虫になりても【Em】
+すずききよし作品集+

作詞
作曲
すずききよし


冷たい夜更けの 窓の外に
死んだ母の姿が 見えたような気がして
高い窓にかけ寄れば 軒をかすめるぼた雪が
  ■音もなく降りしきる のです

犯した罪を 償うための
さだめと自分に 言い聞かせても
その朝が近づくと 虫になっても生き延びたいと
  ■声にならない声で 泣くのです

その朝が来ても 取り乱さずに
安らかに死にたいと それだけを神に願い
共に暮らした十姉妹を「俺の分まで生きてくれ」と
  ■高い窓から離して やるのです




新おけら歌集(06/04/04) / 楽譜:ビーさん(06/07)
■高知県の歌人たちの集まりである「高知歌人クラブ」の田所妙子さんという方のところに、仙台市にある宮城拘置所から一通の手紙が来ました。「拝啓 突然このような不躾なお便りを致しますことをどうぞお許しください。私は現在宮城拘置所に勾留中の者であります………」という書き出しで、執行の日を待つ死刑囚である「平尾静夫」という青年から、短歌誌「高知歌人」を獄内で知ったこと、短歌を作り始めてから心が安らいだこと、神への信仰をもって改心したことなどが記され、「歌人クラブに入会したい」というものでした。
 田所妙子さんは優しく入会を認め、歌集を送り高知歌人クラグと死刑囚・平尾青年との間に交流が始まりました。
 毎回、添削しては会誌に掲載され、平尾青年の作品は上達しました。それだけではありません、十姉妹を飼い、麦の多い4等飯を唇からくちばしへとたべさせるような優しさ、祈りによって改心し、人間だけでなく、生きるもの全ての生命の尊さを知ってきた平尾青年は、会員の写真を見ては亡き母の面影を見つけたり、いつしか会員の方の中に「お母さん「お姉さん」と呼ぶ人ができ、心からの交流になりました。

 ●その朝を怖れつつ また眼閉じ ひたに思えり 死の安らぎを
 ●子雛より 飼われて手に乗る十姉妹は 吾なき後は 誰に飼われん

 平尾青年の短歌は、まるで仏様のように優しい心がうたわれるようになり、歌人クラブの会友たちも心から励まし、心温まる文通が続きました。
 ある時、歌友の送った手紙は「本人不在につき返送す」という赤い付箋が貼られて戻ってきました。やがて「刑場に 果てる命を嘆きつつ 虫になりても 生きたしと思う」という時世の歌が届けられました。(1960年10月14日死刑執行)
 「………虫になりても ………虫になりても 虫に、虫に 虫けらでもいいから生きていたい」 詳しい事情は知りませんが、義理の母を誤解から殺してしまった尊属殺人だったことだけは分かりました。いわば凶悪犯として処刑された平尾青年ですが、その心根を考えると………。
 高知歌人クラブの方々は、それから一年半後の1962年4月20日に追悼歌集「虫になりても」を出版しました。そのうちの一冊が回りまわって私の手元に入ったのは、13年も経った1975でした。
 読んだ私は電撃を受けたようなショックで、7ヶ月も8ヶ月も作詩も作曲もできず、やっと秋になって出来た曲です。
すずききよし