水師営の会見(G)
尋常小學読本唱歌(第五學年)/明治43年

作詞
作曲
佐々木信綱
岡野 貞一

旅順開城 約成(やくな)りて
敵の将軍 ステッセル
■乃木大将と会見の
■所はいずこ 水師営

『二人の我が子それぞれに
死所を得たるを喜べり
■これぞ武門の面目めんぼく』と
■大将答こたえ力あり

庭に一本ひともと 棗(なつめ)の木
弾丸あとも いちじるく
■くずれ残れる 民屋みんおく
■今ぞ相あい見る 二将軍

両将昼食ひるげ共にして
なおもつきせぬ物語
■『我に愛する良馬りょうばあり
■今日の記念に献ずべし』

乃木大将は おごそかに
御()めぐみ深き 大君おおぎみ
■大みことのり 伝(つと)うれば
■彼かしこみて 謝しまつる

『厚意謝するに余りあり
軍のおきてに従いて
■他日我が手に受領せば
■ ながくいたわり養わん』

昨日の敵は 今日の友
語ることばも うちとけて
■我はたたえつ かの防備
■かれは称えつ わが武勇

『さらば』と握手ねんごろに
別れて行くや右左(みぎひだり)
■砲音つつおと絶えし砲台に
■ひらめき立てり 日の御旗

かたち正して 言い出でぬ
『此の方面の戦闘に
■二子を失い給(たま)いつる
■閣下の心如何にぞ』と
 
読本唱歌(明治43) 尋常小学(大正02)
新訂尋常(昭和08) 初等科4(昭18)


歌詞:08/01/26/midi:08/06/12-12/02/12-12/12/12/おけらの唱歌
■水師営の会見の水師営は、中国旅大市旅順の西北にある地名。日露戦争の際、日本軍の果敢な攻撃によって旅順城が開城することになり、明治三十八年一月五日、日本軍の司令官乃木希典とロシア軍の司令官ステッセルとが会見したことを歌ったもの。
 辛うじて「崩れ残った民屋に」とは随分ひどいところで会見したものであるが、日本軍が衛生隊本部にあてていた李宜蘭という中国人の家だったという。ここにちょっと点出されたナツの木は人々に記憶され、よく話題になった。二人の和やかな会見の様子がよくわかるように、そうして気持よく歌われており、「きのうの敵はきょうの友」という言葉など、これがもとで一般化した。
 後日談として、このあと、ステッセルは敗戦の貢をロシアで問われ、死刑を宣告されたが、乃木は旅順での彼が勇敢有為であったことを弁護して、その生命を救った。そんなことから、のち乃木か明治天皇の崩御に際し殉死を遂げた時に、ステッセルは深い哀悼の意を表してきたという話があった。
 この歌は短音階で歌われるところから日本人好みの哀感が湛えられ、たとえぱ詩人の野上彰氏・中山卯郎氏は、子どものころの愛唱歌としていた。この歌は、昭和二十一年から学校で教えることがさしとめられ、「初等科音楽」で姿を消した。
2015/07/22 日本の唱歌より・