卒哭忌 【Am】
東日本大震災の百ケ日に〜婆は語る〜

作詞
作曲
くるいひとし

ずっと同じぐらい悲しいの
もう百ケ日と云われても
馬鹿みたいでしょう この私
■花束抱えて今日も来た

●家の跡で花を手向けて…
家族がそろったあの夕べ
松を焚いた松明かし
忘れぬお盆の一コマの
■きれいだった あの夕べ

パチパチ燃えて爆(は)ぜる音
松の香りに胸弾む
私一人になっちゃって
ただよみがえる松明かし
●異名同曲: 卒哭忌 灯籠流し
孫が通った小学校
石の門柱だけ残ってる
二人の孫が見つかった
■遺体があったこの場所

も一人の孫もその母も
いまだ行方がわからない
見つけてもらえず寂しかろう
せめて毎日花あげる



新おけら歌集(11/06/18)Req:Lunatyさん / 楽譜:bunbun(2014/10)
百カ日(卒哭忌)
■18日は、東日本大震災で亡くなった方々の百ケ日ですね。卒哭忌ともいうことを初めて知りました。
創るつもりはなかったんですが、新聞記事で知った卒哭忌という言葉に触発され、創ってみました。

 題名は迷いました・・・。おけらmidiにupするかどうかはともかく、聴いてみてください。(御詠歌みたいな感じもしますが) 音色づかいが問題かもしれません
2011/06/16のlunatyメール
■百ヶ日忌とは…(【東大寺HP → 年回法話 → 百ケ日忌」から】
『百日たちました。 ご遺族にとってみれば、いつまでも悲しみがこみ上げてきて、思い出と共に涙もつきませんが、昔から今日の百ヶ日忌のことを、卒哭の忌と呼んでおります。 卒は卒業の卒で終わるという意味、哭は泣くということで、泣くのを卒業する日ということになります。 泣きたい気持ちは判りますが、いつまでも遺族に泣かれているとあの世の故人も、つい思いが残り、足が進みにくいことになる。 それでは困るし、遺された人にはこれからの人生を生き抜いていかねばならぬという定めがあります。 どちらにしても、ここらで、泣くのを終わりにいたしましょうという教えなのです。』
●楽譜の脚注に「2011.06.14朝日新聞39面記事「不明者8000人(下)」 [ 悲しみは終わらない 〜 百ケ日の区切り 今は無理でも 〜(川村直子記者) ] を読んで創りしもの。」とありました。下に、その触発された記事を載せておきます。