安右エ門の話

 むかしむかし、大高杏圓という人の屋敷に安右エ門という召使がおりました。

 安右エ門は大変正直者で働き者でした。安右エ門には一人暮しの母がおりましたが、とても貧乏でした。安右エ門は仕事の暇を見つけては縄をなったり草鞋を作ったりして小銭を稼ぎ、親孝行をしておりました。

 ある時、主人の大高杏圓が四恩報謝のために阿倍平比羅夫ゆかりの日和見山の霊地に法華経典の一字を一石に書いて納めることになりました。

 安右エ門の孝行ぶりや信心深さに、感心していた主人は「私のために、一日100個の小石を拾って来てくれ。」と安右エ門に頼みました。字の書けない安右エ門は、主人の手伝いができる上、父母の追福ができるということで多いに喜び、その日から雨の日も風の日も毎日浜辺に出かけ、一石一拝して、一日100個の小石を拾って主人に渡しました。

 それを見ていた周りの人々は「馬鹿なことをするもんだ」と、多いに笑いものにしましたが、安右エ門はへこたれず、毎日浜辺に出かけては、一石一拝して、一日100個の小石を集めて着ました。主人の法華経書き写しは、小石の数で69384個で、安右エ門が小石を拾いに浜辺に通った日数は694日にもなりました。

 このことを伝え聞いた津軽の殿様は、いたく感激して、安右エ門に褒賞金を下されたということです。

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