美しき祖国のために【G】

曲詞
訳詞
岩上 順一
関  忠亮


広々とした海 海に立つ島
美しい国の 国の わかものぼくら
広々とした野と 野の果ての山
働く人の 人の 娘わたしたち

破られた村と町 けれど見よ
強く僕らの 胸に燃える火
けがされた兄妹 
けれど今若きわたしたち 平和を守る
  ■美しい祖国のために 鎖をたつは今
  ■固く手を結び 結び
  ■闘うわれら 闘うわれら



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新おけら歌集(06/04/08) / 楽譜:ビーさん(06/04-07/09)
■のびのエーちゃんから「美しき祖国のために」の創作年についての質問があり、ふげケヤグのlunatyさんにいろいろしらべていただいたrepoです。

「美しき祖国のために」の創作年
2006年4月10日 8:24
 1950年と1951年、どちらが正しいか、直ちには判断しかねますが、 いずれも、単純ミスというようなものではないように思います。例えば、次のような資料(手許にあるもの)等があり、それらの何れかに拠っているものと思われます。

●1950年としている資料
1−1 「日本のうたごえ40周年記念写真集」にある「うたごえ運動40年のあゆみ(年表)」
 なお、“・・・「美しき祖国のために」「民族独立行動隊のうた」・・・”
1−2 「うたごえ 音でつづるうたごえ半世紀」解説書 うたごえ運動50年記念の発行だが、解説はうた新87.4.27の引用。
 なお、“・・・「美しき祖国のために」「民族独立行動隊のうた」・・・”
1−3 「うたごえ愛唱歌集1000曲選」の解説
1−4 「昭和37年開催の某大学サークルの発表会プログラムの曲目解説」に、 “1950年中央合唱団創立二周年記念に平和讃歌として作られたもの”との記述があります。

●1951年としている資料
2−1 「歌はたたかいとともに−中央合唱団のあゆみ」[昭40年6月1日発行]にある「うたごえ・年表」
2−2 うたごえ新聞1967.9.1号「みんなの愛唱歌M美しき祖国のために」

●各資料について
1−2 解説への疑問:「1950年3月作曲」とあるが、3月の意味合いが不明。1950年3月15日はストックホルム・アッピールが出された日ではあるのですが・・・。
1−3 解説への疑問:この解説記事は、歴史記述にしては?後発事実を基準に記述していたりして。どうなんでしょうね。
1−4 解説への疑問:このとおりであれば、他の書物では何故そのように書いていないのでしょうか。
2−2 の解説では、創作の時期は明記はされていないが、この解説記事からは1951年の創作と読むしかないように思えるのですが。記事(添付ファイル)を一読ください。 仮に1950年が正しいとすると、この記事はあまりに不親切ということになると思えます。
 うた新を除き、音楽センター発行のものですが、以上の資料からだけから判断するのは、困難です。2−2のうた新の解説の記述に誤り(不適切)がなければ、51年であるようにも思いますが、それでも、歌の並べ方も“・・・「美しき祖国のために」「民族独立行動隊のうた」・・・”となっていること等から、50年であることを否定することはできないように思います。

 なお、上記の「歌はたたかいとともに−中央合唱団のあゆみ」と「うた新1967.9.1号」によれば、「美しき祖国のために」は1951年8月には歌われていたようです。
 以上、 参考に供します。
   lunaty

■朝鮮戦争直前の1950年3月、中央合唱団の指導者・関鑑子の要請で創られた「広々とした海、海に立つ島」のイメージを基盤にした歌。当時は違憲の公安条例公布、松川など謀略事件、労働者大量解雇、組合活動のしめつけと、米国占領軍と政府による抑圧が強められていました。
 一方で、日本平和を守る会(現・日本平和委員会)などによる原爆反対署名640万などの運動を背景に「中央合唱団は自分たちの演奏活動を積極的に平和を守る力として役立て、より幅広い勤労者の要求と結合する意欲を高めていました。
 この歌は各地に広められ、1951年の同団3周年記念演奏会の標題ともなります。その演奏は確信に満ちた、明るくゆるやかな唱法の獲得という創造要求に応えるものともなった。と作曲の関忠亮氏は記しています。(関忠亮作品集「美しき祖国のために」=芸術現代社)
うたごえ愛唱歌(うた新/04/05/03)