爆弾三勇士(A)
昭和07年

作詞
作曲
与謝野 寛
辻  順治

廟行鎮(びょうこうちん)の敵の陣
我の友隊(ゆうたい)すでに攻む
折から凍る如月(きさらぎ)
■二十二日の午前五時

大地を蹴りて走り行く
顔に決死の微笑あり
他の戦友に遺せるも
■軽(かろ)く「さらば」と唯一語

命令下る正面に
開け歩兵の突撃路
待ちかねたりと工兵の
■誰か後(おくれ)をとるべきや

時なきままに点火して
(いだ)き合いたる破壊筒
鉄条網に到り着き
■我が身もろとも前に投ぐ

中にも進む一組の
江下北川作江たち
凛たる心かねてより
思うことこそ一つなれ

轟然おこる爆音に
やがて開ける突撃路
今わが隊は荒海の
■潮の如く踊り入る

我等が上に戴(いただく)くは
天皇陛下の大御稜威
後に負うは国民の
■意志に代われる重き任(にん)

ああ江南の梅ならで
裂けて散る身を花と成し
仁義の軍に捧げたる
■国の精華の三勇士

いざ此の時ぞ堂々と
父祖の歴史に鍛えたる
鉄より剛(かた)き「忠勇」の
■日本男子を顕(あらわ)すは
10 忠魂清き香を伝え
長く天下を励ましむ
壮烈無比の三勇士
■光る名誉の三勇士


歌詞:10/07/02/midi:
■大阪毎日・東京日日新聞募集当選歌
■爆弾三勇士とは、日本陸軍独立工兵第18大隊(久留米)の、江下武二、北川丞、作江伊之助各一等兵3名のことである。上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、蔡廷楷率いる19路軍が上海郊外(現在は上海市宝山区)の廟行鎮に築いた陣地の鉄条網に対して、突撃路を築くため、点火した破壊筒を持って敵陣に突入爆破(強行破壊)し、自らも爆死した。
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