キミとボクラで【G】
slow swing

作詞
作曲
白川 道利
1: 空の青さを ポプラの緑を
広場を歩く 人たちに
空の青さを ポプラの緑を
広場を歩く 人たちに
■ラララ 吹き抜ける
■冷たい風も
■ラララ 僕らの喜びに
■小さな声を
■大きな響きに
■かえてゆこうよ
■君と僕たちで
2: 朝の光を はずむ心を
明日(あした)を生きる
人たちに
朝の光を はずむ心を
明日を生きる 人たちに
ラララ 吹き抜ける
冷たい風も
■ラララ 僕らの喜びに
■小さな声を
■大きな響きに
■かえてゆこうよ
■君と僕たちで
演奏: popsバージョン swingバージョン



新おけら歌集(05/04/29)歌集うたえ若人 / 楽譜:ビーさん(2006/01)

■この曲の作者である「望月プースケ」さんからこの歌の出来た時代背景などを教えて頂きました。bunbunとのメールやり取りをチョッピリ紹介したいと思います。プースケさんは、神戸のうたごえ喫茶でご活躍の様子です。
bunbunさんのmidiの件
2007年4月19日 1:06(望月プースケ)
 初めまして。私は3年ほど前から神戸のうたごえ喫茶でアコ伴奏している50代のおっちゃんです。突然のメール、おゆるし下さい。
 子育ても一段落して、30年ぶりのうたごえ活動なものですから、当時サークルで歌っていた曲のイントロや曲調を忘れてしまっていることが多く、そこで勝手に参考(トラの巻)にさせていただいていますのが、bunbunさんのサイトです。とても役にたっております。ご苦労に大感謝!誠にありがとうございます。

 さて、先日も調べたい曲を探していて偶然見つけましたのが、二十歳のときに作った「キミとボクラ」です。私が所属したサークル「同志社大学合唱団むぎ」は1971年から全共闘赤ヘル集団に暴力的に学外へ排除され、とても不自由なサークル活動を強いられました。それでも暴力にめげず、キャンパスに根ざしたうたごえ運動を広める努力を続けました。midiを聴くうち、鉄パイプをかざした暴力集団からアコをかついで逃げ回ったことが昨日のように思い出されます。このつたない曲はそのような状況の中で、なんとか学内に戻って活動できるようにとの思いで作ったものです。

 ただ、少し気になるのは、1、3、9、11小節目の頭の音が違ってるのと、リズムはスローなスイングなのです。誠に恐縮ではありますが、ちと手直ししていただければ幸いです。
 それではbunbunさんとサークル「おけら」の発展を祈念致して、失礼致します。              望月プースケ
Re.bunbunさんのmidiの件
2007年4月21日 15:21(bunbun)
 望月さん おはようございます。
 学生時代のお話、ありがとうございました。また、演奏の参考にしていただいておられるとか、恐縮に存じます。

 望月さんの「キミとボクラ」を改めて聴いてみましたが、明るく爽やかな感じで、これが!ということでmidiにいたしました。出処は「静岡大いぶき」の歌集「歌えわこうど6集」です。
 1、3、9、11小節目の頭の音は皆同じですね。おけらの楽譜は歌集と同じです。「休4 B8休8 G8D8+D4」ですが、手持ちのもの(楽譜)は、これ以外にありません。具体的に教えていただければ有り難いです。また、作詞作曲者が分かっていれば、そちらもよろしくお願い致します。
メールありがとうございます!
2007年4月21日 15:21(望月プースケ)
 PC不調のため、お返事が遅くなりまして申し訳ございません。少々アルコールが入っていたせいか、意味不明なメールをお送りしましたようで、重ねがさね申し訳ございません。
例の「キミとボクラ」ですが、楽譜上1、3、9、11小節は「ミ→ド→ソ」となっているところ、音源は「ソ→ド→ソ」となっています。あつかましいお願いですが、音源の方を訂正していただければと思いまして・・・

 学生当時、京都銀閣寺の近くの白川通沿いに住んでいましたので「白川道利」というふざけた名前で作った曲です。bunbunさんにも取り上げていただいています「丘をかけのぼろうよ」のアレンジも私です。蛇足ながら、この「丘を・・」の作者「風車保子」と「ぼくのひこうき」の作詞者「風車雪子」は同一人物で、なぜか今、私の妻をしております。

  望月プースケ
Re.メールありがとうございます!
2007年4月24日 19:24(bunbun)
 結婚式があったんですよ。我がオンジ(つまり弟)の娘の結婚式でして、神奈川まで行ってきました。まぁー、50代と名乗るプースケさんとしては、これからのお楽しみかも………

 確かに確かに………。「丘をかけのぼろうよ」は、白川通りの名前です。全く逢ったことも、言葉を交わした事もないのですが、クリックしただけで「丘をかけのぼろうよ」や「ぼくのひこうき」をガンガン歌ってた季節にフラッシュ・バックできるのは嬉しい限りです。そーですか、「風車雪子」は「何故か私の妻!」ですか。あはは、ソリャー「必然」なんでしょうな。何となく一緒!も多いのですが、必然(これって、手塚治虫の何集かな、奈良だったか平安の彫刻師の………、オラは間違いと言えど遠からじだと思いますよ。) それを越えての偕老同穴は誰かの決定事項(こー言うと、「何だ!こりゃー」とおっしゃる方が多いけど………)だったんだと思いますよ。

 おっとー………、話が。
 んーと、すんませんでした。まぁー、目がどーのとか、お酒がどーのとか、言い訳は数多!ですが、男は黙って!です。ご指摘の通りでした。スローなswingちゅーのは、こんな感じでしょうか??? 今は「早さ=108」くらいですが、お好みです。取りあえず、作って見ました。でもでも、オラの一番最初のアレンジも、悪くはないと………思ってます!
おおきに!ありがとうございます!
 midi、いいですね〜さすがでございます!ありがとうございました。
 あれから、bunbunさんがエディットされた1000数百曲を見聴きさせていただきました。一度に全部はムリで、さあっとですが、それでも結構な時間を要しました。お好きとはいえ、改めてそのご苦労に敬意を表します。

 さて、30年の時空を超えて思い出されるうたの数々、思わず落涙するような、、、信濃毎日新聞におられた藤原和義さん作曲の「林道人夫」 これは、合唱団むぎのメンバーであった佐野芳彦(さのよしひこ)君と竹上正博君を誘ってムジカというフォークバンドを組んで歌い広めた曲です。京都で初めて開催された「日本のうたごえ祭典」のキャンペーンで関西一円を歌ってまわりました。

 また、それと前後してチリからキラパジュンとインティ・イリマニという音楽集団が来日して京都で公演したとき、前座で歌わせてもらったのが「平和に生きる権利」です。今思い出せば「顔から火!」ですが、メチャへたなりに一生懸命だったのがよかったのか、彼らに同行されていたジョーン・ハラさん(軍事政権に虐殺されたビクトルハラの未亡人)が楽屋を訪ねてくれ、固い握手を交わしたことを思い出しました。その折「ヴェンセレーモス!」とサインしてもらったギターは私の宝です。
 その後、私は家業を継いで「カタギ」となりましたが、佐野君は作曲家として舞台音楽や環境音楽などで活躍中です。NHKのラジオドラマも何本かレギュラーで持ってるようです。竹上君も京都いろり合唱団の指揮者でがんばっています。

 取り留めないことをぐだぐだ書いてしまいました。申し訳ございません。bunbunさんはうたごえ喫茶巡りもご趣味で、神戸にもいらっしゃったそうですね。3年前から、灘区六甲界隈で月二回ペースで開催しています。関西方面へ来られることがありましたら是非ご連絡下さいますよう。ご案内させていただきます。                   望月プースケ
Re.おおきに!ありがとうございます!
2007年4月26日 17:07(bunbun)
 こんち! お気に召したようで「いがった! いがったぁー!」です。
 また、midiページをたくさんクリックいただき、感謝でございます。

 このごろ、作ったmidiをmp3化して、マイカーで遠出の際はかけっぱなしで聴いています。そうでもしないと、自分で作ったとは言え、なかなか聴く機会というのは無いものです。「introがイマイチ!」とか「endingが長い!」とかブツブツ言ってる割には、忘れっぽくて、なかなか手直ししてません。とくに、初期に作ったのは慣れないせいもあってか「ブッキラボウ!」ですね。そんな感じで、聞き苦しいmidi、多々あっと思いますが、悪しからずです。

 ムジカというのは、名前を聞きかじったことがあるような無いような………。そーですか、キラバジュンの前座とビクトル・ハラの奥さんのサインですか、ソリャー、お宝中ののお宝ですね。涎が………。ビクトル・ハラは好きで、何曲かUPしています。

 そーです。うたごえ行脚が好きなんですね。神戸は「きよちゃん(すずききよし)」の「毒」演会の時に行きました。やたら急坂が多い街でした。ハイデンレースラインという厚地ママがやってるとこにお邪魔してきました。それこそ3年前になるのでしょうか??? お客は5人でしたが、楽しく遊んできました。その後、ピープルズでも大騒ぎしてきました。関西は、この2軒しか廻れませんでした。この夏、京都を基点としてウロウロを計画してるのですが、実現しますかねぇー。 そん時は案内方よろしくお願いしたいと思っています。
 すみません。馴れ馴れしくって………。 今後ともよろしくお願い申し上げます。