あの子【F】
+1954年日本のうたごえ九州演奏曲+

作詞
作曲
永井  隆
木野普見雄

1: 壁に残った 落書きの
幼い文字の あの子の名
呼んで秘かに耳澄ます
  ■ああ あの子が
  ■生きていたならば

2: 運動会の スピーカー
聞こえる部屋に出してみる
テープ切ったるユニフォーム
  ■ああ あの子が
  ■生きていたならば

3: ついに帰らぬ 面影と
知ってはいても 夕焼けの
(かど)に出てみる 葉鶏頭
  ■ああ あの子が
  ■生きていたならば


新おけら歌集(10/11/22)青年歌集4 /楽譜:ビーさん(11/02-13/08)

■この曲は、原爆で1300人の子どもたち、教師が亡くなった長崎・山里小学校の「あの子らの碑」の除幕式(1949年)で発表され、第2の校歌として歌い継がれています。

■「あの子らの碑」は「長崎の鐘」で名高い永井隆博士の発案で発行された、生き残った子どもたちの体験集「原子雲の下に生きて」の印税を使い、昭和24年11月に建立されたもの。

■作曲の木野普見雄は、当時、長崎市議会の事務局長。原爆で家族を失い、自らも被爆。市民の平和意識の向上のため、この曲の他にも「子らのみ魂よ」「平和は長崎から」などを作曲している。
 写真は永井隆が死までの3年あまりの日々を過ごした如己堂と自画像。