浜辺の歌【F】
戦後 中等音楽(三)/昭22年

作詞
作曲
林  古渓
成田 為三


あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍ばるる
  ■風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も

ゆうべ浜辺を もとおれば
昔の人ぞ 忍ばるる
  ■寄する波よ 返す波よ
月の色も 星の影も
▼3番は、いろいろ曰く付きの歌詞です。
はやちたちまち 波を吹き
赤裳(あかも)の裾ぞ 濡れひしじ
  ■病みし我は すでに癒えて
浜の真砂(まさご) まなごいまは

中等音楽3(昭和22) おけら歌集は行


新おけら歌集(07/12/12) / 楽譜:ビーさん(08/01-09/07)
■難解用語■
・あした…朝 ・もとおる…うろうろする
・星の影…星のひかり ・赤裳…赤い服
・はやち…はや=疾風/ち=東風こち ・濡れひしじ…濡れ漬つ/ドップリ濡れる
・まなご…真砂と愛子(めんこい我が子)
・この曲の一二番は、林古渓が幼い日に神奈川県辻堂東海岸付近の浜辺を歩いたときの追憶を歌ったものとされています。三番は現在の彼をあらわしているのでしょうか??? ただ、出版社とのいざこざで、古渓自身は三番の歌詞を毛嫌いしていたと聞いています。この歌の詳しい解説url(ここ)を紹介しますので、クリックしてみてください。

・成田為三の曲イメージの詳細は分かりませんが、能代の海岸をイメージしたという説もあります。ここは、砂の移動を押さえる「風の松原」が有名です。
浜辺の歌音楽館■:秋田県北秋田市米内沢字寺の下17-4/TEL 0186 (72) 3014 (旧森吉町)
■♪〜あした浜辺をさまよえば…。林古渓(1875-1947=歌人、作詞家、漢文学者)が湘南海岸を歩いた幼い日を追想したという詩が雑誌「音楽」1913(大正2)年8月に掲載されたものに、成田為三(1893-1945)が作曲。成田が東京音楽学校(現・芸大)在学中(師事したのは在野の山田耕筰)に作曲の試作として創作した。
 創作を勧めたのは「音楽」主宰者・牛山充であり、1918(大正7)年にセノオ楽譜から独唱曲として刊行され、以来、日本の代表的な歌曲として広まった。
 成田は秋田県出身。童謡雑誌「赤い鳥」主宰者・鈴木三重吉と出会って、子どもの歌の創造に情熱を傾け、北原白秋詩「赤い鳥小鳥」「ちんちん千鳥」、西条八十詩「かなりや」など58曲を同誌に発表。晩年は国立音楽学校教授を務めた。
うた新「歌の小箱」165(**/**/**)