岩手県北上市出身のシンガー・ソングライター「きたがてつ」さんは憲法前文・9条に曲をつけ20年以上も歌い続けています。いわて労連「鈴木露通事務局長」さんがインタビューしました。
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鈴木 |
■「平和憲法・9条をまもる岩手の会」の呼びかけ人になったそうですが、なぜですか。 |
てつ |
■岩手の九条の会が出来ることを大変うれしく思っています。
今、全国で九条の会が次々と誕生していて、僕自身も、そのいくつかの発足のイベントに呼ばれてコンサートをしています。都道府県単位だけではなく、地域、例えば郡や市町村単位でも生まれていて、その動きはたいへんな広がりになってきているようです。
そんな中で岩手の九条の会が、たくさんの方の呼びかけで発足して、岩手出身の僕としては、そして憲法を二十三年間歌ってきた者として、大歓迎で、呼びかけの案内が届いた時は「待ってました」という思いでした。(笑)
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鈴木 |
■今の憲法改悪の動きについてどう思いますか。 |
てつ |
■ 今、危機的な状況に追いやられている憲法を、しっかりと見つめ直し、そして生かすための、輝かせるための行動をしていくことが、とても大切なことだと思うのです。
改憲を企てている人たちは、アメリカにあおられ、テロやイラク戦争をきっかけにして、この際に、一気に改憲へ持って行こうとしています。世論さえ操作して、あの手、この手で、何としても成し遂げようと必死です。
そんなことを絶対許すわけにはいかない。9条岩手の会の皆さんとも力を合わせ、岩手のいろんな人たちとも話し合い、力を合わせながらそういう動きにストップをかけ、憲法をより生かし、輝かせる運動を力強くすすめていけたらと思っています。
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鈴木 |
■出身は岩手だそうですが。 |
てつ |
■北上市です。昔は飯豊町でしたが、今は村崎野というところです。両親は農業をやりながら農協に勤めていました。農協労組でも活動していたんですよ。
僕は小さい頃は病弱で、よく入退院を繰り返していました。そんな中でもよく遊びに行ったのが、宮沢賢治の暮らしていた、羅須地人協会跡地で、いつも不思議な所だなーと思ってました。イギリス海岸へもよく釣りに行ってました。あまり釣れなかったけど(笑)
そんな影響もあってか、岩手大学の卒業論文は宮沢賢治研究でタイトルは「宮沢賢治の作品におけるリズム」でした。賢治の作品の中のリズム感はどこからきているのかいろいろ調べたんです。賢治の豊かな感性から生まれた部分も多いと思うのですが、岩手の言葉、文化、生活、歌などから生まれたり、影響を受けた部分が圧倒的で、岩手のすばらしさが賢治の作品に凝縮しているのではないかと思うんです。
僕の「九条」の歌の終わりに、賢治の言葉「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」を重ねています。
僕自身の音楽活動にとって、生まれ育った北上や、岩手大学時代のうたごえサークルでの活動が、今思えば、とても大きな財産になっていると思います。
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鈴木 |
■歌い始めたきっかけはいつからですか。 |
てつ |
■歌手になった直接のきっかけは二十歳の時の病気でした。当時、日本で十数人しかいなかった大変珍しい病気、変な病気じゃないですよ(笑)腫瘍(しゅよう)の一種でその当時は良性だから大丈夫と言われていたのですが、後に悪性腫瘍、つまり癌だったと知らされました。
その病気がきっかけで、死の少し手前まで、いった時に枕元に置いていたラジオから音楽にとても強い衝撃を受けたんです。その曲が「ブラザーサン・シスタームーン」という映画のテーマソングでした。音楽がこんなにも体を心をふるわせ、生きるエネルギーをかき立ててくれる、元気になることが出来たら自分も歌って、たくさんの人とそんな音楽を分かち合いたいと思ったんです。それが大きなきっかけでした。
中学生時代からの作詞・作曲や、岩大時代の「うたごえ」の活動がバックボーンになっていたと思います。波瀾万丈の青春時代がこの道に導いてくれたという気がします。
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鈴木 |
■いままでどういう活動をして来たんですか。 |
てつ |
■たとえば今年は憲法キャンペーンで五十カ所ほどで、その他、コンサート、イベント、集会など合わせて百十回ほど演奏してきましたが、他にやることもたくさんあるので目が回るほどの忙しさでした。歌い始めて今年で三十年目なので約三千回ほどの演奏で直接聞いてくれた人の数は百五十万人くらいではないかと思います。。でも病院などへ一人のために歌いに行ったことも何回かありますし、何万人の前で歌うこともたびたびありますので形態は本当にさまざまです。圧倒的に平和のためのコンサートが多いですが、いろんな祭り、祭典のゲスト、学校公演、時には記念講演としてのトークコンサート、テレビのドキュメンタリーの取材出演、本の出版、争議団の支援。
最近では韓国のソウルでW・C・O(ワールド・カルチャー・オープン)という世界的なイベントがあって、招待を受けて演奏してきました。野外のステージで七千人くらいのお客さんたちが、僕の「まつり」の歌に合わせて「ワッショイ、ワッショイ」のかけ声をかけてくれたり、ハングルで一緒に「朝露」を歌ったり、僕にとっても大変感動的な意義深いステージでした。
今までの演奏一回一回、ドラマがあり、エピソードがあり、話し始めたらたいへんな時間になってしまいますが…
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鈴木 |
■なぜ憲法前文を歌にしようと思ったんですか。 |
てつ |
■曲をつけたのは二十四年前で、正直とても苦労しました。なにしろ一字一句変えることは出来ないでしょう。できるだけシンプルで印象に残る曲にしたいと、アドバイスをしてもらったりしたので、作曲は三人でしたことになっています。
なぜ歌にしたのかというと一番大きな理由は、憲法を暮らしに生かしたいと思ったんです。僕にとって生かすということは音楽にすることで、当時は、憲法を歌っちゃっていいのかな?という雰囲気があったんですが、最近では当たり前の雰囲気になっているのが不思議な感じです。
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ぺーじとっぷ |
鈴木 |
■当時は「憲法を暮らしに生かそう」というスローガンを掲げる自治体が多かったですね。 |
てつ |
■そうですね。憲法の理想をもっともっと暮らしの中に生かしていこう、九条があるのになぜ戦力としての自衛隊があるのかなど矛盾が多い中にも将来に対する想いには熱いものがありました。
憲法をもっともっと輝かせたい、暮らしに生かしていきたい。曲をつけて歌い始めてその思い、願いは変わりないです。いや、もっと強くなってきていると思います。一九九〇年には日本テレビ系列(岩手ではテレビ岩手)のドキュメンタリー’90の出演をきっかけにして九条にも曲をつけました。最近では二曲セットで歌うことが多いのですが、こんなに素晴らしい内容だったのかと改めて憲法の一言一言を再確認される方も多いようです。
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鈴木 |
■憲法改悪反対の運動とも結びつきますね。二〇数年歌い続けてどんな反響がありましたか。 |
てつ |
■まず学校でぼくの歌を授業で使ってくれている先生がとても多く、各地のコンサートなどでたくさんの先生方から「使わせていただいて、たいへん役に立っています」というようなお礼を聞くことが多いんです。前文や九条を歌で覚えるとたいへん早く覚えられるようで、「試験の時助かりました」という生徒からのお礼の手紙や、メッセージも届いたりしています。もしかするとこれもひとつの「暮らしに生かす」ことなのかもしれません。僕が歌うだけではなく、前文、九条のカラオケも出ていますので、全国各地でいろんな場面で歌われています。
でも、多くの若者などは、なかなか憲法を目にしたり、まして僕の歌を耳にしたりする人はまだまだ少ないと思うのです。より精力的に歌を届け、憲法の本当の意味、役割を再確認できる機会をつくっていく必要があると思います。
改憲の意見に傾いている多くの人の中の圧倒的大多数は、政党の動きや、マスコミの報道に影響を受けて、漠然と「改憲」の方へなびいていると思うんです。
憲法の歴史を知ったり、内容を知ったり、イラクの現状、また、沖縄の現状をしっかり目を見開いて見れば見るほど、憲法の果たしてきた役割、そしてこれから果たすべき役割が見えてくると思います。
理屈では伝えにくいこと、難しいことはイヤだと思っている人でも文化として受け止めた時にそれがとても納得できるものであったり、ストンと胸に落ちることもあるのです。
文化、芸術はとても素晴らしい力を持っていると思うのです。政治やマスコミが正常に機能することが少ないこの時代だからこそ、文化、芸術の果たす役割はとても大きいと思います。
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鈴木 |
■幅広い、いろいろな運動が必要だと思い、いわて労連でもいろいろ考えているところですが。 |
てつ |
■憲法に関しては難しい、とっつきにくいというイメージがありますよね。実は僕自身も歌にする前はそういうイメージが強くて敬遠する方だったんですが今は憲法についていろんな人と話をするのが楽しいんですし、新聞などで憲法の文字があるだけで切り抜いたりしてるんです。実際に僕自身、憲法学者の方たちのような専門的な知識はあまりありませんが、憲法が大好きだからもっと知りたいし、大切にしたいと心から思っているのです。「大好きな恋人のようだね」とある人から言われましたが(笑)
そういう思いを大事にして、そこから具体的な行動に移していくことがとても大切なことだと思います。憲法の大ブロシキ、バッジ、絵ハガキ、バンダナ、Tシャツ、タペストリーなどいろんなグッズも出ています。お国ことばでの前文や九条の朗読、もちろん僕の作った前文、九条も歌ってもらえれば最高です
地味な活動も大切です。「九条の会」のポスターを貼ったり、チラシを配ったり、たくさんの人に呼びかけたり。さっきも言いましたが、文化的な行動が、より世論を動かしていくと思います。楽しく、ねばり強く、しなやかに、運動を広げていくように一緒にがんばりましょう。
今年は、僕が歌い始めて三十年です。五月三日に新しいアルバムを出します。八月にはベトナムに歌いに行きます。そして九月から三十周年のコンサートツアーが始まります。日本の憲法がどうなっていくか正念場の年です。体調を整えながら全力で「平和」を大切にする歌を歌い続けていきます。岩手のみなさんとも歌い交わす機会が多いといいなと思っています。
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鈴木 |
■今度はコンサートで歌を聞きたいと思います。今日は本当にありがとうございました。 |
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ぺーじとっぷ |