくところに面白味があるのです。

■はじめに日本民謡が多いと書きましたがまだまだ少な過ぎる位です。地方のみなさんどうぞお国自慢の歌を送って下さい。外国では東洋の音楽の研究を盛んにやっておりまず。日本の中にまだまだ埋もれている、よい音楽が多いと思います。生活とむすびつい
た歌、例へば田植歌や草取り、刈入れの歌や、豊年祭の歌、漁夫に関係深い数々の海の唄、養蚕や桑摘み唄、雪のいろり端でお茶わんをたたいて歌う歌、念仏歌から御詠歌など、生活生産に結びついた歌と郷土の英雄−働く人達を護つて地主やお上とたたかった人々を慕ふ歌、郷土の景色の美しさを歌ったものなど知らせて下さい。調査にゆくことも致します。踊りもついているものは必らず一所にしましよう。
 色々の外国の民謡や音楽を私共が歌うように外国へも日本のよい音楽を誇りをもって知らせましよう。こうした歌ごえの交流がひろがり深まることは世界の平和にとても大きい力となります。

■ 青年歌集を愛誦して下さった、たくさんのおともたち! どうかこの第二篇で一層平和の歌ごえをひろげて下さい。終りに作曲して下さった先生方に御礼申上げ今後も御協力下さることをみなさんと一緒に御願い致します。 編輯の仕事は小野光子・奈良恒子が直接あたりました。
関 鑑子(於:音楽センター) 青年歌集 pagetop




















青年歌集/第三篇 「歌ごえはひろがる」
昭和29年07月15日 発行
関 鑑子編著  定価100円
昭和36年05月15日 再版
■何と歌ごえの盛んになつた事でせう。歌はずにはいられない、この歌たやすまいともう一日の生活になくてはならないものになってきました。
 うたう会に集る特別に歌の好きな人々だけでなく職場のなかに歌ごえが起ってきました。各地のみんなうたう会・歌と踊りの会・合唱交流会の盛んな事と参加した人々の明るい喜こびがぞくぞくと知らされてきます。その中では埋もれてゐた民謡が新らしくほり出されて紹介されたり、自分達の手で自分達の歌をと作曲がされたり、青年歌集の第三篇はなかばうたう人々によって出来上ってしまう有様です。

■一九五二年の中央合唱団の創立記念音楽会の名まえであった「日本のうたごえ」は五三年には全国合唱団参加の盛犬な音楽会の名となり、今日では全国のうたの運動の総称ともなっております。そうして第二篇でよびかけた「歌ごえは平和の力」はうたう人々の胸にはっきりきざまれて、うたが単なる慰みごとてないといふ確信が、うたう人々を本当に明るくし、誰れもがひき込まれてうたいたくなるといふ雰意気を作っています。

■日本は音楽の国、特に声学の国と云はれる伊太利と同じく、ひろく海にかこまれた歌うのに気候の適した国ですから、もともとは歌の盛んな所なのです。従つて民謡の多いこと、豊かなメロデイの多いことは、世界に白慢してよい事なのですが、長い封建的な生活の為に、全身の歌う機能が眠っていたのでせう。今日盛んになつたうたごえ運動と共にのびのびとしたよい声質が発揮されてくる事でしよう。

■あのいやないやな戦争がやつと済んで十年、歴史的にみると日本は明治以来十年に一度位戦多をしてゐるのです。この頃又、原爆だ水爆だと恐ろしい声をきくとただ恐ろしいといふだけでなく、うたう人々の間に平和をのぞむ声が強くひびいております。それが又、多くの人々の平和を愛する心と一致して、うたごえがひろまってゆくのです。そうした人々の生活・考へをよくとり入れた、青年歌集でなければこんなにも愛される歌集の役目は果されません。

■第三篤の編集にあたっても一番そのことに心を配りました。ですから希望の曲を出来る丈とり入れましたが、第四篇にまわしたものも沢山あります。従つて第四篇も早く出版する事になります。つづいて希望の曲や民謡や、作曲を送って下さる事を御願ひ致します。尚、踊り・うたい方・、楽典・うたう会のあり方等の希望が大変多いのですが、その発表の方法も考へております。
 初めにも申ましたが、うたう会、うたごえの発展は目ざましいばかりですが、今おこってゐる近江絹糸で働く気の毒な若い人々は何一つの歌も知らなかったといふ事です。かけつけたうたう会や合唱団の人々と塀ごしにカチューシャや、民独をうたひ合ひ、励まし合った時には、あの彦根の町中にそのうたごえがひろがり、子供達が「きけ万国の労働者」とうたい乍ら遊んでゐます。よい歌、生活の歌は吸取紙に吸ひこまれるように浸みわたりひろがってゆきます。この小さい歌集にもられてゐるヒュウマニテイ(隣人愛)があなたの心と声を通して身近かから、波絞のようにだんだんひろがり、やがて日本中に平和の歌ごえがきかれる事を願っております。

■作詞・作曲・採譜の上で御協力下さつた多くの方々の御厚意を深く感謝致します。編輯の仕事は中央合唱団の中尾富子があたりました。

一九五四年七月 関 鑑子(於:音楽センター) 青年歌集 pagetop




















青年歌集/第四篇 「うたごえを全国民のものに」
昭和30年04月10日 発行
関 鑑子編著  定価100円
昭和36年03月20日 再版
■一九五四年の「原爆許すまじ日本のうたごえ」は何という素晴らしさでしたでせう。参加した方々はあの感激の思ひ出に今も励まされて居る事でしよう。全国より集まった三万人のこの心のうたごえに会場は全く一つに溶け合ひました。
 一つとして生きてゐない歌はありませんでした。その数々の歌で青年歌集第四篇はこんなに見事に編輯されました。これは皆様の力です。

■あの様な盛大な大会も一人一人のよりあいの十人、二十人のサークル・歌う会の集りである事をいつも忘れたくないと思って居ります。うたごえをひろめませう。一人の仲間が一人の仲間を! 歌いながら。暗い日本に僕たちの明るい笑顔とほがらかな歌声を! と歌いながら仲間によびかけてゆきましよう。
 到底歌を楽しむなどの余裕はないという百万の苦しんでゐる人々も歌う事によって慰められ、励まされ、心が通じて団結のきづなが苦しみから立上る勇気を与へる事を知るならば、どんなにか歌ごえを喜こぶ事になりましよう。

■日本中の人々が心の歌を歌ったならばそれはどんなに大きい力になるかわかりません。今、中国では「東京−北京」の歌がどこでも歌われてゐるそうです。これはアジアの平和の表れです。この間モスクワ放送は「原爆許すまじ」を歌ひました。もつと多くの国々の人に歌ってもらう為には、日本中でもっと歌われなければなりません。
 アジアの国々・世界の国々・アメリ力の人達ともこの平和の歌ごえをかわしたいものです。「日本の歌ごえはいい」と云うことになればきっとみんなに歌われるようになるでしよう。

■この青年歌集第四篇の出版が出来上る頃には私はヨーロッパで世界学生青年友好祭のために世界のうたごえ交流のために活動して居りましよう。今日、様々な困難をふみこえて皆さんの原爆許ずまじの歌ごえの力におされて羽田から飛び立って、はるかに、遠く日本のうたごえをきくことになりました。
 皆さんお互に平和の為に、歌ごえの為に、うたごえが全国民のものになるまで、青年歌集が全国民の手に渡るまで元気に明るく動活しようではありませんか。

■私の留守中も音楽センターの奈良垣子がずっとこの青年歌集の仕事にたづさわります。何卒どんどん創作をおよぜ下さい。

第四篇の編輯を終えて、羽田より出発の日/一九五五年二月二十一日 関 鑑子(於:音楽センター) 青年歌集 pagetop




















青年歌集/第五篇 「うたごえを世界の友と」
昭和31年05月01日 発行 関 鑑子編著  定価100円
昭和36年08月15日 再版
■この小さい青隼歌集のはたしている役目は益々大きくなりました。1955年青年歌集第四編の編集を終えて、春から夏へかけての中国・ヨ一ロッパの旅行と、ひきつづく8月のポーランドの首都ワルシャワに催された世界青年学生平和友好祭は世界114ケ国の青年による民族的な音楽(勿論他の芸術・文化と共に)の博覧会ともいうぺく、居ながらにして各国の音楽に接する事が出来ました。

■その中には日本の中央合唱団を中心としたうたごえの代表も参加して、青年歌葉の中の歌と踊りで、目ざましい活躍を致しましたが、朝鮮・中国ぱ申すに及ぱず。アメリカやフランスの青年達ともうたごえを通じて友情を交流することが出来ました。
 広島が原爆の惨禍にあった8月6目を世界中の原爆反対平和の日として各国の合唱団が合同で「原爆許すまじ」の歌を大合唱致しました。その後で各国合唱団が集まつてお互の国のよい歌を交換しあっ又機会を作つてこの様な大合唱をしようと約束しあいましたが、青年歌集は皆大よろこぴで持つて帰り、中国では東京一北京や原爆許すまじは翻訳されて、小学校でも工場でも、もう歌って居ります。

■この様にして世界の人々と交換した歌がこの第五編の中には数多く入って居ります。それと一緒に働く人々、歌ごえに参加する人々が自分の手ではじめて創作した歌や、自分達の村や町に古くから伝わる民謡を自分達の手で堀り起したもの等を1955年の日本のうたごえから採録致しました。

■こういう日本の歌を外国の人々は心から愛します。民族の美しいメロデイにも新らしい歌にもられた現代日本青年の平和への熟望や生活建設への意欲等歌を通じて強い関心を示しました。
 又、ソヴィエトの作曲家や中国の作曲家やドイツの作曲家は自分の作品がこんなに日本で歌われている事に驚き、且つよろこで居りました。私たちはお互にこうして各国の歌や詩を知れぱ知る程、考え方や表現のし方について学ぶ事が多くなり、自分達の作品を更に豊かにしてゆく事も出来れぱ、よい形やまだ充分でない形、又は民族調という様な事についても話合うことが出来ます。流行歌や俗曲との違いもわかり、好みも次第に変ってくるでしよう。

■然し歌は何よりも先ず歌うことです。仲間たちと、又は一人で一考えたり、教えあったり、注意したり、ほめあったりしながら精一杯歌ったあとの快さ、この喜こぴがなけれぱ、うたごえは決してひろまりません。ワルシャワから代表たちがもって帰ったシユワヂヴェチカ(娘さん)はまたたく間に日本国中にひろがってゆきました。みんなの好きな歌のひろがり方は、海綿に吸われる水のように鮮やかなものです。次々にいい歌を作らなければならないと痛感致します。

 この第五編が少しでも皆さんの生活を明るくする事に役立ち、平和な集りを賑わし、苦しい闘いを励まし、みんなで住みよい国を創ってゆく行進曲であるよう願って居りまず。このような仕事をもっとつづげてやるようにと、国際スターリン平和賞を世界の友から授けられたので、私は自分の一番望みの仕事をして、それが世界中に認められたので、本当に喜こんでいると同時に皆さんと御一緒に益々この仕事を発展させたいと決心して居ります。
1956年3月 関 鑑子(於:音楽センター) 青年歌集 pagetop




















青年歌集/第六篇 「病いいえて・皆様に贈る第六篇」
昭和35年05月01日 発行 関 鑑子編著  定価100円
昭和36年03月20日 再版
■青年歌集によって結ばれた全国の皆様、ここに漸く第6篇を御贈りできました。1956年以来の病気の為に発行がおくれた事を御わび致します。私が東京で、モスクワで入院治療中も日本のうたごえはどんどん発展し、青年歌集第1篇から5篇−特集への要望は高まるばかりで、いつも増刷に逐われて、おります。

■一方楽器店書店に類似の歌集の種類は非常に多く驚くばかりです。これは一般的に合唱・歌曲が要求されて居る事を語って居ります。と同時に青年歌集の特色は益々発展させ、御期待に応えなければならない事を感じます。

■青年歌集は中央合唱団の演奏と並行して発行してきました。その特色は国民の生活の反映であり、前進への希望であり、斗争の真只中から生れた創作等であります。その殆んど全部が大衆の中で創作されております。
■日本民謡はその原曲に忠実なものと作曲家の創意によるものと民謡調のものを含んでおります。ソヴェトロシアを初め外国曲についても、いつも中央合唱団の演奏を通じ、全国の中心合唱団−日本のうたごえ運動を通じて広く紹介して居ります。青年歌集と演奏−これをきり離して考える事はできません。

■青年歌集は必らず歌われるよう、これは私の心からの願いです。青年歌集の愛唱者の範囲は非常に広いので皆さんからの希望は必らずとり入れるようにつとめております。日本のうたごえの約束「うたごえは平和の力」の線にそって、平和を愛し、平和を求め、平和を護る、歌の数々をもって青年歌集をかざってゆきます。

■青年歌集と共に日本のうたごえがつねにつねにひろがってゆく事は本当に力強い励ましであると同時に責任の重大さを感じております。ひきつづいて第7篇・第8篇の発行も予定されております。あらゆる点での御援助と御鞭撻を御願い致します。
1960年3月 関 鑑子(於:音楽センター) 青年歌集 pagetop