私は還らずにいられない【Em】

詞曲
訳詞
ブランテル
島村 喬


戦いの苦しさも 雨の降る日も
故郷の風がうたう 唄や街思い
忘れてきたいくとせ
還らずにはいられない ふるさとよ
  ■還らずには 還らずにはいられない
  ■還らずに 還らずには………
  ●還らずには 還らずにはいられない
  ●還らずに 還らずには………

暗い戦いの庭 仆(たお)れしわがとも
君を思うだけでも いのち永らえて
君のいとしいひとに
語らずにはいられない 君のこと
  ■語らずには 語らずにはいられない
  ■語らずに 語らずには………
  ●語らずには 語らずにはいられない
  ●語らずに 語らずには………

霧の流れる海よ ふるさとの海よ
きょうもわれをば招く 懐しい街が
便りきけばすべてが
戦いに焼かれ ひとも住まず
家も消えてないとか…・:
  ■それでも我は 還らずにいられない
  ■還らずに 還らずには………
  ●それでも我は 還らずにいられない
  ●還らずに 還らずには………



新おけら歌集(10/10/10-12/25)ロシアの詩 / 楽譜:ビーさん(10/12)

■私は還らずにはいられない
 ブランテールの作曲でレベジョフ・クマチが詩を書いた。レベジョフ・クマチは赤軍の当時少佐で、ずい分沢山、戦争中は士気を鼓舞する詩を書いた。クマチというのは一種の彼に与えられた、詩人としての称号みたいなもので、直訳すると「赤いファスチャン織り」、つまり丈夫な「あや織り」のことをいうのだが、何故それがレベジョフの詩をたたえるための称号とされているのか、については詳しく知らない。彼は確か現在はもう少将なはずだ。彼の代表的な詩は「鴬」だろう。他は独軍によって破壊し尽された都市や町、村落をここで歌っているのだ。どのように村や街が破壊されても、私はきっとお前のところへ帰っていく「私は還らずにはいられない」のだ、と全ソの国民に呼びかけたのが胸を膊った。1943年頃の歌である。
1960/01/28 百瀬三郎【島村喬】