荒城の月(Am)
中学唱歌/明治34年

作詞
作曲
土井 晩翠
滝 廉太郎


春高楼(はるこうろう)の 花の宴(えん)
めぐる盃(さかづき) かげさして
千代(ちよ)の松が枝(え) わけいでし
  ■むかしの光 いま何處(いずこ)

秋陣営(あきじんえい)の 霜(しも)の色
鳴き行く雁(かり)の 数見せて
(う)うるつるぎに 照(て)りそひし
  ■むかしの光 いまいづこ

今荒城の よはの月
(かわ)らぬ光 たがためぞ
(かき)に残るは ただかつら
  ■松に歌ふは ただあらし

天上影(てんじょうかげ)は 替(かわ)らねど
栄枯(えいこ)は移(うつ)る 世の姿
(うつ)さんとてか 今もなほ
  ■嗚呼(ああ)荒城の 夜半(よは)の月

中学唱歌(明34) 新尋常小(昭10) 中学1年(昭22) おけら歌集「か行」


歌詞:08/03/16/midi:09/01/13//楽譜:bunbun(2016/04/16)おけらの唱歌

■♪〜春高楼の花の宴…。1901(明治34)年「中学唱歌」の1曲として世に出た歌。
 滝廉太郎(1879-1903)が思春期を過こした大分県竹田市の岡城跡にこの歌の詩碑(晩翠筆)があり、作詩の土井晩翠(1871-1952)が思い描いたという福島県会津若松市の鶴ヶ城跡や晩翠が生涯を送った宮城県仙台市の青葉城跡にも詩碑がある。
 作詩者29歳、作曲者21歳の作。廉太郎はこの歌の前から「花」「箱根八里」「お正月」等を連作しており、外国曲への当て込みでない日本語曲への動きが強まっている時期でもあった。
 国際的に普及したのは、テノール藤原義江(1898-1976)が、これも20代の時、1921(大正10)年英国公演で絶賛され、米国ビクターの申し入れでレコード化(1925)したことが大きい。
うた新「歌の小箱」146(**/**/**)