十二湖(詳細図と濁川伝説)紹介 |
● | 宝永元年(1704)の能代大地震の際にできたといわれる「十二湖」です。大崩山(940m)から見ると12個しかないのでこの名前が付いています。本当は全部で33個を数えます。 |
● | この湖沼群は図でも分かるように狭い範囲、高度が150-200mほどの丘陵部に分布しています。 |
● | この岩は新第三系上部の流紋岩質角礫凝灰岩(十二湖凝灰岩)から出来ており、非常に軟弱で崩れやすくなっています。 |
● | 濁川沿い各所に崩壊している場所があり、この川の上流部には「日本キャニオン」と呼ばれる、見事なU字谷のようなの断崖が発達しています。 |
● | また、湖沼群の東側には安山岩からなる「崩山」の西側山腹に、大規模な山崩れ地形を示す大断崖を観察できます。 |
● | 濁川伝説(十二湖の伝説)は岩崎村の西口氏が収集したものから頂きました。 |
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No | 湖沼名 | No | 湖沼名 | No | 湖沼名 |
1 | 青 池 | 12 | 仲道の池 | 23 | 萱原の池 |
2 | 鶏頭場の池 | 13 | 八光の池 | 24 | 金山の池 |
3 | 蟇 沼 | 14 | 日暮の池 | 25 | 糸畑の池 |
4 | 沸壷の池 | 15 | 小夜沼 | 26 | 三蔵の池 |
5 | 落口の池 | 16 | 影坂の池 | 27 | 牛蒡の池 |
6 | 中の池 | 17 | 長 池 | 28 | 千鳥池 |
7 | 越口の池 | 18 | 四五郎の池 | 29 | 面子坂の池 |
8 | 王池(東湖) | 19 | 子宝の池 | 30 | 濁 池 |
9 | 王池(西湖) | 20 | 埋釜の池 | 31 | 大池(東湖) |
10 | 二つ目の池 | 21 | 道芝の池 | 32 | 大池(西湖) |
11 | 八景の池 | 22 | 石殻の池 | 33 | 破 池 |
濁 川 伝 説(十二湖の伝説) |
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むかしむかし、松神の西はずれの川(今の濁川)の脇に数件の家がありました。ある夏の昼下がり、女たちが川岸で洗濯したり、米を研いだりしていました。 そこに、汚らしい格好をした旅の坊さんがやってきて、食べ物を所望しました。一番年上の女が、「お前のような汚い坊主にくれるような食べ物は無い。」と言って断り、もう一人も「汚い坊主にくれてやるより、鶏にやって卵を生んでもらったほうがよっぽど好い。」と、けんもほろろに断りました。 仕方なく、トボトボと帰ろうとする旅の坊さんに、若い方の二人が、「飯の焦げを干したのでもよかったら・・・」と、家からから持ってきて渡しました。 旅の坊さんはお礼を言い、それから「近いうちにこの川は、米を研ぐことも洗濯することもできない川になる。向こうの高い所に移ったほうがいい。」と、言って立ち去りました。年上の女たちは、坊さんの言葉を無視し、若い女の家は畑のある高台へ引っ越しました。 それから数日後、ものすごい雨が三日間も続き、四日目には雷まで鳴って、挙句は、大地を揺るがす大地震が起きました。ものすごい雨降りと余震は五日目も続きました。 六日目も雨、その夜、長い地鳴りが続き、地震とは違う地響きに、高台に移った人々も眠れぬ一夜を過ごしました。七日目の朝、さしもの雨は上がり、夜明けを待って外に出た人たちが見たものは、川の両岸の家も小屋も、何もかも跡形も無く消えていた濁った川でした。 「夜中の地鳴りは、山津波だった。旅の坊さんの話は本当だった。この川では米も研げないし、洗濯も出来ない。」と、身を震わすばかりであったそうです。 山が陥没して無数の池ができ、地すべりで谷がせき止められ、一気に押し寄せた山津波が川の両岸の家を一呑みにしたのです。 こうして出来たのが、今の「日本キャニオン」と「十二湖」だということです。 |
ばっく |