風になったターニア【Gm】
+すずききよし作品集+

作詞
作曲
松井 英子
すずききよし

風になった ターニア
ベトナムへ飛んでおくれ
一切れのパンも無く
ファシストと飢えに殺された
■お前の お母さんと一緒に

風になった ターニア
ベトナムへ飛んでおくれ
偽りの 涙と平和の
仮面をかぶった ニクソンの
■本当の姿を 知らせるため

風になった ターニア
ベトナムへ飛んでおくれ
そこには 可愛い妹たちが
家も食べ物も 奪われて
■侵略者たちと 闘っている





新おけら歌集(06/08/30) / 楽譜:ビーさん(06/10-13/08)

■この歌を発表したのは、1972年秋に関西音楽舞踊会議が主催した「第8回ベトナム人民を支援する文化のタベ」で、革新大阪府知事・黒田了一さんのお嬢さんである山口美千代さんのソロでうたわれたものです。
 ターニャとは、第2次世界大戦で死んだソ連の女の子の名前ですが、そのことについて、音楽評論家の柴田仁さんの言葉を引用させていただきます。

▼「ターニャはいうまでもなく、ニクソンが恥知らずにも、ソビエトで□にしたソビエトの少女の名前です。 昨年、ターニャの町・レニングラードに行ってきました。そのとき、第2次大戦でなくなった60万人(なんという数字でしょう)のレニングラード市民を葬ったピスカリョフ墓地に詣でました。その墓地の入口にある記念館で、ターニャの日記を見ました。
 小さな新書版ぐらいの大きさの日記帳の1ぺ一ジに大きな字で「ニエット(ない)」とだけ書いてありました。その日は、食べるものがなにもなかったということです。そのページを見ている間に、わたしは思わずあふれてくる涙をどうすることもできなくなりました。同時にニクソンが、よくも図々しくも、ターニャの名を口にしたものだと、腹の底から怒りがわき起こってきました。 おそらく、ベトナムのハノイ、ハイフォンはレニングラード市に劣らぬ破壊をこうむっていることでしょう。
 ターニャをうたった山口さんも同じ音舞会のお仲間ですが、山口さんはクラシックの勉強をしてきた人なので、いっものすずきさんの歌とはちがった風になるのかなあ?と思っていました。
 山口さんは、心をこめて『ターニャ』をうたってくださいました。あのとき、ステージにたった一人の子どもは、家に帰っても『ターニャ』を口ずさんでいたということです。幼い心に刻みこまれるものがあったのでしょう。………(後略)………」
すずききよしの105曲」(1977)から抜粋