青年歌集/第四篇 「うたごえを全国民のものに」 |
昭和30年04月10日 発行
|
関 鑑子編著 定価100円 |
昭和36年03月20日 再版 |
|
|
■一九五四年の「原爆許すまじ日本のうたごえ」は何という素晴らしさでしたでせう。参加した方々はあの感激の思ひ出に今も励まされて居る事でしよう。全国より集まった三万人のこの心のうたごえに会場は全く一つに溶け合ひました。
一つとして生きてゐない歌はありませんでした。その数々の歌で青年歌集第四篇はこんなに見事に編輯されました。これは皆様の力です。
■あの様な盛大な大会も一人一人のよりあいの十人、二十人のサークル・歌う会の集りである事をいつも忘れたくないと思って居ります。うたごえをひろめませう。一人の仲間が一人の仲間を! 歌いながら。暗い日本に僕たちの明るい笑顔とほがらかな歌声を! と歌いながら仲間によびかけてゆきましよう。
到底歌を楽しむなどの余裕はないという百万の苦しんでゐる人々も歌う事によって慰められ、励まされ、心が通じて団結のきづなが苦しみから立上る勇気を与へる事を知るならば、どんなにか歌ごえを喜こぶ事になりましよう。
■日本中の人々が心の歌を歌ったならばそれはどんなに大きい力になるかわかりません。今、中国では「東京−北京」の歌がどこでも歌われてゐるそうです。これはアジアの平和の表れです。この間モスクワ放送は「原爆許すまじ」を歌ひました。もつと多くの国々の人に歌ってもらう為には、日本中でもっと歌われなければなりません。
アジアの国々・世界の国々・アメリ力の人達ともこの平和の歌ごえをかわしたいものです。「日本の歌ごえはいい」と云うことになればきっとみんなに歌われるようになるでしよう。
■この青年歌集第四篇の出版が出来上る頃には私はヨーロッパで世界学生青年友好祭のために世界のうたごえ交流のために活動して居りましよう。今日、様々な困難をふみこえて皆さんの原爆許ずまじの歌ごえの力におされて羽田から飛び立って、はるかに、遠く日本のうたごえをきくことになりました。
皆さんお互に平和の為に、歌ごえの為に、うたごえが全国民のものになるまで、青年歌集が全国民の手に渡るまで元気に明るく動活しようではありませんか。
■私の留守中も音楽センターの奈良垣子がずっとこの青年歌集の仕事にたづさわります。何卒どんどん創作をおよぜ下さい。
|
第四篇の編輯を終えて、羽田より出発の日/一九五五年二月二十一日 関 鑑子(於:音楽センター) |
青年歌集 |
pagetop |