稀産「大間越の白神岳花崗岩」詳細

0 はじめに、ひと一言
 青森県南西部の白神岳付近から海岸地帯にかけては、新第三系の基盤をなして、花崗岩類が露出する。 この岩体は、中粒のやや塩基性の岩相と粗粒のより酸性の岩相とに区別することができる。

 いずれも、強い片理を持っていることが特徴である。この片理は両岩相とも、同時期に一種の圧砕作用によって生じたもので、鏡下ではプロトクラステック組織を認めることができる。この片理は、粗粒の岩相のペグマタイト貫入の時期に形成されたものである。
1 緒 言
 今回は、この花崗岩類南半部の踏査を行ない、この岩体の特徴である片理の性格、その値について一応の資斜を得たので公表したい。ただし、海岸地帯と河床以外では、露出が悪いためもあって、観察が充分でない。これから述べる事実は、第2図に片理を書き入れてある地域内で見い出される資斜によるものである。

 また、白神岳の山頂部は新第三系に覆われており、花崗岩類は山麓部だけに分布している。したがって、この花崗岩体に「白神岳」という名称を付することは、必ずしも妥当ではないかt知れない。しかし混乱を避けるため新称を避け、「白神岳」という名称をそのまま踏襲したい。

2 地質概要
   白神岳花崗岩類は、中部中新世とされている黒石沢層下位の藤倉川層(安山岩熔岩・火山礫凝灰岩及び凝灰岩からなり、おそらく下部中新世の、いわゆるグリーン・タフ)に不整合に覆われている。

 岩質上からみれば。中新世の石英閃緑岩や斑糲岩などの貫入岩類とは明瞭に区別することができる。例えば、この岩体南方の須郷岬付近には、斑糲岩類・粗粒玄武岩・細粒石英閃緑岩・石英斑岩及びひん岩の貫入岩群が見られるが、これらは火山岩質であったり、片理を持たないなどの点で、いま間題の花崗岩類とは性質を異にしている。

 青森・秋田県境付近には、このほかにも、いわゆる基盤の花崗岩類が知られている。
例えば、青森県側の赤石川上流や岩木川上流などである。しかしこれらは、白神岳の岩体とは、やや岩相を異にしている。

3 野外における事実
 現地は、全般的に見れば好露出に恵まれているとはいえないが、海岸沿いだけは極めて露出状態がよく、幅数10m・長さ4kmにわたって、非常に新鮮な露頭がほぼ完全に連続している。

3−1 岩相区分
 岩相は、粒度と構成鉱物の種類や量比をもとにして、2大別することができる。すなわち、より細粒質のもの(Aグループの岩相=中粒黒雲母角閃石花崗岩;石英閃緑岩質)及び粗粒質のもの(Bグループの岩相=粗粒角閃石雲母花崗岩;アダメロ岩質)である。

 そして、これらの2岩相は、分布や片埋の強弱でさらにいくつかの岩相に区別される。いまこれを、仮りに、A1、A2、A3及びB1、B2、B3の岩相と、北から分布する順序で、名付けることにする(第2図)。

3−2 新第三系との関係及び各岩相相互の関係
 まず、新第三系とは、不整合関係及び断層で接する。東方の山地側では、大半の部分が不整合であって、藤倉川層の火山岩類に覆われている。

 不整合の付近では、花崗岩類中に火山岩の諸岩脈が多数認められる。そして、ごく一部(南部の小露出)が岩館断層によって限られている。

 岩体の北西部は、藤倉川層と大間越断層で接し、一部は同層に不整合に覆われている。ここで、第三系の構造に注目してみると、大間越断層と岩館断層はともに地質構造上大きな意味を持つ断層である。

 前者は西に傾斜し、後者は東に傾斜する正断層で、大きくみて、両断層に挟まれた地域は、背斜構造の軸部を構成している。したがって、第2図から分かるように、この花崗岩類は、同断層間の背斜構造の軸部にのみ露出していることになる。

 南部の須郷岬付近では、約30度北へ傾斜した断層で、第三紀の貫入岩と接している。ただし、この断層は小規模のものである。

岩相A1と岩相B1
 津梅川河床に、ややアプライト質の岩相B1が岩相A1を貫き、あるいは捕獲している露頭がある。
 そして、岩相A1の中には、接触地点から数10mの間にわたって、岩相B1から派生したペグマタイトやアプライト脈が貫入している。
岩相A1とB1と岩相B2
 両者は断層で接する。この断層は幅の広い擾乱帯を作っている。

岩相B2と岩相A2 とっぷ
 両者の関係は不明である。

岩相A2と岩相B3
 入良川河口付近で、両者の相接する露頭が認められる。そこでは、幅数cm−数10cmの間で、一見して漸移前に移化している。

 ただし、両者は強い片理を持っており、その構造方向は両者ともまったく同一である。片理の形成は後述のように両岩相貫入中またはその後のことであるから、この地点では、本来は貫入関係であったものが、後の片埋の形成のために不明瞭になり、漸移的な外観を呈するようになったのであろう。

岩相A2、B3と岩相B3
 両者は断層で接する。これは北へ約60度傾斜した断層で、その断層面に沿って粗粒玄武岩の岩脈が貫入している。

 そして、この断層は岩脈の貫入後にふたたび活動し、そのために岩脈及びその母岩は擾乱をうけて赤褐色に変色している。粗粒玄武岩貫入以前にすでに断層が生じていたことは、両側の花崗岩の種類及び構造が、大きく不連続的に異なっていることから推定できる。

3−3片埋
 北部地区を別とすれば、この花崗岩類の片埋は極めて明瞭であり、いずれの露頭でも走向・傾斜が簡単に測定できる、しかも、新第三紀の火山岩類岩脈の密集した所以外は乱れ少なく、野外では斉一的な印象を受ける。

 傾斜は一般に急であって、40度以上の場合が大半である。走向は、全体として北東−南西性で、中央部が北西方向に張り出して、その張り出しの両側の走向が急変する所が断層でずれている。

 この北東−南西性の方向性は興味深く、従来から知られている東北地方基盤類の多くの方向性(南北有北または北北西−南南東)とは異なっている。

 この花崗岩類のうち、片理のそれほど強くない所は、各地で普通に見られる片状花崗岩程度の外観を示しあるが、片理の強い所、例えばA2やB2の岩相には、一種の片麻岩(正片麻岩)が生じている。
 B2の岩相での例を述べると、長径数mm以上の長石・石英を取り巻いて、有色鉱物を含む細粒質の部分が波状にうねっておリ、場所によっては斑状のカリ長石(ピンク色を帯びることが多い)が見られるために、眼球片麻岩といってよい岩相を示している。

 後に述べる鏡下の性質から明らかなように、この溝造は一種の圧砕作用によって生じたものであるが、その作用を最も強く受けた部分は、一層細粒質で結晶片岩様の片理を示し、ミロナイトとしての外観を呈している。

 次に、片理と、Bグループの粗粒岩相中に見られるペグマタイト脈との間には、次に述べるような注目すべき事実が認められる。それは、特に木蓮寺から入良川河口にかけてのB3の岩相中で観察される事実である。

 このペグマタイト脈の産状には二通りあリ、一部のペグマタイト脈は母岩とクリーン・カットで切っているが、一部のペグマタイト脈は、片理によって乱されたり、逆にペグマタイトが片理を乱す状態を示している。

 しかし、乱されたいはいっても、ペグマタイト脈やや片理が折れたり、小さな断層で不連純になっていることは極めてまれで、片理ががベゲマタイトに接する部分で曲っており、あるいはペグマタイト脈が不規則に膨縮しながら走っている。そのうえペグマタイト内部にも擾乱を受けた形跡が認められたり、擾乱のためにペグマタイトと母岩との境界が不明瞭になっている例もある。

 これらの現象は、片理の形成と一部(初期)のペグマタイト貫入とが同時に起こったことを証明している。なお、アプライト脈の壁岩に対する関係はすべてクリーン・カットである。

 最後に、Aグループの岩相の片理についてであるが、すでに述べたように、入良川河口付近の岩相A2とB3の接触部で見る限り、両岩相の片理の走向・傾斜は完全に平行である。したがって、両者の片理は、同時期に形成されたことが分かる。

 Aグループの岩相中のペグマタイトは、極めて少ないので、片埋とそれとの関係に関して、断定的なことはいえない。しかし、見られる限リクリーン・カットで接している。また、それとは別に、木蓮寺付近に無数に見られる、A2の岩相の転石に注意してみると、片理方向に引き伸ばされたペグマタイト質の部分が発達している。しかし、この部分は閉じた形で、しかもぼんやりした境界のものが多く、いままで述べてきたような岩漿性のものであるという証拠がない。

 したがって、Bグループの場合のような推論が成り立つものか、あるいは、単に、局部前に片理形成と同時にべグマタイト質の部分が生じただけなのか判然とLない。

 また、津海川上流の岩相A1と岩相B1との接触部付近で観察すると、岩相B1のべグマタイトで、A1の岩相中に貫人しているものの一部は、その片埋に平行に、膨縮しながら走っている。この事実は、Aグループの岩相の片理形成もBグループの岩相の一部のペグマタイト貫入と同時期であることを示している。

4 鏡下における事実
4−1 岩質と組織 とっぷ
 ここでは、広義の圧砕作用によって生じたもの、という単純な意味でミロナイト様組織という名称を用いる。

 最初に述べたように、A1、A2、A3の3岩相は片埋の強弱という差異は存在するが、本来は、同−のグループに属すべきものと考えられる。B1、B2、B3の3岩相の場合も同様である。

 Aグループの岩石の構成鉱物は、(本来は)主に斜長石・石英・普通角閃石・黒雲母及び少量のカリ長石から構成されており、花崗閃緑岩質−石英閃緑岩質の花崗岩である。

 Bグループの岩石は、主に石英・斜長石・カリ長石・黒雲母及び少量の普通角閃石から構成されており、アダメロ岩質の花崗岩である。

 つぎに特有なミロナイト様組織であるが、肉眼で認められる片理の強弱と、ミロナイト様組織の強弱とは、必ずしも完全に対応しているわけではない。例えば、A1の岩相のあるもののよラに、肉眼前には弱い片埋がみられても、鏡下ではミロナイト様組織がほとんど認められない場合がある。

 しかしこれはむしろ例外で、調査範囲ではほぼ岩体全部がミロナイト化作用を受けており、一般前には肉眼的に片埋の強い部分ほど、よりはなはだしくミロナイト質であって、強い片理は、一種の圧砕作用によって生じたものということができる。

 このミロナイト様組織の鏡下における特徴は全体的に完全な結晶質であり、「粗粒部」と「細粒部」に明瞭に分けられることである。

 まず粗粒の結晶は、圧砕作用と受ける前に晶出していたと考えられる結晶であり、割れ目が生じたり、周辺部が粒状化したりする機械的な破砕作用、緑泥化作用などの変質作用が頻繁に認められる。

 細粒部では。結晶粒の大きさが必ずしも一定せず、全体として粗粒結晶を波状に取り巻いて、片理方向に流れる流埋様組織を示している。片理が最も強く、肉眼的にもミロナイト様を呈する部分では、大半が平行配列をする細粒結晶で、その中に眼球状の粗粒結晶の破砕された残りが散在している。

 以上の事実は、強片状の岩体に関してであるが、弱いないしは中程度の片理を持つ岩相では、やや様子が異なる。そこでは、細粒結晶が粗粒結晶に比較して少量で、流理様組織は必ずしも顕著ではなく。むしろ半深成岩類似の花崗斑岩などに見られるような組織を示している。


 しかし、分布状態を観察してみると、弱片状部だけが周辺相としての半深成岩とは考えられない。また、半深成岩質とはいっても、典型的な半深成岩とは異なって、弱いながら破砕作用や変質作用が認められるし、典型的なミロナイト様組織の部分と、同一薄片内においてすら激しく連続的に移化している。それゆえ、この組織は、強片状部が粗粒結晶と細粒結晶とに区別されるのと、本質前には同様の組織と解すべきであろう。

4−2 Aグループ岩相の鉱物
 初生の斜長石は一般に中性長石−曹灰長石である。ミロナイト様組織の強い岩体では、割れや粒状化が認められ、楕円形化している。比較的石灰質の中心部は絹雲母化作用などの変質作用をうけ、縁辺部にはAn30%(またはよりソーダ質)の部分が取リ巻いている。

 ミロナイト様部分の細粒の結晶は、An30%以下(よリソーダ質)の結晶で、カリ長石に接する場合、しばしば水滴状または蠕虫状の石英を含み、ミルメカイト組織を示している。ミロナイト様組織を示す花崗岩中に、ミルメカイト組織を示す斜長石が多いことは、すでに領家帯の太田切花崗岩場合においても注意を引いた事実である。

 石英はミロナイト様組織の強い岩体では割れや粒状化が目立っている。細粒の結晶は、単独にまたは他の細粒結晶とともにモザイク組織を示している。波動消光はごく少数の結晶だけに認められる。なお、細粒結晶全体のうちでは石英が最も多量で、これだけが集合している部分が多く、この部分は長石のまじる部分よりもやや粗粒で、片理方向の細脈状またはプール状をなしている。

 カリ長石は。少量の間隙充填型の結晶である。X線粉末法によれば、正長石と徴斜長石との両者が存在する。鏡下において格子状構造が部分的でも存在する結晶は微斜長石、存在しない結晶は正長石であると見なしてさしつかえない。1枚の薄片内で正長石と徴斜長石が同時に認められることもある。ミロナイト様部の細粒結晶は、例外なく微斜長石である。

 黒雲母は、すべて緑色を帯びてているのが特徴である。ミロナイト様組織の岩体中では、ほとんどの結晶が劈開面に沿って滑ったり、曲げられたりしており、同時に緑泥石化作用などの変質作用を蒙っている。

 また、少数例として、新たに結晶しているとみられろ細粒鱗片状の緑色結晶も存在する。これは強片状岩体の細粒部に、ときどき生じているもので、自形性が比較的強く、新鮮であることからみて、大型結晶の破片とは考えられないものである。ただし、多色性などの光学性は大型結晶と差がない。

 普通角閃石は、一般に鮮やかな比較的濃色の緑色または青緑色の結晶である。そして少数例では緑色のものと、青緑色のものとが中心部が緑色の累帯構造を示している。光軸角は比較的小さく、光学的分散が大きいのが特徴である・ミロナイト様の岩体では、結晶の変形や、緑泥石化作用、劈開面に伴う方解石・ドロマイトの晶出などが認められる。また、強い片理を示す部分に、まれに、ポイキリチックで、比較的自形に近い新鮮な小型結晶が生じていることがある。産状からみても大型結晶の破片とは考えられず、また光学性も異なることから、新たに生じた結晶であると推定される。その代表例では、淡緑色、で、光学的分散は普通である。

 副成分鉱物としては、ミロナイト様組織の弱い岩相中では、微量の燐灰石や鉄鉱が見られるに過ぎない。しかしミロナイト様組織の強い部分では諸鉱物が顕著に認められる。このうちアラナイトは、自形の結晶であり、緑簾石の中核をなして産する。

4−3 Bグループの岩相の鉱物 とっぷ
 石英の産状は、Aグループ場合とほぼ同様である。斜長石はごく弱い累帯構造を示し、成分はソーダ質中性長石である。ただし細粒結晶は、一般に、よりソーダ質である。

 産状はAグループの場合とほぼ同様である。カリ長石に正長石と徴斜長石が見られることもAグループでの岩相と同様である。ただし産状はやや異なり、量的には斜長石より多い場合があり、既述のような長さ数mm以上の斑状結晶の場合が少なくない。黒雲母・普通角閃石(やはり光軸角は小さい)及び副成分鉱物に関しては、Aグループの岩相中で述べた事実と大差はない。

 このように、量の多少は別として、両グループの鉱物の性質は、斜長石の成分が若干異なる点を除けば、極めて類似している。

5 ミロナイト様組織
 今まで述べてきたように、この花崗岩類の片理の強い部分は鏡下で観察するとミロナイト様組幟を示している。

 もう一度繰り返してその特徴を述べると、まず比較的明瞭に斑晶状の粗粒結晶と、マトリックス状の細粒の結晶とに区別することができる。そして粗粒の結晶は初生のものであり、機械的な破砕作用や変質作用をうけている。細粒の結晶のうも、大半の部分は新たに晶出した鉱物であリ、一部は粗粒鉱物の細分された破片である。

 前者の「新たに」晶出したという理由は、それらが残晶をまじえず、単純なモザイク状集合をしている新鮮な結晶だからであって、主として岩漿の残液から晶出したものに違いない。したがって、いままでは莫然とミロナイト様組織と称してきたが、厳密にいえば、プロトクラスチック組織といった方が妥当である。

 上記の細粒の新生鉱物の中では、石英が最も多く、その他には微斜長石・ソープ質斜長石・ミルメカイト組織を示す斜長石・黒雲母・淡緑色普通角閃石及び副成分鉱物が見い出される。

 この副成分鉱物というのは、細粒部に独立の結晶として散在するものに便宜的に名付けた名称であって、同種の鉱物でも、その場所で粗粒鉱物との交代がはっきりしているものに対しては「変質鉱物」として記述してきた。しかし、両者の間に種類の上からも、産状からみても、明確な区別の線と引くことはできない。しかも両者の大多数は圧砕作用の時期またはその直後に生じたものと考えられ、それ以後、風化作用などで生じたものがあったとしても、ごく少量である。

 結局、ここで副成分鉱物としたものは、成因的にみれば、粗粒鉱物から変質作用で派生した二次的鉱物であり、初生鉱物に対する変質作用がなかったならば、この種の鉱物は晶出しなかったであろう。

 この新生鉱物は、もちろん片理形成時の物理的条件下で安定であった鉱物である。これに対して、初生鉱物として見られるAn3O%以上の斜長石や、濃色の普通角閃石ならびに正長石は、細粒結晶としてはみられないから、片理形成時にはすでに不安定であったと考えられる。このことから分かるように、初生の粗粒鉱物に比較して片理形成時に生じた鉱物は、明らかに低温条件の鉱物である。

 つぎに、この花崗岩類の大きな特徴は、石英その他に波動消光があまり見い出されないことである。後に述べる他地域のプロトクラスチック組織の花崗岩は、石英などの顕著な波動消光が大きな特徴になっているからである。
 この場合、初生の石英などに波助消光があまりみられないのは、間題の圧砕作用が固結後に起きたのではなくて、まだ流体が結晶の周囲に残存していた時期のできごとであることを示すものであろう。つまり、プロトクラステック組織としての典型的な特徴と考えてよいであろう。

 また細粒の石英や長石が波動消光も定方位に伸びた結晶形をもほとんど示さないのは、それらの晶出時には、強い圧砕作用は終息しでいた終息していた事実を示している。

 見方を変えるならば、石英に波動消光が認められるのは圧砕作用が固結後にまで及んでいたことを示すものである。多くのプロトクラスチック花崗岩が、あまり新鮮な外観を示さないのは、固結後の圧砕作用によるものではなかろうか。

 最後に、この花崗岩類の貫入から固結までの経過を追ってみることにする。ここでの花崗岩類の大きくみた構造概念図を示すと第3図のようになる。今回の調査範囲に関する限り、北西一南東性の2本の断層で北東・中央・南西部に3分され、圧砕作用を強く受けた岩相は、中央に分布している。

 この図から判断すると、この花崗岩類は、平面前に見てPで表わされるような強い衝動的な方向圧を受け、そのために完全に固結していなかった岩体内部に摩擦を生じ、プロトクラスチック組織ができた。その際、最も強く方向圧をうけた中央部は大きく湾曲し、引きずられて両側との間に「ずれ」を生じたものと考えられる。

 すでに述べたことから分かるように、Aグループ及びBグループの2岩相に対する圧砕作用は、同時期の(おそらく、大きくみれば1回だけの)できごとである。それは、両方の花崗岩とも結晶作用が行なわれるだけの火成作用の余脈を保ち、まだ完全には固結していなかった時期である。その時期は、野外の観察によって後から貫入したBグループ花崗岩のべグマタイト期初期であることが分かっている。したがって、両花崗岩の貫入は極めて近接した時期であったと解される。

 なお、この事実と両花崗岩の初生の鉱物の種類と性質が類似している事実とは無関係派ではないであろう。この鉱物学的の事実は、固結時の両花崗岩が同一物理的条件下にあったことを示すものであろう。

とっぷ
ここでまだ残された問題は、圧砕化を受けたのは一度貫入した後の静止状態の時だったのか、上昇しつつあった時だったのか、ということである。

 さきに、圧砕された部分が半深成岩類似の組織を示している事実を述べたが、このことから常識的にみて細粒結晶の晶出は粗粒結晶の晶出に比較して「より遅れた時期」であり、その晶出速度は「より急激」であったと考えるべきである。また、晶出時の温度は、細粒結晶の晶出時の方が「より低温」であった。

 このような諸条件を同時に満足するためには、花崗岩が最初から静止状態にあったとするよりも、むしろ、両者とも貫入上昇しつつある時期に圧砕化を受け、その後、ほぼ静止状態にもどった時、細粒結晶の晶出が完結したと考えた方が、より合理的である。

おわりに、あたって

 いままで記述してきたことと簡単に取りまとめると次のようになる。白神岳花崗岩類は中粒の石英閃緑岩質の岩体と、粗粒のアダメロ岩質の岩体とに区別することができる。両者はこの順序で、相ついで貫入した。後者が貫入する際、前者はまだ完全には固結していなかったものと思われる。

 ついで、粗粒の岩体のペグマタイト期初期に、南東から北西方への方向圧が加わり、圧砕作用を受け、プロトクラスチック組織が形成され・そのために現在見られるような強い片埋が生じた。

 鏡下で観察すると、初生の粗粒鉱物と、圧砕作用後に晶出した細粒鉱物とが区別され、後者は前者に比較すると、より低温で安定な鉱物群である。

 そして、その他の様々な諸条件を考慮すると、細粒鉱物は、初生の鉱物が晶出した場所に比較して、より浅所に貫入して後に晶出したものと考えられる。また、プロトクラスチック組織は貫入の途上で生じたものである。
   (昭和37年6月調査)

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