●ピシッ!と、ここで張扇を叩く。
張扇とは大きな舞扇の一番上の骨だけを一本とり、これをベタベタと日本紙で、幾重にも張り固めたものです。 |
一九五九年、十二月七日、わが国労働運動史上、最大のたたかいとなった三井三池の闘争の火蓋は切って落とされたのであります。即ち、一四〇〇人を越える「指名退職勧告書」というものが会社側から発せられたのです。
共産党、社会党をはじめ、多くの組合活動家がこの名指しの中に入っておりました。会社はこの前にも六〇〇人に及ぶ首切りをやったばかりです。アメリカの石油をどんどん入れるため、石炭の方は不景気だというのが口実ですが、同時に首切りあとの少ない人数で、うんと働かせて、大資本家三井が、うんと儲けようという合理化の首切りです。
こうなっては組合側もついに堪忍袋の緒を切って、猛然と立ち上がり、三井三池の闘争は天下のストライキとなり、たたかいの火の手は燃え上がるばかり、ついに、一九六〇年夏、ホッパーの争奪戦となったのでございます。 |
|
ええ、ホッパーと申しますのは一口に云えば石炭の貯蔵所でございます。船や貨車で積み出す前に、石炭は一度ここに貯蔵されます。ですから、ここをおさえて積み出せないようにしてしまうと、きたない話ですが一種のふんづまりのようになってしまい、会社がいくら労働者中の裏切と分子を使って第二組合を作り、炭を掘らせてみても、ふんづまりでは、すぐお手あげになります。
掘らせても貯蔵できません。そこで、このホッパー争奪戦が三池ストライキのいわば天王山、関ヶ原となったわけでございます。
二万を越える警官が動員されて、弾圧体制がしかれる中で、こちらも二万を越える労働者と全国からかけつけた応援隊とが対峙して、まさに火を吐く寸前のきびしいにらみ合いがホッパー前の広場で展開されました。
ちょうど、このたたかいの最中です。東京は日比谷の国会議事堂も、連日数万のデモ隊に包囲されておりました。今だに忘れ得ぬ安保反対の闘争です。アメリカ側の弾よけになって、戦争地獄の道づれをさせられる条約、安保条約改悪に反対して、日本中が湧きに湧いたたたかいです。 |
|
なにしろ当時は浅草のストリッップのステージでも、ストリッパーが、服やブラジャーを一枚一枚ぬぎながら「安保、反対!安保、反対!」とやったんですからねえ、子どもの遊びにも「安保反対ごっこ」というのがあったくらいなもんで、いや、もう、たいへんなさわぎでした。
その安保のたたかいが三池のたたかいを支え、三池のたたかいが、安保のたたかいの一環となって、日本人民は歴史的な大闘争をくりひろげておりました。
デモ隊うず巻く国会周辺でわきあがる「うたごえ」、これと全く同じ「うたごえ」が、海山はるか越えたここ九州三池のホッパーの前で、今日もまた天にひびけとうたわれていたのでございます。
●張扇鳴り、講談中止、「がんばろう」の歌が流れ出す。歌は第一節を高らかに、第二節から音がしぼられる。その低く流れる音楽に乗って、また講談が語られ始める。歌は二節で終わり、あと講談のみ。 |
|