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■今年の「東北のうたごえ交流会」は福島県。ここは東北ではあるが、オラとしては、唯一足を踏み入れたことのない場所であった。

■地図で見るとかなり遠い。先年行われた青森大会には福島からもお出でいただいたが、こんな距離をと改めて感謝した次第である。

第0日目「6月27日(金)」
東北道をひた走り…■■
 それやこれやで、今回は青森市からの特別チャーター便に便乗させて貰うことにした。連絡の不徹底(オラが聞かなかったのだが………)で、危なく高速のバス停で待つところであった。青森出発で弘前インターにワザワザ下りるとは思いも寄らなかったからである。まぁー、笑い話だ。

 当日(27日)の朝は早かった。何せ弘前のインターまでは約2時間だから、深浦の出発は7時過ぎ。
 弘前インターに到着したのが9時40分くらい。何と青森からのバスはすでに駐車場に待機していた。
 皆さまにご挨拶をしてバスに乗車、一路福島県に向けて出発ということになった。
 高速道は空いていて(毎度のことだが)、走行は快調。どこら辺からか記憶にないが、旗振り役oodairaさんがラジカセを持参。某センター発行の「うたうたうた」のMDをラジカセにつっこんで、歌う会が始まった。
 青森県の母親大会が弘前市であるそうで、それに関連した歌を大声で………。往きのバスは男性は4名で女性が12名、圧倒的に女性が多い。男は、若い時から仕事が忙しいからと理由を付けて、出不精気味だ。
 県民性なのかどうか分からないが、ハッピーリタイヤしてからも何故か、いろんな催しには出てこない。結果として女高男低になる。まぁー、年と共に男が女にだんだん頭があがらなくなるのも事実ではあるが………。
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 昼食は水沢PAで、時間が無いとのことでオラとbunママはミニカレー&ラーメン。ここでお土産を買う人はいまい!………と思ったが、これがいるんですね。感心してしまった。
 運転のmatueさんが快調に飛ばしてくれるので思ったより時間は短縮中である。しかし仙台まではほど遠い。途中、栗駒の地震被害現場を遠望。遠目にもはっきり分かる程、山肌のえぐれている場所が見えた。復旧はまだこれからである。

 仙台の広瀬川が見えてきた。東北唯一のうたごえ喫茶である「バラライカ」往きには、もっぱら高速バス利用だが、深浦からの所要時間はは6時間。1回か2回トイレ休憩をはさむが、今回は昼飯も食ったので、多分もっとかかっているはずだ。

 車内は、自己紹介の練習(何と言っても、高速道ではシートベルトで立てない!)やら、お話しやらで、ズーーーットにぎやかである。
 福島という文字が見え始めた。目的地は猪苗代湖の湖畔の国民宿舎である。

 oodairaさんの話だと、毎年、お仕事でここまで車で来るのだそうで、かなり体力のいる商売である。何でも東北一円が売り場ということなので、日本で一番広い売り場面積を誇っているのかもしれない。で、猪苗代湖というのは福島県のヘソの部分だとか………。

 高速道をおりる前に給油。リッター172円と高い。高速の料金は12000円くらい。合わせて24000円くらいであった。今年の旅行は高い!

 目の前に緑豊かな田園風景と山頂までスキーコースの続く磐梯山が見える。まずはみんなで記念撮影をした。これから裏磐梯に向かう。
 裾野をグルリと一周。進むに連れて、磐梯山の山容が次第に変わり、噴火当時の荒々しい姿を見せ始める。アイスクリームのてっぺんを大さじでグワバッとすくい取ったような形である。噴火前は3000mを越えていたと言うから、巨大な山だったのだろう。明治21年7月に噴火し、川を堰き止めて檜原湖や五色沼を作ったのだそうである。
 五色沼に到着。目の前に裏磐梯のえぐれた山体が見える。写真屋がしつこい。観光地のいつもの風景である。しばしの散策を楽しんだが、ボートに乗る程の時間はなかった。みなさんアイスクリームに群がる。一番人気は「桃」のアイス。

五色沼(バックに磐梯山)

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 檜原湖に向かう。上から見るとグチャグチャした形で、堰止め湖というのがよく分かる形をしている。五色沼より磐梯山が大きく見える。遊覧船に乗る程の暇はなく、記念撮影をして、裏磐梯のゴールドラインを経て、宿舎に向かう。途中、まだガジャシバ(タニウツギ)が咲いていて、弘前のganちゃんが「おっ、まんだタゲノゴ採れるでばぁー」と一言。まぁー、オラホ(津軽)ではそーである。

 展望台があってバスを止めて眺めてみたが、余りに山に近く、写真的にはよくなかった。曲がりくねった道を下る。まぼろしの滝という文字が見える。バスの中でまぼろし談義が始まった。結論は「春先の水の多い時だけ見える」んだろうということになった。それにしても曲がりくねった有料道路である。また、至る所スキーコースが道路を横切っている。

記念撮影(檜原湖)
 6時ちょっと前、無事国民宿舎「翁島荘」に到着。今日は前泊なので、全館を青森組が貸し切りである。新幹線利用組やマイカー組はもう到着して、一風呂あびていた。ここは猪苗代湖の湖畔だが、少々小高い場所に位置している。とても静かな場所であった。

 部屋割りがあって、荷物を置いて、やれやれ………と思ったら夕食。オラはその間に一風呂あびてきた。オラはここら辺が素早い。オッホン!

 夕食は結構美味しく、かつ量的にも多かった。見慣れないおかずがひとつ。馬刺であった。ここも馬産地なのかも知れない。

青森組のレッスン風景
 夕飯後は、青森組の課題曲「桑ばたけ」と「たたかいの中で」を練習するとのこと。オラはバスの中で散々歌って、声が嗄れてしまった。しかし総勢30名を数える中で男声は4名。おサボリは出来ない。(>_<)

 この合同チームは今回で2回目。むつ市、八戸市、青森市(一番多い)弘前市、田舎館村、藤崎町、そして深浦町と青森県内各地から集まって来ているので、実を言うと、これが初回の練習ということになる。譜面とオラがこしらえたmidiのテープは全員に配布され、個人レッスンをやることになってはいたが………。何を隠そう、オラなんぞ、今日の高速バスレッスンまで、歌っていなかったのである。

 歌ってみると、桑ばたけは音が飛ぶし、低音部が高音部を越えた音も出てくるし、やっかいな曲。もう一個は斉唱だから、まぁー何とかなるだろうと思っていたら、提案が入った。
 つまり、斉唱というのは単純なので、女声と男声に分けようとか、一番目を分けようとか二番目を分けようとか………、良い方向を目ざすのはいいのだが、土壇場になって変えるのは、かなりしんどい。おまけに多数決。歌の塩梅は民主的に手を挙げて決めるべきもんでは無いとは思うのだが………。
 というすったもんだがあって、男声は4人で女声の20数人と対峙することになった。歌ってるから全体は分からなかったが、指揮者から何も出ないところを見ると、何とかなっていたようだ。

 桑ばたけの低音部はアコちゃんから駄目だしが出され、更に30分居残り。結局お開きになったのは9時15分頃で、7時半からの開始だから、およそ2時間も同じ歌を歌っていたことになる。オラ個人的には苦手な時間ではある。
 その後、今夜2回目の風呂に入って、TVを見るとも無しに見ていたら眠ってしまったようで、福島までの距離を改めて感じさせられた。まぁー、何はともあれ、明日に期待しておやすみなさーぃ。
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第1日目「6月28日(土)」
いざ、白虎隊に相まみえん…■■
 今朝は早めに目がさめた。が、早速の大失敗があった。というのは、朝風呂にいった際、男湯と女湯とを間違えてしまったのである。この頃は前日よ翌日とで風呂をチェンジするんですな。勝手知ったる………と、ガラリと戸を開けたら、出て来たkimuraさんとバッタリ。「あれっ???」と、暖簾を見たら女湯用の赤い奴。大いに笑われてしまった。
 丁度バッタリだったからよかったものの、そのまま入っていたら、大事でした。まぁー、ここだけの話、女の方も間違って、こっちは湯船に浸かっていたそーだから、オラの失敗は大したことないのかも………。
 ゆっくり朝飯をとる。この時間に旗振り役のoodairaさんから本日の日程説明があった。午前中は会津若松の白虎隊墓参とか言っていた。荷物をまとめて、ホールに集合し、バスで会津若松に向かう。それにしても、宿の周りはウバユリだらけであった。んー、わざわざ、植えたのかな??? 

 天気はやたらいい。会津若松までは青森から浅虫程度の距離とかで、大したことはない。 途中で、白亜の大観音様(会津慈母観音像・高さ57m)が見えた。そこを、ちょこっと過ぎると会津若松市内に入る。ここは戊申に引き続いた官軍と戦いに敗れた会津藩のあった所。

 会津藩は全面降伏の後、新しい藩主の元、新天地を求めて青森県(むつ市や五戸町)に移り住み、斗南藩をたてている。3万石の名目ではあったが、不毛の地で移り住んだ人々の生活は過酷を極め、移住した藩士の中には飢えと寒さで命を落とすものも少なくなかったと言われている。そういう意味で、会津若松は青森県とは深いつながりがある所でもある。何でも、毎年、斗南墓参を行っていると聞いた。
 当時の激戦地として名高い「滝沢陣屋」に到着。みなさんいそいそとバスを下りて陣屋に向かう。暑い!かなり暑い!
 藁葺きの当時を彷彿させる建物であった。生活用品等雑多なものが陳列されている。鴨居の上に何やら可愛いものが………。後で調べたら「起きあがり小坊師」というのだそうな。
 白虎隊で代表される立志を迎えたばかりの少年達も、東西南北の青龍・白虎・朱雀・玄武に分けられて戦いに参加しています。白虎隊はここに集合して、官軍との戦いに臨んだのだそうです。

 ここも、官軍に踏み込まれて、柱には刀疵や鉄砲の貫通した痕などが、今でも生々しく残ってる。帰り際、外に蛇口があって「自然水」と書いてあった。呑んでみたが、鉄分の味がして、少々不味かった。
 バス駐車場所に向かう。デッカーイお土産屋の駐車場だ。店の若い者が白虎隊の案内をしてくれるというので、着いて行くことにした。が、階段が187段もあるとかで、ご一行様のかなりの人数が居残りとなった。このくそ暑い中階段を………と思ったが、ここまで来てと………と登り始めた。なんと、数段も行かないうちに右側にエスカレーターがある。料金は300円也。ここでも脱落者ありで、エスカレーターへ。
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 やはりきつい。日頃の運動皆無がもろ足に出る。ヘロヘロの中間点で一休みだ。と、ここからもエスカレーターが………。今度は100円。やっぱり脱落者がエスカレーターに向かう。しかし、会津の人は商売が上手い! こんな丁度良いところにも乗車口をしっかりもうけている。オラはとても感心してしまった。

 オラは何とか最後の段を登りきった。疲れる………。下を見ると大した階段ではないような気もするのだが。一呼吸置いたところで、案内の若い人が説明をしてくれた。かなり丁寧である。(その分、時間が………)

 白虎隊の自刃の原因がお城の炎上であること。その炎上と見えたのは、夫を城に送り出した後に妻達が屋敷に火を放って自害したこと。ローマの遺跡からの貴重な贈り物やドイツからの平和の石碑。白虎隊の自刃場所等々。

さざえ堂

 帰りは、坂道を下る。途中に白虎隊やら女子なぎなた隊を祀ったお堂。そしてレオナルドダビンチも真っ青という「さざえ堂」など、時間があれば見たり入ったりしたいようなものがゴロゴロあったが、オラは先に帰ってきた。何せ、暑くてどっかで一服したかったからである。
 店にはいると、居残り組はノンビリとおしゃべりと買い物を楽しんでいた。まぁー、かなりの時間を費やしているので、さもありなんである。オラにとっては、店内にあった冷えたそば茶が一番のご馳走であった。
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 ここから、鶴ケ城に向かう。城内(ここは城の中に車で入れる)の案内板に従って駐車場を探したが、無し。結局グルリと廻ってナンチャラ会館という土産物屋の駐車場へ入れた。

 某所で時間を食ったものだから、昼飯と城見物が二者択一となり、オラとbunママは城見物組に………。時間がないので歩きが早い。いつもはノンビリのbunママもかなりのスピードでくっついていた。石垣がデカイ。石垣をひとまわりして、ようようお城が見えた。かなり大きい。

 入るのはよそうかな!と思ったが、皆さんの尻に付いていくことにした。まぁー、中に飾ってあるものは、大概同じ。目的があれば別だがオラとしてはあまり興味がない。急いで最上階に登り、急いで景色を眺め、急いでお城を出て、急いで茶室に向かい、急いで茶屋に向かう。


天守閣にて
 もう時間が無いので、皆さん大急ぎである。急いでそばとラーメンを注文し、2分で平らげ、附録の氷水を手に急いでバスに向かった。そうそう、某oodairaさんは熱かったんで、もらった氷水をラーメンに………とか言ってました。とにもかくにも、やたらと忙しい鶴ケ城見物であった。バス出発。交流会受付まで、残すは40分である。
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