風に吹かれて 【C】

詞曲
訳詞
ボブ・ディラン
訳者不詳



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新おけら歌集(05/04/21 / 元給料日だす^^;/ 楽譜:bunbun(2014/09)

■ この4月10日、仙台のバラライカでの「仙台市民うたごえ喫茶」というデカイ名前の催しに行ったときに歌いました。そう、かれこれ30−35年くらい前にはよく歌ってました。
 この頃は記憶力も良かったんですねぇー………、一番だけだけど原語で歌えますもん。小学校とかで覚えさせられた歌は今でも大丈夫!

▲ 話は変わるが………。公教育から強制ってー言葉が消えて久しいけど、必要な事は強制的に覚えさせてもいいような気がします。規則でしばると没個性とかなんとかいいますが、ユルユルにした結果が、より没個性を生んでいるような気がします。置いけぼりを食わないように、流行のスタイル(たとえばサッカー選手とか歌手とかの)だと、似合うに合わないに関わらず、ほとんど同じ髪型同じ化粧同じスタイルですから、一昔前の飼い犬スピッツみたいに見分けが付きません。それが、個性尊重の実態のような気がします。(そこら辺を、金儲けの手段にできる発想をもってる方々を尊敬します。)
 くだらんとされる無駄な知識の積み重ねから人生の「下地」が生まれると思うのですが、ケガをするからハサミは駄目、ナイフは駄目、暴力は反対だから喧嘩は駄目だと、観念的には理解しても、程度の問題としてどれくらいだとこーなるという具体的な理解をいつの時点で体感するのだろうか??? バーチャルな世界でリセットは効いても、オラ達の世界では即座に結論が出てしまう。内なる世界観は外なる世界観の挫折を味わってより具体的なweightを持ち、より現実味を持つと思うが、現在は結論から個人として学ぶには遅すぎた!という場合が多い。
 公教育といのは「生きる力」を育むことが全てだと思うのだが、空回りの部分が相当多い。もっとも、教育課程は10年ごとに変わるが、実践の後にどーこーというこは聞いたことがない。書類上で前回とは異なる方針を打ち出すのがほとんどである。方針はオラ達、具体的な実践はオメ達で、一番割を食ってるのはワラハンドということになる。自分たちの都合のいいように予想を「強制」して、実態を無視するってーのは、無責任の最たるもんだと、オラは思うけどな………。

■閑話休題
 この歌は全てが「オメ達、どんきやれば気が済むんずや???」ですね。つまり問いかけです。ベトナムで言うことを聞かせられなかったことを「どーして?」と反省せずにイラクに矛先を向けてドンパチ………、この次はどこなんですかね???
 火の鳥は、出てきません。自分を委ねるべき影響力をもってる人物を評価中なのでしょう………。

  The answer, my friend, is blowin' in the wind,
  The answer is blowin' in the wind.

 やっぱ、自分が生きていること=自分が信じていること………それを一人一人が判断して行動すること!! これが生きていることの証しだと思うけど!!