鶴 【Em】
ZHURAVLI

作詞
作曲
訳詞
R・ガムザトフ 
Y・.フレンケリ
坂山やす子



流れバージョン 合唱バージョン


新おけら歌集(06/07/09)れq:流れさん / 楽譜:ビーさん(06/08-11/02)
鶴について
資料提供:lunatyさん(2006年7月10日 23:50)
■ ロシア連邦カフカース地方の共和国ダゲスタンの詩人ガムザートフが広島の原水禁大会に参加した時の印象をもとに書いたアヴァール語の詩のグレブニェフによるロシア語訳にヤン・ブレンケリ(1920-89)が1696年に作曲したもの(←伊東一郎。KDC2「つかれた太陽 岸本 力・ロシア民謡集」(歌は原語ロシア語?でした)の曲目解説から)。

■北島真行氏は詩人。某掲示板で、過去ログの中に見つけました。
http://www.dolphin.co.jp/hpr/yubari/bbs/051231.htm
「現在のダゲスタン共和国でソヴィエト時代に有名な詩人ガムザトフ:ガムザトフの父親も著名な詩人でした:によって書かれた詩です。フィルムで見ると、ダゲスタン共和国もスケールは違いますが夕張に似た山国です。訳詞をする際には、夕張と釧路湿原のイメージが思い浮かびました。」と、言っています。訳詞はむしろ日本語詩というほうが適切なのかも。なお、「鶴」の訳詞には、
  @ 北島真行訳
  A「うたの世界533」(ともしび歌集)所載の(N.ゴッフ詞)中村五郎訳
  B「うたごえ愛唱歌集1000曲選」所載の坂山やす子訳
  C「黒い瞳から百万本のバラまで―ロシア愛唱歌集」山之内重美訳(未見) 
  D その他………があるようです。
●この作詞と作曲のコンビでは、「ロシアの草原」という曲があります。深浦のうたごえでは超有名人「森のフクロウ」こと金谷守晶さんが訳詞をして、「ともしび」の歌集にも載っています。是非一度歌ってみてください。   
by bunbun(06/08/09)
つる考(1969年)
山之内重美: 1948年8月4日、新潟県生まれの京都市育ち。大阪外大卒、早大院露文卒。
本名は上杉重美、以前は「山之内滋美」の芸名。
 哀感をたたえた美しい三連符の前後奏と深い死生観を感じさせる歌詞の内容で、今も聴く人の心を捉えずにはおかない「つる」。日本ではダークダックスによって紹介されて以来、シャンソンやカンツォーネ歌手の間でも人気が高く、コンサートでよく取り上げられています。

 作詞者のラスール・ガムザートフ(1923-2003)は、北コーカサスのダゲスタン共和国に住むアヴァール人の詩人。1965年に来日し、広島の原爆資料館でで受けた強い衝撃をモチーフにして「鶴」の詩をアヴァール語で書きました。それを、いつもコンビで仕事をしているユダヤ人詩人ナウーム・グレーブニェフがロシア語に訳し、これを読んだ人気映画スターでもある歌手のマルク・ベルネス(1911-1969)のたっての希望で、売れっ子のユダヤ人作曲家ヤン・フレンケリ(1920-1989)が作曲した、1969年のヒット曲です。
 ウクライナ出身のM・ベルネスは17歳の時モスクワへ出て、舞台の端役から映画に進出、「銃を持つ男(1938)」の中で歌ったのを切っ掛けに頭角を現し、「暗い夜(1943)」など、次々に主題歌をヒットさせて、スター街道を駆け上がりました。映画と平行して歌手活動にも意欲的で、しばしば自らの企画・原案でレパートリーを作っていった、珍しい歌手です。
 この「鶴」も、詩をたまたま読んだベルネスの依頼で作られました。ベルネスはレコーディングの一ヶ月半後に、心臓病で急死しましたが、彼の歌声は今のロシアでも、ことあるごとに流れ、鶴の評価を揺るぎないものにしています。

 ベルネスの「語りかけるような歌い方」は軟弱だとして、かつてソ連文化省に非難され、1958年から2年間の活動停止を余儀なくされたこともあったのですが、本物は必ずや生き残っていくものなのでしょう。前・間・後奏で繰り返される三連符の旋律には「あ………」かハミングを作るのが一般的で、私の場合は、後奏の部分に「空を行く鶴よ」と言葉を付けるのもいいです。

 異国で戦死した兵士は「白い鶴に姿を変えて」故郷に戻ってくる、という考え方はロシアの中に浸透しているようで、映画「鶴は飛んでいく(1957)」には、帰還兵の中に恋人の姿を見つけられなかった主人公が仰ぎ見た青空を、白い鶴の群れが渡っていく、印象的なラストシーンがありました。
 1969年の日本では、「フランシーヌの場合は」や「イムジン河」が街に流れていました。

文献 ユーラシア・ブックレットNo.31(東洋書店)
  「黒い瞳から百万本のバラまで―ロシア愛唱歌集」
   2002年6月15日、山之内重美著、定価600円(税別)
   ISBN: 4885953936

■北コーカサスはダゲスタン共和国のアヴァール人詩人ラスール・ガムザトフ(1923−2003)が1965年夏、広島原爆資料館で受けた衝撃をモチーフにアヴァール語で詩を書いた。ガムザトフとコンビ
で仕事をしていたユダヤ人詩人ナウーム・グレーブニェフが、ロシア語に訳したものを読んだ映画俳優・歌手マルク・ベルネス(1911−69)のたっての希望でユダヤ人  作曲家フレンケリ(1920−89)が作曲。1969年、旧ソ連のヒット曲となった。ベルネスはこの歌をレコーディングしたーカ月半後に心臓病で急死した(山之内重美「ロシア愛唱歌集」東洋書店)。
 深い死生観と平和への思いを鶴に託すのは国際的な共感を呼んでいる。日本ではシャンソン、カンツオーネ歌手に人気の歌でもある。
うた新「歌の小箱」84(07/11/12)