親の気持ち/(太田 フサ)


 むかしむかし、あるところに意地の悪い息子夫婦と、気の優しい年老いた母親が一緒に暮らしていました。

 ある時、息子が母親に、「おめも年だし、そろそろ山さ投げでくるはんて、我に負ぶされ。」と、言いました。母親は素直に、息子の背中に負ぶさりました。息子はどんどん山の中に入って行き、だいぶ奥山に入ったところで、茅を刈り、それを山のように積み上げて、この中に母親を入れて火を着けました。息子は離れた場所から様子を眺めて、「もう、焼げだべ。」と思って、家に帰って行きました。

 けれども、神様がその母親を哀れに思い、茅の中から弾き出しましたので、母親の命は助かりました。母親は助かった命だと思い、里へ川伝いに下って行きました。下りながら、自分が焼き殺されそうになったにも関わらず、息子は無事に家に着いたのだろうかと案じておりました。

 しばらく行くと、川底に光る石が敷き詰められているのを見つけました。「何んぼ綺麗な石コだばぁ」と拾って、また下って行くと一軒の家がありました。

 母親が「ごめんください。道に迷ったので、何とか助けてください。」と頼むと、「よぐ来た。よぐ来た。家(え)で親死んでから何ぼもならないどごで、寂しくて寂しくて仕方が無いがら、家のお婆さんになってけろ(下さい)。」と、その家の人たちが口々に言いましたので、有り難く、その気持ちを受けることにしました。

 母親は「我、こごさ来る河原で、綺麗な石コ拾って来た。」と、さっきの石を出して見せると、それは全部「金」でした。その金で、そこの家の人は酒屋を開き、お婆さんを大切にして暮らしました。

 ある日、盲目の乞食の夫婦が店に物乞いにやって来ました。奥で、その声を聞いたお婆さんは、すぐにそれが自分の息子だと分かりました。自分にひどい仕打ちをした息子でも、こうして罰が当たって盲目になった姿を見ると哀れで、家の人に頼んでなにがしのジェンコ(お金)を与えて貰いました。

 それから、その息子は改心してまじめに働いたと言うことです。

 トッツパレッコピー

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