僕が死んでも泣かないでおくれ 【C】
−ジョー・ヒルの遺言−
+すずききよし作品集+

作詞

作曲
矢沢 保
すずききよし
すずききよし


僕が死んでも 泣かないでおくれ
僕は生きてる みんなの胸に
  ■何時までも 何時までも 歌声とともに

僕が死んでも 埋めないでおくれ
僕のからだは 燃やしておくれ
  ■灰にして 灰にして 飛ばしておくれ

僕が死んでも 忘れずにおくれ
僕は飛んでく みんなのそばに
  ■風に乗って 風に乗って 世界の果てまで

僕が死んでも 必ず夜は明ける
枯れた花には 生命(いのち)と愛を
  ■拉(ひし)がれた人には 勇気と希望を

僕が死んでも 泣かないでおくれ
僕は生きてる みんなの胸に
  ■何時までも 何時までも 歌声とともに


原詩「My Last Will」 JOE HILL

My will is easy to decide,
For there is nothing to divide.
My kin don't need to fuss & moan--
"Moss does not cling to rolling stone."

My body? --Oh! --If I could choose,
I Would to ashes it reduce,
And let the merry breezes brow.
My dust to where some flowers glow.

Perhaps some fading flower then
Would come to life and bloom again.
this is my last and final will.
Good luck to all of you,




新おけら歌集(05/01/15) / 楽譜:ビーさん(2005/01)
ジョー・ヒルについて
■1915年11月19日、アメリカ合衆国ユタ州で、銃声とともに一人の作曲家が処刑された。罪状は殺人罪。その人の名は「ジョー・ヒル」。それはユタ建設労働者のストライキを指導したIWW(世界産業労働団)の指導者の一人だったジョー・ヒルに対する卑劣なデッチ上げだった。
 ジョー・ヒルは貧しい移民でした。1879年10月7日スエーデンに生まれたジョーは、1901年に兄とアメリカに渡り、仕事を探しながら放浪した。1910年IWWの一員となったジョーは、赤い小さな本(10セント)を武器に、オルガナイザーとして活動した。「スト破りのケーシ・ジョーンズ」「牧師と奴隷」などの歌はよく知られている。
 実は殺人事件のあった夜、ジョー・ヒルにはアリバイがあったのだ………。何年かぶりで再会した初恋の人とのデート。しかし、それを裁判で証言することは、ジョーにはできなかった。言えば、彼女にも迷惑を及ぼすことになるから………。ジョーは恋人を不幸にするより、死を選んだのだ。
 ジョー・ヒルは上のような遺言を残した。この遺書を訳し、歌詞にまとめた時、矢沢保氏が若干の語句について、助言をくれた。
「すずききよしフォークアルバム第2集/明日への道(1973/02)」抜粋

楽譜送付の件 (2005/01/11/23:01)
 ブンブンさん、ビーさん今晩は(^0^) お二方とも、お元気のご様子で何よりです。
 しつこい腰痛の原因がわかりました尿管結石で、どうも我家の遺伝体質で、弟や親父が「腰が痛い」と言い出すと決まって、尿管結石で、私は「二人ともグルメだしビールを良く飲むからや」と、言っていたのですが、最も注意していた私が罹っちゃ洒落になりませんね。
 ジョー・ヒルの「ラストウィル」(遺言)を翻訳した歌、アメリカのピート・シーガーや、ジョーン・バエズも歌っていた歌です。
すずききよし