たたかうことを忘れるな【Ab】

作詞
作曲
ゆさりゅうじ
須藤 五郎


仲間よ 闘うことを 忘れるな
たとえ【たとえ】 どんなに【どんなに】
苦しくても
たとえ【たとえ】 どんなに【どんなに】
つらくても
闘う【闘う】 ことを【ことを】
忘れるな

汗にまみれ 泥にまみれ
雨の降る日も 嵐の夜も
闘い続ける その中から
明るいその日が きっと来る
  ■仲間よ【仲間よ】
  ■闘うことを 忘れるな



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新おけら歌集(10/11/16)千曲集 / 楽譜:ビーさん(11/02-12/10)

■元宝塚歌劇団の指揮や作曲を担当していた作曲者が、戦後、日本共産党の国会議員(参議院)として活躍していた時代の作品。当時闘われていた王子製紙労働組合に捧げられている。他に平和音頭などが歌われた。

■須藤 五郎(すどう ごろう、1897年9月14日 - 1988年11月18日)は日本の音楽家、政治家。元日本共産党参議院議員(4期)。筆名は鳥羽英夫。
■三重県鳥羽市出身。旧制東京音楽学校(東京藝術大学音楽学部の前身)を卒業後、東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で教鞭を執るかたわら、1922年からは宝塚歌劇団の作曲家、指揮者に就任。1928年に発生した三・一五事件で日本共産党中央委員会が壊滅する中、地下活動を続ける党に対し資金援助を行ったため、1930年2月に検挙され投獄される。留置場で作曲した「しぐれに寄する抒情」は後に三浦環により愛誦された。
■戦後は宝塚労働組合を結成し、委員長となる(副委員長は春日野八千代・天津乙女)が不当解雇の憂き目に遭う。1948年に共産党に入党、1949年11月に大阪で結成された「関西勤労者音楽協議会」(関西労音)の初代会長となる。1950年6月4日の第2回参議院議員通常選挙で全国区から出馬し初当選。以後1959年、65年、71年の各参院選において、初当選時と同じく全国区から立候補し当選を果たす。この間党内では国会対策委員長や名誉中央委員なども歴任した。また、芸術家としての立場から、同僚の瀬長亀次郎、古堅実吉両衆院議員らとともに、国立劇場おきなわ(沖縄県浦添市で2004年1月開場)設立に尽力したことでも知られる。
■1988年11月18日、急性呼吸不全のため、大阪府堺市の同仁会耳原総合病院で死去。91歳。
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