ボタ山崩し 【Dm】
+すずききよし作品集+

作詞
作曲
すずききよし


■ボタ山崩しの つるはしに
■カチリとあたったよ 鶴嘴(つるはし)
土を払って よく見たら 五銭と書いた 白銅貨
ボロボロの布(きれ)に 縫いつけられた
昔々親父(おやじ)が 戦地に行くとき
おふくろが 毎日集めた 千人針の 切れ端さ

■ボタ山崩しの つるはしに
■カチリとあたったよ 鶴嘴の
土を払ってよく見たら 親父自慢の 腕時計だよ
ボロボロに錆び付いた 腕時計だよ
昔々 親父が欲しがる俺に
「大きくなったら お前にやるよ」と
言っていた 自慢の腕時計

■ボタ山崩しの つるはしに
■カチリとあたったよ 鶴嘴の
土を払ってよく見たら キラリと光った 金歯だよ
ボロボロの顎骨(あごぼね)に しっかり着いていた
昔々 親父が俺を抱き上げて
頬ずりした時 髭のいたさと
忘れられない 金歯なのさ

■ボタ山崩しの つるはしに
■カチリとあたったよ 鶴嘴の
土を払ってよく見たら 還らぬ親父の 白い骨
ボロボロの布切れを 五本の指で
しっかり固めた拳に 握りしめていた
布を広げて よく見たら
「労働安全」と書いた旗

ぼた山崩しの ぼた山崩しの
ぼた山崩しの ぼた山崩しの




新おけら歌集(04/08/23) / 楽譜:ビーさん(2004/09) 
■きよちゃんのメール(2004年10月21日 16:41)■
 ブンブンさん。おけらにカキコしましたが、童謡の作品を一つ送ります。『ふもとの夏は消えないが』と言う曲で、とても可愛らしい作品です。添付します。

 ところで言うのを忘れてましたが、「ぼた山崩し」をUPしてくださいまして有難う御座います。炭鉱の社宅は、大抵真ん中に共同浴場がありますが、煤煙と汗で汚れたお父さんが、仕事が終わって、リフトや、トロッコで、上がってきて、ヤンチャ坊主を肩車して共同浴場へ………。

 ヤンチャ息子の記憶には、きっと親父の髭面のゾリゾリの痛さとか、その時にチラッと見えた金歯とか、親父の腕時計、「これはな、俺の宝物なんだ、ロンジンて、スイスの時計なんだぞ、お前が大きくなったら、そうだ、大學に受かったらお祝いにやるからな。」  でも、その親父は帰って来なかった。
 中小の炭鉱は落盤などで、生き埋めになった労働者を掘り出さずに、そのまま埋め込んでしまって『危険で、第2次事故がおきるから』と労災保険金だけ遺族に渡して終わり」などと言う酷い事が幾らでもあった時代の歌です。

 何年かたって、別の業者が、別口から狸掘りで掘って、事故の現場も一緒に、掘り上げられて、ぼた山に・・・・。やがて、ぼた山が崩されて、工場の誘致することになり、掘っていたら………カチリ。

 このアレンジでは『ボタ山崩し』一寸イメージが違いすぎる様に思います。アメリカのワークソングで、「テイク・ジス・ハンマー」と言う唄が有りますが、日本で言うと、線路工夫の仕事唄は、ご存じないでしょうね。特に伴奏がアルペジオでは、軽くなり過ぎるように思えるのです。
 確か私の3枚目のCD「すずききよし本音の唄・誰が過激やねン」の中に収録したと思いますが、『ぼ たやーまーくーずーしーの「バン(SE)」』と言うような感じですが。

 御免なさい。長くなりすぎました。

きよちゃんカキコ(掲示板引用)(2004/10/23(Sat) 21:52:50)
 ブンブン様。今夜はこのように呼べせて下さい。

 本当に、心から尊敬しています。素敵な、私自身が思っているより更に、人の心に伝わる『ボタ山崩し』になりました。『深浦のうたごえ』を、大成功させた、その疲れも癒えぬ間に、私の我儘を聞いて下さっただけでなく、それ以上に新しい作品にして下さいましたね。
 実は、ビーさんに、同文のメールを送って相談した所、叱られました。「作曲家が作品を送り出したら、どの様にアレンジされても、とやかく言うのは、アレンジヤーに対して失礼である」と言うような意味でした。
 『正にその通りです。私もその気持ちですが、40年間、プロの職人として2−3000曲以上、作編曲してても、どうしても拘りたい曲が何曲かあって、これが・・』と弁解と思われても仕方ないことを書きましたが、それも含めて反省してます。ブンブンさん、本当に失礼しました。
 ビーさん、忠告有難う御座いました。お二方共、今後とも友人付き合い宜しくお願いします。私は、深く反省しました。先輩の作曲家で大した作品でないのに、私が一生懸命工夫してアレンジし、専門家筋で大きな評価を得たことがありました。その時の事も思い出しました。
 今度のMIDIのUPを聞いて、筑豊炭鉱地帯を「うたごえオルグ」として駆け回っていた1958年頃、今から45年前の思い出が、鮮やかに胸に蘇って来ました。私も若かったなあー!

☆申し遅れましたが、地震如何ですか?ご無事を祈っています。ブンママ様にも宜しくお伝え下さい。                  きよちゃんでした。

きよちゃんカキコ(掲示板引用)(2004/10/23(Sat) 22:33:04)
 ブンブンさん、追伸です。

 今、聞きました。『ふもとの夏は消えないが』カワユイ歌に上がりましたね。この頃、お稽古に来ている生徒さんで一番若い(小学4年生)もえちゃんが、今週からこの歌のお稽古に入りますから、聞かせてあげます。軽快で明るい曲に上がったから、きっと喜
ぶと思います。こちらも台風以来、涼しいよりも、「寒い」と感じるようになりました。

 毎朝の冷水摩擦が、勇気を必要とする様になって来ました。でも、今サボると1月2月が辛くなるから、『年寄りの冷や水は、程ほどにしないと!』と、斜め目線で言う老妻に、『大丈夫や!』と言いながら、90分の錬功の後、汗かいているので、続けています。
 坐骨神経痛は大分楽になってきました。すると、今度は、ベトナム語の教師と、ベトナムの『ダン・バウ』と言う、1弦琴の民族楽器の演奏家でもある息子が同じ症状を訴えています。
 未だ30代なのにね、可哀想に。遺伝かな? 彼のホームページは『ベトナム文化研究院』と言うHPを開いていて、デジタルラジオの放送も面白いですよ。私のHPとリンクしているので、此処からも気楽に這入って行けます。
 ベトナムのポピュラー曲や、クラシックも放送していますのでベトナムに関心のある方はご訪問下さい。「結構面白いですよ。親馬鹿かな?」    きよちゃんでした。

bunbunカキコ(掲示板引用)(2004/10/24(Sun) 15:02:00)
★こんち きよちゃん

 いやはや、いかに芸術の秋とは申せ、bunbunめに芸術をくっつけると、世の中の有りとあらゆる芸術の価値が下落致しますので、返上申し上げます。それに、お褒めの言葉なぞ小学生の時からいただいたことが無いので、昨日から背中やらお尻やらがむずがゆくていけません。

 ボタ山はの歌詞は、一番だけだとどーもセンチメンタルな感じになってしまいます。やっぱ総合的に見ないといけませんネ。今度は最後まで歌詞を書いているものを手に入れようにします。まったくどーも済みませんでした。ボタ山の「ふもと」ドラムス、うるさくありませんか???

 しかし、きよちゃんの健康法はすごいね。気功+錬功+6000歩+冷水摩擦ですかぁー! オラは一個もやって無ぇーや。昨日からfanfanさんが送ってくれた風邪に効くという「エキナセア」なるハーブを煮出して、500ccのペットボトルに入れて飲んでいます。
 こいつを飲んでると、タバコ(百害あって1利なし)が美味しくないんです。ひょっとして禁煙ハーブなんじゃないかな??? ニコチンよ早くあっちへ「エキナセア」なーんちゃって。

 こっちは、地震大丈夫でした。というより揺れませんでした。台風やら地震やら、やっぱ日本は心身共に危ない国になりつつあるんですかね??? おーくわばらくわばら………。

きよちゃんカキコ(掲示板引用)(2004/10/24(Sun) 18:03:04) 
 ブンブン様、ぼた山崩しの続きです。

 1960年日米安保条約の、一番大きな米国の目的は、日本の恒久的な支配ですが、その為には、政治、経済、軍事の全ての面で日本を、属国化しようとすることでした。
 日本では、主要なエネルギーは、『200年間掘り続けても大丈夫と言われた、質の良い石炭が有名でしたが、これをアメリカのメジャーが支配している、石油に切り替えさせること、米や、魚を主要な食料としている日本人の食生活を、肉食、パン食のアメリカ型の食生活にして、完全に食生活面でも、アメリカに依存させること。更に日本の国土を、不沈空母とする為に、米軍基地の恒久化などが、『日米安保条約』の主な目的でした。

 その為の炭鉱潰しだったのです。三井三池を始め、三菱も、古河も、住友も、中小の炭鉱の労働者は立ち上がりました。しかし、統一共同闘争を闘いながらも、資本側の巧みな戦略、戦術で次第に足並みが崩れ、最後まで闘ったのは、反安保闘争と結合して闘った三井三池を中心とする総評の炭労の組合だけでした。
 同盟系、後の民社党(当時の社会党右派)の指導する総同盟は第2組合を作って、運動を分裂させていったのです。
 そして、労働運動史上最大の闘いになった、閉山反対の闘争は60年安保闘争と連携することで、全国民的闘いに発展しましたが、当時の岸信介自民党は、警察権力だけでなく、陸、海、空の自衛隊まで動員して、自民党政府は三井三池の労働者を弾圧しました。
 表からだけでなく、裏攻撃も従来のような右寄りからの分裂攻撃だけでなく、極左暴力集団を使って、過激なアジテーションで若い労働者や、学生達を、国家権力は資金援助や、脅迫や、ありとあらゆる卑劣な手段で運動の分裂や破壊活動に導いたのです。

 私は、1958年当時、福岡県評の委嘱を受け、筑豊などの炭住の主婦や、子供達の所に『文化オルグ』として「子供のうたごえ」や「主婦のうたごえ」の組織化に加わり、悲惨な中小炭鉱労働者の実態を取材しました。その頃取材した話の幾つかを纏めて、この歌を作りました。
 その10年後、高石友也さんが私の作った『おいらの空は鉄板だ』をレコーディングして好評だったことから『とび職暮らし』『お父帰れや』『あの人の日曜日』等と、同時に提供したのですが、『一寸難しいから』とレコーディングしませんでした。
 どうしてもあの頃の労働者の記念すべき闘いの歴史の側面の一つを残したいと、CDアルバム『すずききよし本音の歌【誰が過激やねん】』に収録しました。

 中小炭鉱では落盤事故でも、労働者を掘り出さず、爆破して埋め込んでしまい『救出不能』と役所に報告、労災保険だけで支払うと言う酷いことが何度もあり、更にそこを、別の中小炭鉱が、別の所から、狸掘りと言う、支柱もロクに使わず掘り始める、掘った屑炭や、炭滓として積み上げた「ぼた山」は、中小炭鉱がが閉山され、やがて廃墟みたいになった街の再生の為に、『高度経済成長』が話題になった頃、ぼた山を削り取り、平らにして「工場を誘致しよう」と工事があちこちで始まりました。

 その頃、似たような話があったのを纏めて、作った歌です。物語の中の幼い息子を肩車してお風呂に連れて行く親父や、腕時計の話は、私の親父と重ねて作りました。
 千人針の腹巻は、古い炭鉱労働者は、結構巻いていました。5銭銅貨は『死線を越える』と言う縁起を担いだ出征兵士と一緒。何時も炭坑労働者は入坑する時は『死ぬ覚悟」出坑する時は『アー今日も生きて還れた』と思うそうです。

 きよちゃんでした。