安倍年子リサイタル tadoママ誕生party うたごえ喫茶「ゴリ」 東京2005めにゅー ツアーmenu おけらとっぷ

■青森までは車で2時間。飛行機の手続きを考えると必要な時間は約3時間。青森ー東京間のフライトが約1時間だから「何だこりゃぁー!」である。

■おまけにドカ雪………。♪〜行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらもお出かけしました、その顛末記です。
 このページの曲目をクリックすると、その曲のページにつながります。
 お聴きになりましたら、曲目のページを閉じてください。(戻るにしない


オラホ(深浦)の冬の海。毎日こーですわ!
■第一日目「2005年12月16日(金)」■
▲その1:「何だ! この天気は???」
 12月17日はtadoママの誕生日それも一回転した誕生日! コリャー行かずばなるまい。bunママと相談の上、綾瀬もうでを計画した。師走ではあるが、昨年の退職で師走とは無関係にもなったことだし………。それにtadoパパ知り合いの安倍年子さんのコンサートもある。これにはメール仲間の髭爺こと吉川さんも友情出演とかで、offのデートという事にもなる。

 そーこーしている内に象潟のkeiさんから連絡が入る。「オラも行きてぇー………」との話。何でも若かりし頃神奈川合唱団にいたことがあって………ということで、髭爺ともお友達らしい。
 bunママとオラはtadoちゃんちに泊まる予定だが………と、メールのやり取りしきり………。結果としてkeiさんもtadoさんちにご厄介になることになった。これ全てtadoさんちの大らかなる精神の賜物である。だって、keiさんとtadoさんは一面識もないんだし………。

 羽田へはわざわざtadoパパが出迎えてくれた。tadoパパの自家用車に乗って一路横浜へと向う。綾瀬に向かう前に、横浜見物としゃれ込んだ。tadoパパは入り組んだ道を右へ左へとハンドルを………。オラだとここに来る間に10回はぶつかっている気がする。しかし、この空の色の違いは何なんだぁー………。いやに青い!
ぺーじとっぷ

これが同じ日の横浜の海………この違いは何!

▲その2:「あららー お久し振りの中華街!」
 大さん橋(本名:横浜港大さん橋国際客船ターミナル)は総板張りの、かなり特異な感じがする場所である。船の甲板のイメージなのだろうか??? それにしてもだだっ広い空間である。残念ながら豪華客船は停泊していなかった。下にも下りていって見たが、どこもかしこも、広々ゆったりの空間であった。
 小腹の空く時間ともなり、中華街へと向かう。横浜の中華街は多分3度目。いつもはぶつかって歩くほどの人出だが、時間の関係か今日は少ない。

 中華街の門がいくつかある。tadoパパがまず案内してくれたのは「関帝廟」。ここはスゴイ! TVでしか見たことはないが、中国の寺院そのもので、やたらと派手派手な建物である。
 本殿の前には鼎の線香立(香炉)があって、ぶっとい線香が煙を………。ここは三国志で有名な人物「関羽」を祀っている場所なのだと聞いた。
 前回(10年も前???)、小籠包なるものを探して、かなり時間を費やしたことをtadoパパに話したら、即座に飲茶の店に案内してくれた。流石、tadoパパである。この飲茶setが美味しかった。それに彩りがとても綺麗で、オラもbunママも食べるのを少々ためらってしまった。まぁー、最終的にはおなかの中に消えたが、見た目も味も大変goo−な飲茶であった。

 食事を終えて、tadoさんちに向かう。またも狭苦しいというかウネウネというか、そんな道路を苦もなく抜けて、綾瀬方面へ。綾瀬にはJRの駅が無く、何かと不便とかなんとか話してるうちにtadoさんち到着。
ぺーじとっぷ
 留守番をしていたtadoママと久し振りの再会をした。特にbunママの喜びようは大変なもんだ。
 積もる話は山ほどあるが、ビールを飲んでる暇は無いようである。
 何せ、本日はkeiさんのお供でやって来たのだから。keiさんの目的は懐かしの「安倍年子リサイタル」。それに、tadoパパも安倍さんからビデオを頼まれていると言うことだった。

 リサイタルは、隣の海老名市という所でやるのそーで、バスで海老名に向かう。ここには年賀状でのお付き合いの方が何人か在住しているが、かれこれん10年は会っていない方ばかり、この地が綾瀬の隣とは知らなかった。

リサイタル後は打ち上げをやるらしく、tadoパパが、オラ達も無理矢理混ぜて貰う手配をしてくれた。
▲その3:「安倍年子リサイタル」
 会場は駅のすぐ近くにあった。ここの小ホールを使ってのリサイタルである。会場に入いるとkeiさんがベンチに座っていた。まぁー、ここら辺はオラ達と違って、昔なじみの勝手知ったる………だし、迷うことなく到着らしい。
 が、そのデッカイ荷物は何だ??? 聞いたらパジャマやら股引やらごまんと詰め込んであるらしい。ひょっとして枕も入ってかも………。

 さすがkeiさんは元神奈川合唱団員だけあって、かなり顔見知りが多い。後ろにカメラを構えたtadoパパも同様である。こんなときシャイなオラとしてはニコニコと黙んまりを決め込む事にしている。

 今日は、応援というか友情出演が多い。中でもこの頃おけらの掲示板にチョクチョク書いてくれる「髭爺」こと吉川敏男さんも素晴らしいバリトンを紹介してくれることになっている。
 吉川さんとは、ホールの入口でウロチョロしていたら向こうから声をかけて頂いた。なるほど、「髭爺」というだけあって、頬からアゴまでビッシリの髭である。声がまた(e−)! 渋いバリトンである。あちこちで上演される「ぞうれっしゃ………」では、園長さん役の第一人者として引っ張りだこのようである。

 安倍さんはやわらかい声のソプラノ。すこしボリューム感に物足りなさを感じたが、自分の思いの丈を気負うことなく語りかけるように歌ってくれた。

 吉川さんの渋い声も安倍さんのソプラノとうまく合っているような気がする。
 keiさんも満足げで、はるばる象潟から立ってきた甲斐があったらしい。場内も九割かた埋まっているし、リサイタル応援団としても満足だったと思われる。
ぺーじとっぷ

▲その4:「リサイタル打ち上げ!」
 リサイタルが終わって「打ち上げ」パーティ。打ち上げの場所は割烹「魚松」。安倍さん応援団が挙って参加。オラ達飛び入りを含めて40名を越える大打ち上げパーティとなった。
 が、右を見ても左を見ても初めての方だし、お互い旧知の間柄、keiさんのように「ん10年振り」で出会う方もあったようで、オラ達に話しかけるいとまは無いようだし、始まって間もないのに、笑い声が絶えない大層な盛り上がりであった。keiさんは、あっちこっちと旧交を温めている。オラとbunママはtadoパパのお傍で大人しくしていた。
 しばらく経ってから、吉川さんにお出でいただき、いろいろとお話をした。何でも明後日「ぞうれっしゃ………」の公演があるらしく、「是非来い!」とのことであった。明日は夜まで特に予定もないので、行ってみてもいい。

 ぞうれっしゃ………は「日うたin長野」で一回聞いたが、あまりの観客の多さに、余り身を入れて見ていなかったような気がする。かなり長かったように記憶しているばかりである。

 帰りしな、吉川さんから焼酎をいただいた。何でも奥さま(一緒に参加されていた)が鹿児島のお生まれとか………、かなり名の通った焼酎とは思うが、呑んでしまったので銘柄までは紹介出来ない。(>_<) 
 しかし、こーやって人のつながりの輪が出来上がっていくのは、とても嬉しい。やっぱり、時間とジェンコが必要!ってーことですかね。(>_<)

 大分呑んだらしく、tadoさんちに帰ってからのことは記憶の外である。ただ、keiさんがデッカーーイバッグからパジャマを出して、着替えていたのは記憶にある。

 そー言えば、寒かったのでtadoパパの柔道着作務衣(とても丈夫で、オラも一着tadoパパからいただいた)を着せて貰い、寒いので「ストーブ!」とか、我が儘を言ったらしい。

 tadoさんちにはオラホのようなストーブが無い。壁掛けのエアコンがストーブ代わり。オラホ(深浦)では考えられない暖房だが、この地では充分のようである。それにこの天気の差は何だ! 
ぺーじとっぷ

こちらは春を思わせるほどの青空、オラホは口を開けると雪が飛び込んでくるほどの冬空だ。これで3日も暮らせば、深浦の天気を忘れてしまうだろ………。

 実際、壁掛けのエアコン暖房でも充分なほどに暖かい。こんな時、オラホの石油代とこちらの石油代、そして日本列島の細長さを実感する。
 それやこれやと、濁った頭で思いつつ、今夜はkeiさんと川の字で寝ることとなった。明日はtadoママの誕生日、tadoパパがどんな大盤振る舞いを見せるかを楽しみにして、眠りに就いた。
ぺーじとっぷ