母の願い 【Cm】
+すずききよし作品集+

作詞

作曲
大貫 弘
すずききよし
すずききよし


鎖にとらわれた 幼い息子の
肩ににぶく重い 銃がある
誰か あの子の身体から
銃と背嚢を 下ろしてくれ
息子よ お前が 世界の母に向かって
銃を撃つ間は 私を母と呼ばせない
母と呼ぶ自由はないのだよ

鎖にとらわれた 幼い息子に
もし戦場(戦の庭)で 会ったなら
兄弟と呼べる 人々よ
この母の願いを 伝えておくれ
兄弟を殺す 銃を捨て
母の待つ 部屋に戻るように………

●同名異曲: すずききよし曲 関 忠亮曲



新おけら歌集(04/03/03) / コロポcheck(04/08
■この曲は、アメリカのオデッタやピート・シガーが楽譜を持ち帰り「良い曲だ!」と誉めていました。 すずききよし
「歌の里」由来記
すずききよし
 初めて「歌の里」という言葉を耳に(いや眼に)する人もいるかも知れないので、一寸その由来を書きたいと思う。 私たちがフォーク・ソングという、アメリカ渡来の、快く耳に響く歌を知ったのは、多くの場合、ピート・シーガーの来日によるもので、やがて、物真似のうまい日本人のこと、メロディやコードなぞソックリの日本製フォーク・ソングが氾濫しはじめたのがlO年程前である(バラが咲いた等)。
 やがて、一般には忘れさられ、ロックンロール時代となったが、キャンパスでは、英語でピーター・ポール&マリーとか、プラザース・フォアなどのコピーが静かに流行り、やがて高石友也やフォーク・クルセダーズのヒットで「日本語のフォーク」プームが生まれた。

 岡林信康、高田渡、五つの赤い風船、中川五郎と関西出身のフォークシンガーやフォーク・グループがそれに続き、アングラ・ブームなる不思議な言葉と共に「反体制」「プロテスト・ソング」などという言葉がマスコミでもてはやされたが、体制はそれを野放しにする程、お人好しでなく、やがて巧妙に圧カを加えてきた。 また、いわゆるフォーク・シンガーの方も、下手な唄でも歌えば、お金になるところから、段々、最初の口上と違って、おかしな具合になってきた。

 もともとアメリカのフォーク・ソング運動にはジョー・ヒルの伝統を受け継ぎ、ウディ・ガスリーやピート・シーガー、そしてジョン・バエズや、レン・H・チャンドラ一などに伝えられた三つの柱がある。それは、「人種差別からの解放と自由」「貧富の差別からの解放と自由」「性の差別からの解放と自由」である。
 従って、アメリカでは、フォーク・ソング運動は、公民権運動や、平和運動、ウーマン・リプ運動などの市民運動や、労働運動としっかり結びつき、発展してきたものである。
 ところが、日本では、当初こそ、その恰好を模倣していたが、何時のまにか、例えば「性の差別からの解放と自由」の言葉から、「差別」の言葉を抜き取り「性の解放と自由」「フリーセックス万才」という風に、換骨奪胎どころか、目的をねじ曲げるものさえ出て来たのである。そして、学園闘争の分裂などと結びつき、挫折、退廃化へと進んでゆくものも少なくなかった。

 こうした中で、本当にフォーク・ソングを愛好する若者たちが、「これではいけない、なんとかしなければ」と始めたのが「歌の里フォーク運動」である。
 京都フォーク・スクール出身の「中島光一」が組織した、フーク集団ポロが二年目には、京都の各学園・地域のフォークサークルと共に京都フォーク・ソング連絡会議を組
織し、大阪、和歌山、兵庫などのフォーク・グループや、アマシンガー達と共に鬼退治で有名な大江山で、第一回「歌の里」フォーク・キャンプをもったのが1971年夏であった。ゲストに、プロシンガーの上条恒彦、中川イサト、村上律、もんた・よしのり、野田淳子、中村洋子、島ミツヒロ、若林英一とグループ無現などを迎え、講師陣も、音楽評論家の矢沢保、関谷邦夫、それに私や詩人も加わり、3日間のミーティングや、学習分科会、コンサートというスケジュールで、鍛えられた。
 その後、第2回、第3回は京都・山崎町の宝積寺というお寺でもたれた「歌の里」フォーク・キャンプは、今では全国的な運動となっている。

 北海道中標津の北海道牧場のフォーク・キャンプ、福島歌の里フォーク・キャンプがもたれ、その輪は広がり、全国フォーク・ソング連絡会議の結成も間近に控えるようになった。このフォーク・ソンク連絡会議の運動方針が、「真に民衆の歌としてのフォーク・ソンク精神を正しく継承発展させる、また、創造、普及する、民主的な諸音楽運動と連帯、交流する」などを決めて実行しており、その根本が、フォーク・ソングの原点にあることから、「歌の里」となったものである。

 1973年夏は、「第一回全国歌の里フォーク・キャンプ」が京都でもたれた。尚、東京でも、74年5月3・4・の3日間奥多摩で第一回「奥多摩歌の里」フォーク・キャンプが開かれ、400名を集め、現在の「東京フォーク・連絡会議」の足掛りとなった。第2回「歌の里」は、9月に開かれる予定である。
 年を追う毎に拡がる「歌の里」の輪が、目本列島の隅から隅まで、「点を線に、線を面に」する日を期待している。
SINGOUT1(一声社 1974/05/25刊)引用