蒼いプラトーク 【Am】
+別名:青いスカーフ+

作詞
作曲
訳詞
G・マクシーモフ
ペテルブルグスキ
山之内滋美


覚えてるよ今も 最後のあの夜
君の白いうなじ 滑り落ちた蒼いプラトーク
 ■今遠く 遠く離れても
 ■残り香に君しのぶ この蒼いプラトーク

愛しい君の便り 胸に押し当て
よみがえる優し声 熱き眼差し
 ■いくさ果てぬ 兵舎の窓辺に
 ■今宵また君の名を 指でたどらん

 ●今遠く 遠く離れても
 ●残り香に君しのぶ この蒼いプラトーク
 ■残り香に君しのぶ この蒼いプラトーク

▼青いスカーフ
訳詞 東大音感合唱研

1: 別れのくちづけ 夕闇せまり
見送りし 青いスカーフ
永久(とわ)に忘れじ
■ああ ああ 君と別れて
■青いスカーフ 思いつつ
■夜毎 すごしぬ

3: たたかい終らば 急ぎ帰らん
君待てる ふるさとへ
なつかし町へ
■ああ ああ 春きたりなば
■なつかしき 木陰にて
■君と 語らん

2: いとしき 文(ふみ)より 汝が声
眼にうつる 青いスカーフ
文字のあいだに
■ああ ああ 戦(いくさ)の中で
■汝がひとみ うるわしき
■おもかげ しのぶ


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新おけら歌集(06/05/22+07/12/10) / 楽譜:ビーさん(06/07)

■この曲は、バラライカで流れさんからいただきました。プラトークというのは、軽くて暖かいショールのことです。
2006/05/13 bunbun
青いプラトーク考
山之内重美
 第二次大戦がウンだ世界の名曲に、マリーネ・デートリッヒが歌った「リリー・マルレーン」がありました。ソ連版「リリー・マルレーン」と言っていいのが、この美しいワルツ「青いプラトーク」で、歌ったのはクラウジア・シュリジェンコです。
 最初にこの歌が作られたのは、開戦直前の1940年春でした。ナチス・ドイツの占領を逃れて、1939年飽きにソ連に入国したポーランドのジャズ楽団「水色のジャズ」が、この時モスクワで公演していました。リーダーのイェジ・ペテルブルグスキ(?−1990)が宿泊していたモスクワ・ホテルに、詩人のヤコフ・ガリツキイが訪ねてきて「青く慎ましいプラトークが、すぼめた君の肩から滑り落ちた」で始まる自作の詩を見せました。気に入ったペテルブルグスキが早速作曲し、翌日のコンサートでお披露目したのが「青いプラトーク」の最初の歌詞バージョンです。
 覚えやすい軽快なワルツはモスクワっ子に受け、1941年の開戦後には、冒頭部分を「6月22日のちょうど4時、キエフが爆撃されて戦争が始まった」なととする、替え歌も歌われました。いったんは本歌の歌詞でエカテリーナ・ユロフスカヤが歌うレコードも出ましたが、比較にならぬ大ヒットになったのは、少し遅れてシュリジェンコが歌った別の歌詞でした。
 クラウジャ・シュリジェンコ(1906-1984)はドラマ劇場出身の歌手で、レニングラード(ペテルブルグ)が封鎖されていた時期には、夫と慰問ジャズ・バンドを結成し、精力的に慰問活動をしていました。1942年冬にラドガ湖近くのヴォルホフ戦線を慰問した時、前線新聞「決戦へ」の従軍記者M・マクシーモフ中尉が「あの夜のことは忘れない………」で始まる自作の歌詞を携えて、彼女に面会を求めてきました。「青いプラトーク」の本歌の歌詞が気に入らず、レパートリーに入れていなかったシュリジェンコでしたが、今度の歌詞には共感でき、一回の音合わせをしただけで、その日のコンサートで歌い、大喝采を浴びました。
 以後500回以上の彼女の慰問コンサートで必ず歌われる曲となり、マクシーモフ版の歌詞は従軍紙「祖国のために」に掲載され、葉書大の歌詞カードが引っ張りだことなり、更に、同年に公開された記録映画「前線のコンサート」の中で彼女が歌う様子が紹介されると、全国レベルの流行に火が付きました。
 職業詩人が書いた詩よりも、前線の中尉の詩の方が兵士達の新庄をよく捉えていたのでしょう。また、女優出身だったシュリジェンコの優しく深みのある歌声も、戦時下の人々の心に染み入ったのだと思います。
 ソ連でも威勢のいい更新曲調の軍歌は数え切れないほど作られましたが、結局、より深く心を打ち、また後世まで残ったのは「カチューシャ」や「青いプラトーク」など、素朴なテーマを扱った叙情的な歌だったというのは、実に考えさせられます。しかも「青いプラトーク」は、戦時下にはおよそ似つかわしくなさそうなワルツです。そして、ペテルブルグスキという、外国人であるポーランド人の作曲した歌が国民歌謡として歌い継がれていくのですから、ロシアというのは、つくづく不思議な国だと思います。

 時代は下って、エリツィンロシア連邦初代大統領に選出されたばかりの1996年夏に、モスクワでセルゲイ・ボドロフ監督の映画「コーカサスの虜」が封切られました。19世紀の文豪トルストイの小説と同名ですが、映画はまぎれもなく現在進行形のチェチェン戦争を描いており、ロシア人捕虜と地元の父娘との真摯な交流を描く反戦映画が、戦争遂行中の政府のお膝元であるモスクワのど真ん中で、半年間も上映されていることにとても驚きました。映画の冒頭、コーカサスの山肌を縫って進む軍用トラックに乗っていた主人公役の人気俳優オレグ・メンシコフが呟くように歌っていたのも、この「青いプラトーク」でした。

 私事ながら、私のCDのタイトル曲が「青いプラトーク」です。大阪外語大で学んでいた頃、戦後日本に逃れてきた亡命ロシア人教師イーヤ・レーベジュワ先生が「ハルピンでママがよく歌っていたの」と言いながら、「青いプラトーク」の楽譜を黒板いっぱいに書いて、教えてくださいました。先生の波乱の人生と孤独を思い、また、歌というもものが持つ追憶の力に強く衝かれた思い出があったのです。

文献 ユーラシア・ブックレットNo.70
  「トロイカから私を呼んでまで―続・ロシア愛唱歌集」
   2004年10月、山之内重美著、定価600円(税別)
   ISBN: 4885955254