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音楽講談「うたごえよたたかいと共に」
+荒木栄物語+

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■荒木栄物語■
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自作自演 :大谷 竹山
●客席の電燈、暗転し荒木栄の作曲歌「もえろもえろ闘魂もえろ(もやせ闘魂?bunbun注)」が流れ出す中に開幕。演者、高座に現れ、釈台に座り一礼すると、曲終わる。以下、読者は音楽の部分はそれを思い浮かべつつ読んでください。

 ええ、講談といいますと、若い人には余り馴染みがないようです。仇討の話や忠臣義士の物語、または、封建的義理の話ではそうなるのが当然でございます。

 その、あまり親しまれていなかった講談を、働く人民大衆から愛好されるようなもの、つまり、民主的で、民族的で、大衆的な香りの高い講談に創りあげたいわけです。民族の音楽、うたごえがそうであるように、講談も日本民族のよろこびと悲しみ、怒りと、希いを、うたいあげたいのです。

 そのようなのぞみをこめて、わたくしはここに労働者音楽家荒木栄の物語を講談にし、自分で演じることに致しました。
   かえりみれば、三十八年間の短い生涯の中、さらに短い十三年間の音楽生活とはいえ、のこされた作詞作曲の数々にまつわる思い出はとても一席の読切講談では語りつくせるものではありません。

 しかし荒木栄についての記録は、その音楽的業績について多くの評論、解説が多いが、彼の伝記、逸話、生活記録といったものはほとんど、まとめられたものが見あたりませんでした。

 従って、手さぐりで書いたこの講談は、いわば最初の試作品ともいうべきもので、荒木以外の人物はすべて仮名(かめい)、創作上の人物で、モデルもありません。ですからこの講談は全国各地で実演する中で、大衆に教えられて練り上げられ、特に現地で、それを望む次第でございます。

 また、ことばも九州の方言をまともには書き得ず、標準語に近いものですが、これも大牟田の現地で書き改めたいと思っております。
   さらに、音楽と講談を結合させたこの一つの試みは、特に労音の会員の中で練りあげていただきたく存じております。

講談中の大谷竹山

 では、荒木栄物語
−−うたごえよ、たたかいと共に−−
  
作成(2008/01/10) by bunbun pagetop


●ピシッ!と、ここで張扇を叩く。
 張扇とは大きな舞扇の一番上の骨だけを一本とり、これをベタベタと日本紙で、幾重にも張り固めたものです。

 一九五九年、十二月七日、わが国労働運動史上、最大のたたかいとなった三井三池の闘争の火蓋は切って落とされたのであります。即ち、一四〇〇人を越える「指名退職勧告書」というものが会社側から発せられたのです。

 共産党、社会党をはじめ、多くの組合活動家がこの名指しの中に入っておりました。会社はこの前にも六〇〇人に及ぶ首切りをやったばかりです。アメリカの石油をどんどん入れるため、石炭の方は不景気だというのが口実ですが、同時に首切りあとの少ない人数で、うんと働かせて、大資本家三井が、うんと儲けようという合理化の首切りです。
 こうなっては組合側もついに堪忍袋の緒を切って、猛然と立ち上がり、三井三池の闘争は天下のストライキとなり、たたかいの火の手は燃え上がるばかり、ついに、一九六〇年夏、ホッパーの争奪戦となったのでございます。
   ええ、ホッパーと申しますのは一口に云えば石炭の貯蔵所でございます。船や貨車で積み出す前に、石炭は一度ここに貯蔵されます。ですから、ここをおさえて積み出せないようにしてしまうと、きたない話ですが一種のふんづまりのようになってしまい、会社がいくら労働者中の裏切と分子を使って第二組合を作り、炭を掘らせてみても、ふんづまりでは、すぐお手あげになります。
 掘らせても貯蔵できません。そこで、このホッパー争奪戦が三池ストライキのいわば天王山、関ヶ原となったわけでございます。

 二万を越える警官が動員されて、弾圧体制がしかれる中で、こちらも二万を越える労働者と全国からかけつけた応援隊とが対峙して、まさに火を吐く寸前のきびしいにらみ合いがホッパー前の広場で展開されました。

 ちょうど、このたたかいの最中です。東京は日比谷の国会議事堂も、連日数万のデモ隊に包囲されておりました。今だに忘れ得ぬ安保反対の闘争です。アメリカ側の弾よけになって、戦争地獄の道づれをさせられる条約、安保条約改悪に反対して、日本中が湧きに湧いたたたかいです。
   なにしろ当時は浅草のストリッップのステージでも、ストリッパーが、服やブラジャーを一枚一枚ぬぎながら「安保、反対!安保、反対!」とやったんですからねえ、子どもの遊びにも「安保反対ごっこ」というのがあったくらいなもんで、いや、もう、たいへんなさわぎでした。

 その安保のたたかいが三池のたたかいを支え、三池のたたかいが、安保のたたかいの一環となって、日本人民は歴史的な大闘争をくりひろげておりました。

 デモ隊うず巻く国会周辺でわきあがる「うたごえ」、これと全く同じ「うたごえ」が、海山はるか越えたここ九州三池のホッパーの前で、今日もまた天にひびけとうたわれていたのでございます。

●張扇鳴り、講談中止、「がんばろう」の歌が流れ出す。歌は第一節を高らかに、第二節から音がしぼられる。その低く流れる音楽に乗って、また講談が語られ始める。歌は二節で終わり、あと講談のみ。
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 歌声うず巻くホッパー前に座り込んでいる見渡す限り労働者の中に、小柄だががっしりした荒木栄と大男の深井清一が、隣りあわせで座っています。二人の体は荒縄で腰のあたりをたがいに結びつけています。
 いまや二人だけではなく、多くの人たちが縄で結びあっているのは警官がおそいかかり、ごぼう抜きにされるのを防ぐためです。頭にはいずれも鉄かぶと、手にはいざというとき、武器とも変わるプラカード。

 「のう、荒木さん、いつ聞いてもよか歌ですたい」
 「やあ、ありがとう。君たちにそげん云うてもろうたら、おれも作る張合があるよ」
   「だけど、荒木さん、みんな不思議に思っとるが、荒木さんはそげん多か歌を、いつ作っとるか。組合や党の活動も忙しかろに、それに合唱団の仕事もあるし、落ち着いて、歌を作ったり、作曲するひま無かと思っとるが」

 「うん、おれ、作詞作曲はどこでもできるんじゃ。腕組んでデモ行進している時でも頭ん中に曲が浮かぶこともあるし、こうして座りこみしているときもな、手帳におたまじゃくしを書いてるときもあるんじゃ。ほれ、見ろよ………」  ポケットから出して見せるアカハタ手帳。終わりの方の余白のページ。なにやら音楽記号がこまかく書き込まれていた。

 「なるほど………おれ、作曲ちゅうもんは、静かな部屋で、ピアノでもポンポンたたきながでなかと、でけんもんと思うとった」

 「そんなことはなかと。おれ、こうして、たたかいの中の方が、すうっと、曲が浮かんできよるんじゃ」

 話しているところへ、知らせがきて、清一の兄の庄五郎が居住地の緑ヵ丘住宅で検挙されたという。それッというので、清一と栄は四、五人の労働者と共に駈けつけました。
 家の前は一杯の人だかり、二部屋しかない家の中も見舞いの主婦や娘たちで一杯です。男は多くホッパーやその他へ出ていてあまりおりません。

 「あ、清ちゃん」
   庄五郎の女房マサは四二、三歳、色は黒いがガッシリした炭鉱の主婦です。

 「うちの父ちゃんな、第二組合の人と喧嘩して、相手をけがさしたじゃと、それで、警察に持ってかれてしまった。制服が二十人もと、私服が三人も来てな、手錠かけての」

 「ちきしょう ひどかごとしやがる」 「うちの父ちゃん、口べたじゃけん、第二の連中と口喧嘩しとううちに、ついなぐりっこになったんじゃろ。父ちゃん、かわいそうじゃ、十六ん時から坑内で働いてきたと、それが四十五にもなって首じゃけん、気が短かなるんも、当り前じゃ、………あれ、荒木さんも一緒か、気がつかんで、すまなか」

「奥さん、心配なか、今夜にでも大勢でデモかけて父ちゃんの釈放要求するばい」

「すまなかあ、わし、父ちゃんがやられて、いなくなって、今さら、荒木さんがいつか作って教えてくれた歌、思い出したんよ。わしらの気持、あの歌のとおりじゃけん」

「そうか、ありがとう。そう思ってもらうと、おれ、作ったはりあいがある。音楽作るものの妙利と思っとる。じゃ、どうだ、ここに集まってるみんなで、あの子守歌、うたおう、おれ、指揮さしてもらうけん」

「よか、賛成!」「異議なし」「頼むぞッ」
 緑ヵ丘炭鉱住宅に静かに流れ出す「三池の主婦の子守歌
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●張扇ピシッと鳴り、講談休止、同時に「三池の主婦の子守歌」流れる。二節続いて、張扇ピシッと鳴り、曲終わる。講談、始まる。
 ええ、こうしてたたかいつづけられた三池闘争も、安保条約改悪案通過、岸内閣につづく池田内閣の策動により、組合側は会社の首切り案を大体においてのむような形で終わりをつげたのでございます。しかし三池のたたかいは安保のたたかいと一つになって、日本人民の団結を大きくもりあげ、日米の支配階級の座を大きくゆり動かしたのでございます。

 だが、一方、首切案や安保条約が通ったために、一部には失望や、いわゆる挫折感といったものがみなぎったのであります。三池の若い人たちの中にもそれは現れ、あの深井清一も毎夜のように大牟田の盛り場のおでん屋で呑むようになりました。

 「おやじ、もう一本くれよ」
 「清ちゃん、それくらいでやめときなよ」

 「売りもん、買いもんじゃろ、くれといったらくれよ」
 「清ちゃんも変わったな。ストライキの最中はそんなじゃなかった。じゃ、これ一本だよ」
おやじが出す酒を呑みつづける清一。
   「清一君、おれだ」
 「ああ、荒木さんか。おや、みよちゃんも一緒か」 荒木と、清一の恋人で、リンゴのようなほほをしたみよ(みよ子?bunbun)、合唱団のメンバーです。

 「清ちゃん けいべつするわ」
 「けいべつされても、おれ、どうしようもなか。がっかりしちょって、淋しか気持じゃ」

 「清一君、無理はなか。しかしだ、労働者はいくらつまづいても、また立ち上がるんじゃ、最後にはきっと勝つたい。自分を捨てて、どうなる。自分の力で立ち上がるんじゃ。」
   「いつか中国の代表が来たときじゃ、誰やらが、おれたちこげん山捨てて、中国で働きとうなったと言ったらのう、中国の代表の人が言うとった、中国は皆さんを何万人でも迎える力はある。しかし、日本の労働者は日本の祖国でたたかい、自らを解放することだと。中国の人民は何度も敗れ、何度も挫折した。しかし最後には人民が勝利したと。なあ、清一君、元気を出すんだ」
 荒木が清一を説いている最中、街を歌いながら通る若い人たちの歌声がきこえてきました。それは荒木栄自身の作曲歌だったのです。
●張扇ピシッと鳴り、講談休止、「心に夜はない(心はいつも夜明けだ? bunbun)」の歌声、高らかに流れて来る、第一節は音高く、第二節より低くなり、講談それに乗って始まる。歌は第二節で終わる。
 元気にあふれて歌い流れる声をきくうちに、清一は暗い胸にかすかな明るい光りを感じていたのです。
 清一よ、元気を出せ、ストライキのときの、あの元気はどうしたのだ。三池の山に一時的に暗い夜はおとずれても、わかものたちの胸には夜はないのだ、いつも夜明けの光りに向かって立ちあがるのだ−−うた声はそう自分を励ましているように、ひしひしと清一の胸に迫ったのです。清一は盃から手を放すと、黙って立ちあがりました。
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 こうして、荒木栄の歌は多くの人たちの心に火をともし、燃えあがらせていましたが、やがて、たたかい疲れた彼は病の床に倒れ、肝臓ガンと診断されたのです。
 そして大牟田の病院の一室に横たわる身となったのでございます。傍には彼の妻が看護しております。

 「母ちゃん、長い間、苦労かけたのう」
 「なんじゃな、まるで永の別ればするようで、おかしか」

 「いや、おれ、自分の寿命を知っとうけん、死ぬことは、恐れとらん。ほんとに恐れとらん。しかし、ほんとは死にとうない。生きたいんじゃ。生きて、生きてのう、もっと歌ば作りたか、もう一度でもよか、指揮棒が持ちたいんじゃ、のう、母ちゃん、もう一度でよか、指揮棒ば持ちたかなあ」
 荒木のやせ衰えた頬、くぼんだ両眼、その眼はまだ情熱に燃えて輝いているのでした。

 そこへ、深井清一とみよ子のわかい夫婦が訪ねてきました。先日結婚したばかりです。
   「すまなかなあ、二人の式に行けずと。こんな形でなかば、二人に祝いの曲は作ってやったのに………」
 「ありがとう、でも、わたしたち、荒木さんの曲を次づぎと歌ったんです。荒木さんが出席してるんと同じか、みんなそう言っとった」

 「そうか、みよ君も……… 二人とも、まだ若か人たちじゃ、うらやましかのう」
 「父ちゃん、あまりしゃべると、体に悪か」

 「大丈夫じゃ、おれ、まだ元気だ。おれな、労働者の天下が必ず来るという確信ば、ますます強か持っとるのじゃ、それがうれしかなあ」
 「荒木さん、その元気だもん、大丈夫よ。あ、それからね、合唱団の人たちのおみやげ持ってきたの。わたしたちの結婚式で合唱した荒木さんの作った一番新しい歌のテープよ」

 「ああ、ありがとう、すまんが、そこでかけてくれないか」
 「はい ………」
   みよ子は枕元のなかまから送られてきていたテープレコーダーに、持参のテープをかけ、スイッチをひねりました。静かに流れ出す曲、それこそ、近づく死を前に荒木栄が一代の情熱をこめて作曲したものでございます。
●張扇ピシャリと鳴り、講談休止、「母なる太陽(わが母のうた? bunbun)」の歌が静かに流れる。低く静かに。二節目より、それに講談がかぶさる。
 かくて、日本の労働者階級が生んだ最大の音楽家、荒木栄は、数かずの名曲をのこして、一九六六年十月二十六日、秋風渡る大牟田の一角に、三十八年の短い生涯を終わったのでございます。
 しかし、かれが、うたいあげたうたは、今なお、そして、将来まで、日本人民のたたかいと共に、高らかに、うたいつづけられて行くことでございましょう。「うた声よ、たたかいと共に」一席の読切講談でございます。
●講談、読み終わると共に、音楽高まり、ますます高まる中に幕。 完
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■後記■
 各地の大衆団体、労音、うたごえの集まりなどでもっとキメこまかいものを口演したく、その中で教えられ、練り上げたく存じますので左記へご連絡下さい。(住所等は省略します)
 その場合は音楽はテープを持参せず現地の人たちにコーラスとして頂くのも一案と思います。音楽と講談の握手です。