風化 【Bb】
+すずききよし作品集+

作詞
作曲
すずききよし


今はプラタナスの 緑あざやかな 街路樹の下の
恋人達の道だが 炎と煙の 渦巻く中を
 ■着のみ着のままで 逃げまどったのは
 ■遠い昔の 夢の中だろうか

今は赤さびた 鉄骨のドームと 記念碑に刻んだ
誓いの言葉だけが 避けた肌から 吹き出す血汐
 ■水を求めて さまよい死んだのは
 ■遠い昔の 夢の中だろうか

今は見せかけの 愛と優しさを 信じあう振りで
生きている人々 愛するわが子を 夫を 妻を
 ■奪われ 殺され 涙の涸れた日々は
 ■遠い昔の 夢の中だろうか



新おけら歌集(04/08/11) / 楽譜:ビーさん(2004/09)
■きよちゃんのメール(2004年8月19日 0:13)■
Re: 私こそすみません <(_ _)>

 『御免なさい』 風化のコメントを書いたと思ってました。そうですか未だでしたか。ボケが始まったかな?
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 『風化』 何か事がある度に、偉い人たちは言うのです。『このような過ちを2度と起こしてはならない。 そして、この経験を風化させてはならない。』と。

 だが、過ちは繰り返し続けられています。広島の平和公園の、記念塔には、誓いの言葉が彫られています。「あやまちは繰り返しません」と。しかし、アメリカは公式には一度も、『無差別に、非武装の日本国民の上に、残酷な大量破壊殺傷兵器を使用したことは過ちだ』とは言っていませんし、謝罪もしてはいません。
 焼け爛れた、裂けた肌をぶら下げて『水、水、みず』と彷徨いながら、息絶えた人々、崩れたビルの壁面に、写真のように影を焼き付かせて、灰になった人、この人
人が息絶える直前に願ったことは何だっただろうか? 「この思いを風化させてはならない。」

 満州から引き上げる途中、原爆投下1年後の広島駅から、一面未だ焼け野原だった広島市内が見渡せた。 『72年間、草木も生えない』と言われたそうだけど、1年で雑草は生えてきた。だが、ピカドン孤児たちは、餓えと、原爆症で次々と死んでいった。
 それから7年後、関西合唱団の一員として、中央合唱団をはじめ、全国のうたごえの仲間達と、広島大会に参加以来、何回も参加したが、1979年か80年頃、来日予定のピート・シーガーのピンチヒッターで出演させていただいた時に、作った歌がこの『風化』でした。
 1985年には「ピーストレイン85」を国労やMIC(マスコミ・文化・情報労組)等の仲間達と反核貸切列車をはしらせ、『ピーストレイン85』の歌を作りました。 そして、199?年、ピートシーガーが来日した時、広島で同じステージに立ち、私は持ち時間の最後に、この『風化』を歌いました。

 峠三吉の詩による合唱組曲や、門倉さとし作詞「ガラスの風船」、永井隆博士のお嬢さんの「娘よここが長崎です」他、何曲かの反核の曲や歌を作っていますが、今この時、この歌だと思うのです。
 皆さんも是非歌ってください。自分の好きな感じで、16ビートでよし、8ビートでよし、4ビートでよし、バラードの好きな人はバラードで。                 
すずききよし