ステンカ・ラージン【F】

詞曲
訳詞
ロシア民謡
与田 準一


久遠にとどろく ヴォルガの流れ
 ■目にこそ映えゆく ステンカ・ラージンの舟
 ●目にこそ映えゆく ステンカ・ラージンの舟
……以下■は繰り返し……
ペルシャの姫なり 燃えたる口と
 ■うつつに華やぐ 宴(うたげ)流る

ドンコサックの群れに いま湧く誹(そし)
 ■奢(おご)れる姫なり 飢ゆるは我ら

そのかみ帰らず ヴォルガの流れ
 ■覚めしやステカ・ラージン 眉根ぞかなし




新おけら歌集(07/07/29-09/04/23) ロシア民謡アルバム/ 楽譜:ビーさん(07/10-12/10)
■ステンカ・ラージン原歌詞■ 抜粋=ロシア民謡の歴史:S43北川剛著:音楽之友社
 現在、歌われている「ステン・ラージン」の歌詞は、ヴォルガ地方の詩人D・サドフニコフ(1843-83)が死んだ年に発表した「ヴォルガの使者」という詩集の十二番目にある「島のかげから獲物めざして」だが、いまではたいへんポピュラーな唄になっているので、その原歌詞をご紹介しよう。

島のかげから 獲物めざして
河波のひろがりの ただ中に
漕ぎ出でた 色あざやかな
■ステンカ・ラージンの小舟
     「何も惜しまない この荒荒しい首も」
威厳に満ちた声が
岸辺にひびきわたった

「ヴォルガ ヴォルガ 生みの母よ
 ヴォルガ ロシアの河よ
 おまえは見たか
 ドン・コサックの贈物を
 自由になった人びとの間に
 いさかいを おこさぬために
 ヴォルガ ヴォルガ 生みの母よ
 さぁ 美女を受けとってくれ」
(へさき)には ステンカ・ラージンが
姫と抱きあって すわっている
新しい婚礼の 式をあげて
■彼は陽気に 酔いしれている
だが 姫は目をとざし
生きた 心地もなく
泣き出しそうに 黙って
■酒に酔いしれた
■アタマンの声を聞く
そのうしろにきこえる ささやき
「われらを おの女にすりかえたな
「たった一夜 彼女と結ばれたら
■朝には自分まで
■女みたいになった
力強く 手をさしのべて
彼は美しい姫を 抱きあげた
そして 流れゆく波間に
 ■彼女を 投げ入れた

「どうした兄弟たちよ
 なぜ黙っている
 さあフィリカよ 踊ってくれ
 波の彼方に 眼をむけて
 彼女の冥福を 祈ろう」
このささやきと あざけりの声を
恐ろしいアタマンは 聞きつけた
そして 彼は力強い手をのばして
■ペルシャ姫の 体をつかんだ
アタマンの眼は 怒りで血ばしり
黒い眉を みひらいて
雷鳴のような声を とどろかす
島の彼方から 河の中洲の
河波のひろがりの ただ中に
漕ぎ出でたのは 色あざやかな
 ■ステンカ・ラージンの小舟

■♪〜へ久遠に轟くヴォルガの流れ…。元歌はたいへん短い旋律を繰り返す12節を、物語るように歌う長い曲。
合唱団白樺指揮者だった北川剛(1921-86)によれば、ロシアでの従来の叙事詩が、そのリズムや旋律性を音楽的に発展させた「史歌」となったのが14世紀頃。その主人公は当初、貴族だったのが、民衆の中で語り伝えられる英雄へと変遷し、民謡として残ってきたという(音楽之友社『ロシヤ民謡アルバム』)。
 この歌は、17世紀、貴族や領主の圧迫に耐えかねて農民革命を起こしたステンパン・ラージンを歌ったものの一曲。訳は暗示にとどまっているが、元歌は自由を求める共同体の結束と引換に怯える新妻をヴォルガ河に投げ落とす悲惨な内容。
うた新「歌の小箱」127(**/**/**)
■ステンカ・ラージン
 代表的なロシヤの民謡である。日本の民謡と違うところは、民謡そのものに、当時の政治、風俗、人心などの刻明な歴史的描写がそのまま歌われていることである。
 日本の民謡には当時の為政者の露骨な意志が働いている。自然に自分らの周囲を讃えている、と一見みえるようだが、当時の下層日本人の生活から、今日うたわれているような悦こびが、生まれるはずはない。それが全く同一の封建時代のロシヤの、この「ステンカ・ラージン」によって証拠ずけられ、うたわれている。
 ステパン・ラージンは16世紀の農奴解放の先駆的な首領である。ステパンがステンカと変わっているのは愛称である。僚原の火の如くヴォルガにそったドン地方は農奴が解放されていき、ロシヤ帝国は大揺れにゆれる。
 一方ステパンはペルシャを席捲してそこの姫をうばって愛妾とした。この時代が彼の堕落時代で・ペルシャ姫の愛慾に酔い痴れる。怨嵯の声が周囲に起こった。民は永い間の戦いに疲れ、飽い、そして飢えている。
 この歌曲はつまりそうしたステパシの沈倫を歌い、豪しゃな生活を描き、やがて彼の悔恨と、一切をすてて再蹴起しようと決意して、泣き叫ぷ姫をヴォルガの河底深く投げ込むまでの、壮大な歴史的、英雄的ロマンチシズムを叙したものだ。
 歌詞は誰れが作ったか不明である。おそらく無数のひとびとの口によって当時が叙せられ、統一していき、更に洗練と推敲が加えられ、ずっとあとになってから、だれか天才的な編集者の手によって、一つの詩に纒めあげられたものであろう。
 ことにこの民謡は革命をなしとげたソヴェートの指導者たちに愛唱されたし、そのような要素で貫かれた歌だ。そうした政治的匂いとは別に「ステンカ・ラージン」の歌曲としての価値は最早永遠なものとみていいだろう。
1960/01/28 百瀬三郎【島村喬】