大公孫樹の神罰


 江戸時代の終わり、函館の役が起こった頃のお話です。

 その頃、津軽藩では深浦に兵隊を置いて海岸の警備に当たらせていました。戦時中ですから鉄砲や大砲に使う火薬を自前で作らなければなりません。津軽藩では川原町の「七戸氏」の敷地に火薬製造工場を作りました。

 その場所には今でも大変大きな公孫樹(イチョウ)のあります。この木から太い気根がたくさん垂れ下がっているのを見て、当時の深浦の人々は「乳の神様」と大変うやまい、お乳の出の悪い人はその気根に御幣を巻きつけて願掛けをしていました。

 さて、函館の役の年、火薬を作るために獣の皮や腐ったオシッコなどの汚いものを大量に公孫樹の根元に集めました。当時の火薬は黒色火薬で、そういうものを原料にしていたのです。 そうやって次から次と汚いものを集めましたので、この木の周りは、ひどい臭いで大変でした。

 翌年秋の静かな夜、突然空の上から「ドシドシ、ドンドン」と、まるで巨人のが足踏みをするような音がし、人々がビックリして家から飛び出すと、大公孫樹の側にあった火薬製造所がメチャクチャに壊れていました。

 深浦の人々は、「神聖な場所に汚いものを集めたので、大公孫樹の神罰がくだった。」と、噂し合ったそうです。

 このため、その場所はすぐに持ち主に返却されたということです。

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