夾竹桃のうた 【Bb】

作詞
作曲
藤本 洋
大西 進


夏に咲く花 夾竹桃 戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃 武器をすてた あの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を

夏に咲く花 夾竹桃 祖国の胸に 沖縄を
日本の夜明け 告げる日を
むかえるために もえている
  ■空に太陽が 輝くかぎり
  ■告げよう平和と 独立を

別詞 夏に咲く花 夾竹桃 非核を誓う 町々が
くまなく地上 うずめつくして
明日あしたを歌えと 燃えている
  ■空に太陽が輝くかぎり
  ■告げよう世界に 原爆反対を



新おけら歌集(04/02/15) / 楽譜:ビーさん(2004/09)

■1969年「原爆を許すまじ」に続く、反核・平和の歌を運動が巻き起こっていた頃の作品。同年の第15回原水爆禁止世界大会で発表された。

■夏の陽ざしの下で、濃いピンクと自い花をつけた來竹桃が咲き誇る。強い生命カを持つこの花は、1945年8月6日の原爆投下で、焦土と化した広島の希望の象徴ともなった。
 被爆直後、「70年間は草木も生えない」と言われていた広島でいち早く咲いたのが夾竹桃だった。この花が市民に復興と希望の光を与えた。1973年11月3日、広島市は來竹桃を「広島市の花」とした。
 この歌は、1969年、「原爆を許すまじ」に続く反核・平和の歌を毎年創っていこうという運動の中で生まれ、同年の第15回原水爆禁止世界大会で発表。以後、8月の広島・長崎に向けて歩く平和行進の中でもよく歌われている。
 8月6日、原爆犠牲者追悼式典に向う平和大通りの両脇にも、一斉に花をつけた爽竹桃が見られる。
No moer Hibakusha03(うた新/2004年)