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■ 今朝はいい天気だ。朝飯前に少々散歩をした。大分歩いてmainストリートに出たところで一台のバイクにあった。乗り手を見ると竹内さんだった。
 すると、昨夜のライブには長野からこのバイクで…。バイクはカブであった。今どき売っているのかどーか知らないが、オラにとっては懐かしのバイクである。というより、バイクに乗ってた時分にはカブしかなかった。
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ウツボグサin戸隠
■歓迎コンサートinおやき大学「3日目7月18日(月)」
 朝食後お泊まりのみなさんはチェック・アウトし、それぞれの今日に向かって出発だ。唐土さん・Oryさんも帰るようなので、写真をご一緒させて貰った。topページのアブ君はこの時の可愛い奴である。

 今日は午後の新幹線で東京。羽田から青森に帰る。午前中はおやきさんが迎えに来て、いろいろ案内してくれる事になっている。唐土さん・Oryさんが出発して間もなくおやきさんが見えた。マイタケ山に別れをつげ長野に向かう。

 途中でコーヒータイムということになり、「圭子の台所」とかいうおやきさんお奨めの場所に行った。長野の郊外にはこのようなお店がたくさんあるようで、おやきさんは良く知っている様子だ。
 ログハウスのようなそーでないような造り。鶏の放し飼い(こいつ等はコココーと呼ぶと直ぐ来た。慣れてる)と猫の放し飼い。

 中は落ち着いた感じである。おやきさんが面白い物が………というので、二階に上がると、ここのご主人が作ったというナイフが所狭しと展示してあった。
 テラスにご主人がいたのでお話を伺ったら、ナイフどころか人生の蘊蓄の固まりで、危うくコーヒーを飲み損ねるところであった。お話の最後に、跡継ぎが家を出てしまい、「ここも俺達で終わりだろうなぁー」というのが妙に記憶に残っている。圭子ママのコーヒーは絶品であった。
 標高の高い場所ではあるが、季節は夏。オラホの景色と似たような風景が続く。長野と言えば善光寺。善光寺は戒壇巡りとなるのだが、今回は時間もないのでパスだ。

 本日のメインイベントは「歓迎コンサートinおやき大学」という奴である。車の中でオシャベリをしているうちにおやき大学に到着。時間はほとんどお昼である。ここでおやきの中身(おやきを取りまく素敵なワラハンド)に会えることになっている。

 建物はかなり古いが、セキュリティーはしっかりしているようで、カードを入れないと中には入れない仕掛けになっている。ワラハンドの休日の出入りは大変のようである。まぁー、今どきの若げものは、来ないから大丈夫か。
ぺーじとっぷ
 研究室の真ん中にでっかいおやき必需品があって、かなり狭苦しい。窓際ではしっかり「ハカラメ」が育っていた。本日のイベントはおやきさんがワラハンドに「オラの友だちが来るから、何かやる???」のひと言で決まったとか。今どきのワラハンドはどんな方たちかと、わくわくする。
 会場は研究室のお向かいの講義室。あるのは椅子と白板とピアノと………その他。コンサートをやってくれるおやきの中身達がニコニコして待っていてくれた。全員、目のキラキラした方達だった。簡単なご挨拶をして、椅子に座ったが聴衆はおやきさんを含めて3人である。
 代表のsimura君のあいさつがよかった。「おやきせんせに教えていただいたことと受けた愛を………」とおやきさんに対する自分たちの気持ちを話してくれた。おやきさん、お尻がモゾモゾしたかも知れんけど、人生で一番嬉しいひと言だったと思う。

 楽器演奏も含めて数曲演奏してくれたが、みんないい演奏だった。特に「ぼくらのいた場所」は作者の解説つきで、曲を作った思いを語ってくれた。
 オラ達にもその思いを話したかったのだろうが、歌ってるおやきの中身にも語りかけていたような気がする。やはり、自分たちの思いがこもった歌は光ってる感じがした。当然、楽譜getである。

 でっかいWベースを弾いていたので、見せて貰ったら5弦ベースである。聞いたことはあるが触ったことがない。おやきさんも今気が付いたようである。ズーと気になっていたのは余計な1本が低い方か高い方かという素朴な疑問で、聞いてみたら低い方の「C」であることが分かった。

 コンサートの後、bunbunが何か語れ!というおやき命令だったので、少しだけお話をした。
 深浦の話をしてもなんなので、青森県内の就職の状況を少しだけお話をしたが、かなり真剣に聞いてくれて、こっちは少々ビビった。何せ、オラの話をこんだけ真顔を聞いてくれるワラハンドには出会ったことがなかったから………。

 まぁー、名だたる貧乏県とここでは求職の状況も違うだろうし、あまり参考にはならなかったと思うが、情報提供にはなったと思う。

 それにしても、今回のイベントには感激した。3連休のおしまい、食事時、得にもならないこと………etcをどこの馬の骨とも分からない人間のためにやってくれた気持ちが嬉しい。おやきさんとおやきの中身の諸君の強い人間的な信頼関係がないと無理だと思う。

 あの健やかな具材を見ただけで、おやきさんの人柄がが分かる気がする。歓迎してくれる気持ち、大きな声、素晴らしい歌声、そして演奏。
 あの健やかな具材を見ただけで、おやきさんの人柄がが分かる気がする。歓迎してくれる気持ち、大きな声、素晴らしい歌声、そして演奏。そのどれをとっても「今、ここで生きている!」ということをドーンと表に出している。今まで、それほど気にしていなかったが、あのキラキラしたおやきの中身達に会って、初めて退職になったことを残念に思った。そんな人と人との繋がりの中で、生き生きしている「おやきせんせ」がとてもとても羨ましい!と感じた。

 残念だったことが一つ。車の中で「録音するぞ!」と思っていたのに、録音機を置いてきてしまったのである。思い出したのが、今から演奏!という時だったので「ちょっと待って!!」とはとても言えず、録音しなかった。まことに無念であった。

ぺーじとっぷ
 素敵なおやきの中身達に見送られて、おやき大学を後にした。お昼も食べていないので、駅前で軽く食べることとした。前回は確か駅前のホテルに泊まったような気がする。暑いのであまり人出も少なく、駐車もすんなりOKだった。そーおっしゃいますがね、何が大変て駐車が一番大儀でしょ。

 信州なら「蕎麦だろう!」ということで、駅前のナンチャラという食堂に入った。結構込んでいる。名前は忘れたがお品書きに「これぞ信濃路! ・・・」とか書いていた冷たい蕎麦を注文した。天かす+海苔+なめこ+大根おろしがのっかっていた。味はすこぶる付きの美味しさだった。オラはあんまし蕎麦を食べないが、そんなオラでも信濃の蕎麦はひと味もふた味も違うような気がする。シャキっとした食感がなんとも言えない。

 新幹線の時間が近づいてきた。駅に向かう。駅の脇っちょで本物のおやきを売っていた。長野紀行のお土産としてはbestだ。おやきの中身は「茄子・野沢菜・カボチャ・切り干し大根・しめじ・あんこ………」といろいろだ。

 おやきの脇っちょにマジック(多分食紅みたなものと思う)で付けたような「ポチ」があって、赤が一個だと「茄子おやき」で三つだと「しめじおやき」とか、分かり易いように印を付けてある。結局、新幹線で食べる分を1箱。お土産用に7箱くらい買った。これで新幹線用のおやつは確保である。(^o^)

 新幹線の発車は午後2時。改札口でおやきさんに見送られ、新幹線に乗った。約2時間で東京。飛行機は午後6時頃なので、早めに羽田に向かった。tadoさん達だともっと時間を有効に使うのだろうが、オラ達の時間はユックリ目が丁度いい。羽田からのフライトは時間通りで、7時には青森空港着。オラの運転も時間通りで9時30分には深浦に到着した。

 今回も中身の詰まった「長野紀行」となった。長野のおやきさんには折角の3連休をオラ達のために使わせてしまった。申し訳ないとは思っている。
 物ではないが、たくさんのプレゼントをいただいた。このプレゼントは電話やメールの間接的なつき合いでは貰えないものである。おしゃべりや食事やほほえみの中からしか貰えない直接的なものである。何にもまして、おやきの中身に出会えたことが一番のプレゼントであった。
 ありがとう おやきさん!!

■その後のカブトムシ&おやきの中身 ■
 その後のカブトムシ

 おやきさんは、カブトムシをご近所の子ども達に配ったようです。カブトムシは子ども達のあこがれですから、おやきさんも即座にカブトムシ博士になり、あこがれの対象となったようです。まぁー、クーラーboxにおよそ30匹ですから、たいがいブッタマゲルですね。
 ついでに、こー言ったらしい。「これくらいは、ojisanに取っちゃー朝飯前だよ。実は、戸隠にね”マイタケ山”というのがあってね、ここには1mくらいの奴がいるんだ。ojisanはね、こいつを狙ってるんだけど、なかなかねぇー」と………。30匹大集団を見せつけられ、かつ分けて貰って、この口ぶりだからね、子ども達のまなざしはあこがれから「尊敬」に変わる。当然、翌朝からは「親分 おはようございます!」てーことになったらしい。
 結局、マイタケ山の巨大カブトムシは取り逃がしたらしいが、んな事言って、来年どーすんだろ??? それより夏も過ぎて久しく、子どもの気持ちも移ろいやすいもんだし、おやきさん、今でも「親分 おはようございます!」なんだろうか??? ただのojisanに戻ってたりしてて………。

 その後のおやきの中身

 おやきの中身たちはこの就職難の折り、全員が自分の希望進路を達成したとうかがった。おやき教室開闢以来の快挙とか………。それぞれの努力に心から拍手を贈りたい。
 挨拶してくれたsimura君は大学院に残り、おやき教室を希望。ベースを弾いてくれた方は別の大学でベースマンを目指すとか………。
 この4年間で沢山の思い出があると思うが、あのキラキラした瞳と前向きな姿勢を思い出の消費に費やしてほしくは無い。みんなで作り上げたもの、おやき大学で培ったものを根っこに生きてこそ、いつまでも今の瞳と姿勢を貫けると思う。遠い津軽の地よりおやきの中身諸君の悠久なる未来に幸多かれとお祈りいたします。
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