ロシア民謡-秘宝の玉手箱2
中山英雄氏(合唱団白樺団長・指揮者)

ロシア民謡 おけら歌集 とっぷ

ロシア民謡などの楽曲名、作家名に関すること (1999/10〜11月号)
 前号まで、ロシア民謡などについてのさまざまな誤解や誤訳に触れてきた。重箱の隅をつつくような粗探しは本意ではないが、今回もその延長線上と思われそうな内容になるので、あらかじめおことわりしたい。では曲例を挙げて記そう。
@ ヴォルガの船曳き歌
古くから世界中に知られたロシア民謡の代表格。原題は『エイ・ウフニェム』で船曳き作業の掛け声である。かつて『ヴォルガの舟唄』と訳された時代があったが明らかな誤りである。舟唄といえば日本では『最上川舟唄』など、世界的にはヴェニスのゴンドラの船頭歌(バルカロール)などをさす。私の手許にあるアメリカの曲集では "SONG OF TEH VOLGABOATMAN" とあり、驚いてしまった。「ヴォルガの船曳き」については、有名な画家レーピンの絵画とともに、同名の著書(松下裕訳・中央公論社刊)に克明な記述がある。一読をお薦めしたい。
A 仕事の歌
原題『ドゥビーヌシカ』は樫の棍棒のことで荷揚げ労働者が作業に使うもの。ロクロの軸木などをさすこともある。B・ボグダーノフの原詞(1865年)をA・オリヒンが1885年に改作した革命歌である。日本語訳詞「…それは仕事の歌…」は原語からの直訳だと「労働組合の歌」になる。バス歌手シャリアピンが『ヴォルガの船曳き歌』とともにこの歌を愛唱していて、ある時、皇帝から咎められ、それに対して「あれはでくのぼう(実際にそういう意昧もある)と言って農民たちを馬鹿にした歌ですよ」と答え、難を逃れたというエピソードが残っている。
B 小さいぐみの木
97年7月のロシア語講座テキストには『細いリャビーナ』(訳・宇多文雄)*リャビーナはナナカマドの木とある。音符の数の少ないメロディーなので『ナナカマド』では字あまりとなる故、楽団カチューシャ訳の前出標記となったのであろう。ピリペンコ詞・ローディギン曲・関鑑子訳『ウラルのグミの木』もこれに倣ったものと思われる。
C カリンカ
カリンカはカリーナの愛称形。和名では「がまずみ」と呼ばれるスイカズラ科の落葉低木、またはその赤い苦い実。ロシアでは女性の美しさや処女性のシンボルであり、結婚式で歌い踊られることが多い。「カリンカ カリンカ カリンカ マヤ」と原詞の音訳のまま歌われるので、「カカリン」の歌と勘違いした人もいると聞く。ある市販のCD「ロシア民謡集」では曲名が『ガマズミの花』と記されていて、かえって分かり難い。なお、1988年にこの曲の作曲者はヴォルガ河沿岸の町サラトフのイワン・ペトロヴィチ・ラリオノフ氏と判明し、新聞紙上でも発表されたが、あまり知られていないのは残念だ。「ロシア語講座」誌(89・6月)「ロシア民謡こぽれ話」(伊東一郎)で「カリンカ」について詳述されている。
D コサックの子守歌
(ロシア民謡、津川主一訳)古くから日本でも親しまれてきた、おそい3拍子の曲。73年発行、NHKロシア語「歌と詩」(カセットテープ付き)にレールモントフの原詞と日本語訳(藤沼貴)が掲載されている。この歌のルーツはウクライナ民謡『ソフィアの子守歌』と同一であり、大黒屋光太夫がペテルブルクで聞き、1792年に日本に帰国の際、持ち帰ったものとされている。日口合作映画「おろしや国酔夢譚」(井上靖・原作)や五木寛之著「ソフィアの歌」(新潮社版)で、この間の事惰が面白く描かれている。
 1950年代に合唱団白樺で歌った「コサックの子守歌」は4分の4拍子の曲、最近、日本人唯一のコサック、ビクトル古賀氏(横須賀市在住)が歌って直接聞かせてくれたものと同じであった。
E 満州の丘に立ちて
(A・マシストフ詞・И・シャトローフ曲)笹谷栄一朗訳の日本語歌詞もある。戦後、この曲は軍楽隊長シャトローフによるソ連時代最初のワルツと日本に紹介された。マシストフの詞は確かに革命後の国内戦当時の状況下で書かれたもののようだ。しかし最近来日公演をしたモスクワ合唱団(B・ミーニン指揮)による紹介文には1904〜5年の日露戦争時の作品とある。しかも現在多くのロシア人たちが、この曲の作曲者を、あの皇帝ニコライ2世であると言っているようだ。興昧ある話である。ところで、その公演パンフレットの曲目解説を私は担当したが、『満州の丘に立ちて』の編曲者名A・コーポソフを片仮名表記する時、ハタと困ってしまった、手許にあった従来の資料に「コーポソフ・コポソーフ・コボーソフ・コポソフ」と4通りの記名があったからである。当たる確率は4分の1、仕方なくモスクワとのFAXのやりとりで解決した。

 曲名や人名に関する難問、珍問は、これでも氷山の一角である。『アムール河のさざ波』−これは完全な誤りで『アムール川の波』である。激流なのだから。昔ロシアのバラライカ奏者が日本の歌を演奏したプログラムに『海上のかもめ』とあった。実際に聞こえてきた音楽は『浜千鳥』(弘田龍本郎曲)だった。
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ロシア民謡とクラシック音楽 (1999/12〜2000年01月号)
 ここで言う「クラシック音楽」とは「バロック」「ロマン派」などに対比して使われる音楽史上の時代区分を表す言葉ではない。それは「ジャズ」「ポピュラー」などのように、ジャンルを示すものと考えた方が妥当であろう。ロシアの作曲家たちが、また世界の国々の作曲家たちが、ロシア民謡やロシアの民族音楽を素材として如何に多くの芸術作品を生み出して来たかということを見てみよう。代表的な例を掲げる。
ロシア国民音楽の父、M・グリンカは元祖的存在
アレンジ「音楽を創造するのは民衆であって作曲家はそれを編曲するだけだ」−彼の有名な言葉である。これは民謡を芸術的価値の低いものとみなす一部の作曲家の意見とは全く立場を異にしている。それはロシア民謡の持つ偉大な生命力や精神的豊かさを知りつくした者のみが言い得る言葉である。
@ 幻想曲「カマリンスカヤ」(グリンカ作曲)
2曲のロシア民謡、ひとつはゆったりとした婚礼歌「おぐらい森かげ」、もう。ひとつは舞曲「カマリンスカヤ」を組み合わせた交響作品。これを評してチャイコフスキーは「カシの実がカシの木になるように、ロシアの全ての交響楽作品は、この作品の子のようなものになってしまう」と述べている。チャイコフスキーは自らも子供のためのピアノ小品「カマリンスカヤ」を作曲している。
A 「アンダンテ・カンタービレ」(チャイコフスキー作曲)
弦楽四重奏曲第1番二長調作品11の第2楽章。ロシア民謡「ワーニャが長椅子に坐っている」を元にした、弦の弱音が美しい曲。作家のトルストイが聴き、感動の涙を流したというエピソードが残っている。
B 「交響曲第4番へ短調作品36」(チャイコフスキー作曲)
彼が不幸な結婚に悩んでいた時代の産物。同時に当時(1870年代)の民主的なロシア・インテリゲンチャの考え方《民衆の中へ》を反映している。第4楽章のテーマ、ロシア民謡「白樺は野に立てり」の迫力は余りにも強烈。
彼は「交響曲第1番」や「第2番」にも「咲け、小さき花よ」「母なるヴォルガを下りて」「私の紡ぎ女よ」などの民謡を使っている。
名曲「赤いサラファン」に群がる編曲者たち
C 「モスクワの想い出」作品6(ヴイエニャフスキー作曲)
作曲者はポーランドのヴァイオリン奏者・作曲家。この原曲はヴァルラーモフ作曲「赤いサラファン」だが極めて難易度の高いヴァイオリンの変奏曲となっている。最近私が入手したCD「アリャビエフ作品集」の中に同一曲(タイトルも曲も全く伺じ)が入っており、「んん_?」。調査したいのだが…。更に全音楽譜出版社からセルゲイ・クロマコフ作曲「モスクワの想い出」(赤いサラファンによる幻想曲)というピアノ独奏曲のピース楽譜も出ている。
べ一トーヴェンも編曲したロシア民謡
D 「ラズモフスキー第1番」(べ一トーヴェン作曲)
弦楽四重奏曲第7番へ長調作品59_1。ラズモフスキーはロシアの貴族、在ウィーンのロシア大使だった人物で、べ一トーヴェンのパトロンとして、自らもヴァイオリンを秦し、弦楽四重奏団を結成した。第4楽章にロシア民謡「あ丶、わが運命(悩み)」が使われている。第2番も民謡使用。
NHK総合、朝のテレビ小説できいたロシア民謡
E 「8つのロシア民謡作品58」(リャードフ作曲)
第8曲「ホロヴォードナヤ」は特に有名で「草原(クサハラ)に」の歌詞でよく歌われる。総合テレビ、朝の連続ドラマ「チョッちゃん」(黒柳 朝原作)の喫茶店内のシーンで、昔ふうの蓄音器からこの曲が流れていた。
ロシア近代音楽の旗手ストラヴィンスキーは…
F バレエ音楽「ペトルーシカ」(ストラヴィンスキー作曲)
多くのバス歌手がレパートリーにしている酔っぱらいの歌「ピーテル街道にそって」と囚人の歌「街のざわめきも聞こえず」が登場する。ストラヴィンスキーが1962年にほぼ半世紀ぶりに帰国して、モスクワで開いた歴史的な公演では「ヴォルガの船曳き歌」を指揮(編曲も)して大喝釆を浴びていた。
 さて、この項でとり上げたい作曲家はまだ多い。ショスタコーヴィチ、プロ、コーフイェフ、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、グラズノーフからレハール(オーストリア)、ソル(スペイン)などがある。
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未来に生き続けるロシア民謡 (2000/02〜03月号)
 このシリーズ読物も最終回となった。その全体をしめくくる上記タイトルの言葉はある映画からヒントを得たものだ。たレか1957年頃に観たソ連映画「夜明け」(作曲家ムソルグスキーの伝記映画)のラストシーンで、顔のクローズアップとともに主人公が語った言葉「芸術家は未来に生きる」−である。

先ず前回の「ロシア民謡とクラシック音楽」の続きから
@ 「タタールの虜(ロシアのテーマによる合唱用変奏曲)作品18の第2」(リムスキー:コルサコフ作曲)
珍しいギリシャ旋法の一種、ミクソリディア旋法の主題による作品で、ロシア人がタタールの圧制下に苦しんだ13〜15世紀の、「タタールの軛(くびき)」−と呼ばれる時代を描いたものである。かつて合唱団白樺定期演奏会で演奏されたことがある。
A 革命歌となった民謡「ドゥビーヌシカ」(仕事の歌)の管弦楽編曲(リムスキー:コルサコフ編曲)
ペテルブルク音楽院教授だった彼は、学生の反政府活動を支持したため、一時期学院から追放された。彼の民謡編曲は百数十曲に及ぶ。
B 交響詩「ステンカ・ラージン」作品13(グラズノーフ作曲)
リムスキー=コルサコフに学んだ作曲者の初期のヒット作。有名な民謡「ステンカ・ラージン」が出て来ると思いきや、テーマと変奏に使われているのは「ヴォルガの船曳き歌」である。何故か?農民暴動の指導者としてラージンが生きて活躍した時期、モスクワでの処刑以前には、まだその歌は無かった!!
 グラズノーフには「母なるヴォルガを下りて」の混声10部合唱編曲もある。
C 「12のロシア民謡」作品104(プロコフィエフ編曲)
1998年11月、日本のうたごえ50周年記念祭典(東京国際フォーラム大ホール)で演奏された民謡「ドゥーニュシカ」は、バレエ音楽「石の花」にも転用されている。
D 「交響曲第11番ト短調作品103”1905年”」(ショスタコーヴィチ作曲)
1905年はロシア革命と日露戦争の年。この曲は’99PMF(バシフィック・ミュージック・フェスティバル)コンサート(札幌)で演奏されNHKでテレビ放送された。多くの民謡、革命歌、自作合唱曲などが盛り込まれている。「聞けよ」「夜は暗い」「1月9日(“十の詩”より)」「同志は倒れぬ」「ワルシヤワ労目歌」−これらのうちの1部はエイゼンシュタイン監督の名作「戦艦ポチョムキン」の映画音楽としても使用されている。
E 「メリー・ウィドー」で有名なオーストリアの作曲家F・レハールの別の喜歌劇『ロシアの皇太子』で、ヒロインの踊り子が歌う美しいアリアがあるが、曲はロシア・ロマンス「くぐり戸」(「枝折戸」)そのものである。この曲は米映画「追想」(皇女アナスタシアをめぐるラプ・ロマンス)の中で、ウラジオストク出身の俳優ユール・ブリンナーがギターで弾き歌う。
忘れられないラトビア、リトアニアでの思い出

私は1964年5月、「訪ソ日本のうたごえ合唱団」のアコーデイオン伴奏者として約1か月間ソ連公演に参加した。公演プログラムのフィナーレはいつでも、どこでもムラジェリ作曲の「ロシア我が祖国』であった。ラトビア共和国でのこと−私の「ズドラーストヴィチェ!」に対して現地の通訳さんの言葉「ラトビア語ではラブディエンというのですよ」−その意昧の重さを今は痛いほど感じる。ソ連に強制併合されたバルト3国ではロシア製プラトークにさえ不快を感じる人がいるらしい。全ての国と民族の友好・平和を切に願いたい。
1999年第12回東京国際映画祭で観た「オネーギン」で、「オヤ?…」
マーサ・ファインズ監督がコンペティションで監督賞を受賞した「オネーギン」(英)は、プーシキン原作。チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」でお馴染みである。舞台は19世紀の前半だ。この音楽のメインに余りにも有名なワルツ「満州の丘に立ちて」が使われており、またエピソードにはドゥナェフスキー作曲「おおカリーナの花が咲く」(1950年)が使われていて、曲を知っている故に素直に楽しめない不幸を味わってしまった。
ロシアはいま困難な時代のただ中にある。しかし千年の歴史は教えている
「タタールの軛」を脱し、ナポレオンやヒトラーの侵攻を撃ち破って、国を守り文化を育くんできたロシア人は自然環境に適応する能カにも優れて邊しい。
 ロシア民謡を含めてロシアの文化・芸術の強大な伝統は不滅であり、これからの国の復活・再生に大きな役割をはたすことを信じて期待している。
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