里子にやられたおけい【Em】

作詞
作曲
窪川鶴次郎
守田 正義


おけいは ふたつだ
二階のあんちゃんにおぶさって
祭で買()うてもろうた 般若(はんにゃ)の面
  ■かぶったまんまに 眠れば
  ■朝まで 般若の子です

昼は 一人だ
知辺(しるべ)の家の暗い部屋
いつも揃った 晩の飯に
  ■おっかは行商 あんちゃん工場
  ■お父っちゃんは 牢屋

おけいは みっつだ
小さいながらもプロレタリアだ
あんちゃんも牢屋 みんなに別れて
  ■里子にやられ 剣と帽子の絵を見れば
  ■じいちゃん ばか と呼んだっけ




新おけら歌集(04/10/16) / リクエスト(田戸ぱぱ04/10/12)
楽譜:ビーさん(2004/12)

不運やつら 「熱田五郎」  
by 田戸パパ
 たぶん、今晩はとでも言っていたのだろうが、私には誰かが表で呟いているとしか聞こえなかった。開け立ての悪い玄関の戸をそっと開けて入って来たのを見ると、河山三太郎だ。わりといいなりをしていた。黒い背広の上衣に赤白の縞のネクタイ。下の方ははっきりしないが作業ズボンではなかったかと思う。
 うしろの髪が鶏のとさかのように突っ立っているのは、十年前と同じだが、それでも櫛のあとが見えていた。
「あ、居てよかった」と言いながら部屋へ上ってくると、まわりをちょっと見廻して「仲々綺麗な部屋ですね」と、にやっとした。
 よせやいと思わざるを得ない。一昨日の夫婦げんか。それにうちはふたりとも不精だから、四畳半ひと間の借り間は、天井には煤がさがっており下は挨でざらざらしている。しかし河山は、何についてでも反対のことを言うことが習癖になっている男なので、「前のところよりはね」と言って坐布団を出した。案のじよう彼は、坐るなり机がわりのチャブ台の上を、額をふくらませてぷうと吹いた。
「結婚しようと思うんですが、それが、どうも、うまくいかないんですよ」
 だし抜けにそう言ったきり黙っている。私がいつも河山にいらいらさせられるのは、話の間がながいということだ。相手の顔色を見て次の言葉を探すのだろうが、迷惑する場合の方が多い。
「じや、やめるんですね」
「そんなこと言うもんじやないですよ」
「だって相手から嫌われたんだろう」
「ぜんぜん、違いますよ」
私は早合点をしたらしい、というのは、河山という男は、容貌からいっても生活能力からみても、また性格の暗さから考えても、女性には好かれない人間だときめていたからだ。
「じや、一緒になればいいじやないか」
「そんな簡単なものではないですよ、われわれの結婚は」
 その夜、たしかに私の頭は幾分落着きを欠いていた。二度めの結婚から十年を少し越えるが、月に二、三度、憂鬱な、時には激しいいさかいをしなければならない。原因は殆ど金のことにかかっているが、結局は、女房は私の無能ぶりを強く言いたいのだろう。
 それが日頃内攻しているだけに、一昨日のように漬け物の載せ石のことから始まって女房の財布から百円玉一個抜き出して飲んだことに発展し、ともに積っている悪態のかぎりを出し合うようになって、とどのつまりはインク壜や鍋が飛ぶ始末になった。とはいっても永年慣れていることだから、相手に怪我をさせたり襖や窓硝子を毀さないようにはやっている筈で、たがいに気がすめば一応おさまるのだが、一昨日のは私の投げた火箸が間違って相手の足にあたった。
 もっと右の方へ投げればよかったのだが、ともあれ、四十を越して女房に出られ、自炊しなければならないなど、いやなものだ。たしか何処かに、結婚という言葉をきらう気持ちが私にはあったようだ。
「君は幾つになりました?」
「さんです」
「相手のひとは?」
「十八かな。十五違う筈ですよ。鶴見自労の委員長をやっておられた、片口安造さんの次女です」

――そこから彼は幾分よく語るようになった。

「『里子にやられたおけい』って歌、知っていますか」
「窪川鶴さんのだろう。可愛い歌詞で、今でもだいたい覚えていますよ」
「相手は、そのおけいさんの妹です」
 そんなことがあるものか、と思って彼に幾つかの質問をした。結果知り得たことは、おけいは実在のひとで、片口さんの長女。いま長崎へ流れて外人相手の商売をしている。父子対面は約二十年ぶりで去年出来たが、その去年の暮片口さんは亡くなった。
「なんのきっかけで知り合ったの?」
「とむらいの時です」
 どうも河山という男は、えんぎの悪いやつだった。結婚ばなしあとはとむらいときた。この男がうちへ来た時は不吉の前ぶれだと女房に言ったこともある。
「片口さんがね、三・一五で捕まる前に生まれたのがおけいさんです。入獄中に奥さんはほかのひとと一緒になって、おけいさんは孤児院へやられたんですよ」
少し間を置いて河山が続けた。
「何回も女のひとに逃げられたらしいてすね、片口さんは。ぼくと今度一緒になろうとするのは、二度めか三度めのひとの娘ですよ。本人も判らないんです。やっぱり孤児院へやられていたから。いまは準看護婦です」
 いろいろ知りたいことがあった。しかし河山は、近くその娘を連れてれてくるからと言って這入ってきた時と似た様子で部屋から出て行った。
 河山の結婚が困難だという理由は、相手の勤め先は市立の病院で、看護婦は全員寮ずまい。通勤は認められないから結婚即退職ということになる。しかし、河山は、国鉄労組の書記をしていて、収入は月額一万円そこそこ。それだけでは食うのもやっとなので、今すぐにとも思うのだが、出来ないでいるということだった。
 河山が帰ったあと私はゆっくりと片口安造さんを思い出していた。
 河山の言葉から考えてみて、たしかに「里子にやられたおけい」の実父らしい。とすれば、実際にはおけいは「里子」にではなく孤児院へやられたのだ。
片口さんとは七年程前親しく話し合ったことがある。自労の県委員長をしていた頃で、どういうきっかけだったかは忘れたが、自分の経歴をこんなふぅに語っていた。九つで小学校を退学、あちこち小僧や見習い工をしているうち、江東地区で渡辺政之輔を知ることが出来た。
 それから非合法活動に入り、何回めかの入獄のあと、日本労働組合全国協議会のレポーターをしていて、永代橋で捕まった。スパイを通じてすでに探知されていたらしく、両方から警官隊の挟撃にあって、河へ飛び込もうとしているうちにサーベルで頭を打たれ、意識不明になって病院へ入れられたが、それからは、ずっと頭の調子が良くないという。そういえば何か判るような気もした。自労県大会の議長をした時、こんな挨拶をした。
「労働者の集りでは、理窟でことを決めるへきではない。六感こそが大切なのだ。団結もそこから生れてきます」
--―この言葉は印象に残る。
 五十年も前から古い人達と運動してきた片口さんにはそういう気持ちが強く残っていたのだろう。頭を打たれた、という原因もあるが、九つで小学校をやめたきりでの片口さんには、情勢の激動に応じて自分自身を生長させることが出来なかったのかも知れない。字をよく知らないことから、新聞を読むのも充分でなかったようだ。
強情な爺さんで、職人気質の活動家とでもいうのか、肉体労働者を愛するばかりでなく、底抜けに信頼していた。話が終って別れる時、私に言ったのは「今の共産党も社会党も、それから労働組合でもだよ、なんかというと理屈ばかりこねたがる。むかしは、こうじゃあなかったな」ということだった。たしかに理屈には憎しみと怖れを持っていた。
 布団を敷いてから「里子にやられたおけい」を思い出してみた。たぶんこんな歌詞だ。「おけいはふたつだ、二階のあんちやんに、おぶさって、祭の晩に、買うて貰うた般若の面、かぶったまんまで"眠れば、朝まで般若の子です」つぎは牢屋が出てくる筈だ。
 急に玄関の戸が荒く開けられて、女房が這入ってた。こういう時、先に言い出す言葉というものは、慣れている程むづかしい。前の時と同じ言葉を使ってはいけないからだ心相手は私の顔には眼もくれず、押入れの襖を開けて何かこそこそやり始めた。
「持っていった荷物は、どうした?」
「よけいなこと訊きなさんな」
「じや、そこで今何をしているんだい?」
「それもよけいなことよ」
 人間の生涯のうちに、こういう会話が、いったいどうして必要なのであろうかと私は考えたりする。表ではさかんにロツチンが咆えている。水滸伝に出てくる花和尚唇智深をもじって、英雄にはならないでも豪傑にという気持ちでつけた名の、三ケ月の雑種の仔犬だ。普通なら孤児院ならぬ保健所へやられて動物園のライオンや虎の餅食にならねばならぬ運命にあったのだが、なんとかまあ痩せながらも元気で育っている。
「うるさいからあげてやろうか」
「ご飯もろくにやらなかったんでしょう」
「お前の持っていった荷物、おれ取りに行ってくるよ」
「よけいなことしないでよ」
「ばかなこと言うな。ロツチンに飯やっていろ。」
 約一時間後に、風呂敷包みふたつを提げて部屋へ帰った時にはロツチンはちやんとあがっていてしきりに私にしっぼを振った。
 ふつか後の前と同じ頃に、河山がその娘を連れてきた。「遠慮なくあがれよ」などと言うところをみるとかなり親しくなっているらしい。見てすぐ感じた、確かに片口さんの娘だ、三白眼も口のしまりも異様なほとよく似ている。
「奥さんはこの前居られなかったですね。奥さんのご意見を多く聞きたかったんですよ実は。」
「組合の仕事が忙がしいもんでしてね。」
――べつに打ち合せたわけでもないのに、この前私が言ったのと同じ答えをしている。女房も、労働組合の書記をかれこれ十五年しているのだ。
年末闘争のことや執行部の批判なとについて、ふたりが話し合っているうち、私はその娘を見てひょいと感じたのだが、たしかに般若の相がある。般若というのは鱗語で智態の意味。
 しかし女の痴態は悪を招くということから何時の間にか鬼面女にされた。窪川鶴次郎氏はこの姉の、ふたつの頃を実際に見たのだろうか。いやそれよりも二階のあんちゃんが、姉娘のどこからか般若の相を受け取って祭りの晩にお面を買って与えたのであろうか。
 作詞者が二階のあんちやんであったとすればそれまでだが。…考えているうち、ふたりの話の区切りがついた。
「通勤は、絶対に認めないというんですかね?」
「主任さんぐらいになると、こっそりうちへ帰るんです。子供さんのあるひとも居りますし。それから古くなると、いろいろ、こそこそが出来るんです。ロ紅をぬることだつて出きるし」
「結婚はみんなかくれてしているってわけですね。そうか。そいつは困ったことだな。あそこには看護婦は百人ぐらい居るでしょう。」
 ともかく、かん諸勤務というのは女工哀史の現代版みたいで、私には簡単に信じられない。近いうち調べてみることにした。
話がと切れて私がお茶をがぶがぶ飲み始めた時、河山がぽつんと言った。
「あの、気狂い物をよく書いていた浜中さんは、今どうしていますか?」
知っているくせに。が、これも河山の癖だから仕様がない。
「頭が少しおかしくなったそうで、何もしてないらしいよ。たぶん生活保護法の適用を受けているんだろうね。」
「はは、は。」たのしそうに河山が笑った。
「じや、小坂さんは?」
「分裂症が幾分良くなって退院したんだけれど、まだちょっとおかしいな、おれの受けた感じでは。おととし徳永直さんが亡くなられたということも原因しているかも知れない。それに、よってたかって彼をいじめ過ぎたということもあるかも知れないね。」
「半月程前うちへ遊びにいらしたんだけれど、ひとりで喋っていて、それが急に変った話に移ったりするので面くらわされるんですよ。」
「労働者作家の宿命ですかね、頭を毀すのは。私もなんだかおかしくなっているような気もします。」片口さんの娘が急に河山に顔を向けた。その時は般若ではなかった。
「ところで北田さん、あなたはどうです?」
「女房に訊いてください。」
「なんて言ったらいいかな。このひとは飲むからねえ。でももともと呑気なたちだから、持ちはいいかも知れないわ。」

 二時間程居てふたりは帰った。なんだって河山さんはうちに来たの、と女房が訊く。そんなこと誰にだって判るものかい、と思って黙っていると、ぷいと立って湯呑みや茶碗を洗いはじめた。
 肘枕してこの十年間をざあっと想い返えしてみる。河山は、レツドパージになるまで鶴見の造船所に工員として勤めていて、それから転々と職を変えた。いち番ながかったのは失業対策の人夫だったが、その頃はまことに見るかげもなかった。
痩せ骨張っていて暗くとげとげしく・人間にたいする不信をその相貌に現わしていた。着ている物はいつも垢と挨で光ったりくすんだりしていた。口をすぼめて「へえー」という疑わしい返事をするようになったのもその頃からだ。
創作をふたつみつこ雑誌に発表したこともあるから、浜中や小坂のことを訊いたのだろう。ところでおれはどうなんだと考えてみる。
 或いはここにいち番暗い世界があるかも知れないのだが、女房は呑気だから持ちがいいだろうと言った。そう生きる以外、ないかも知れない。

 次ぎの日、ロツチンを抱えて友人である市会議員の家へ行って調査をたのんだ。約一週間後の葉書の返事は「やはりあの病院は、結婚したら辞めなければならないことになっている。結婚した看護婦職業は、総務部長があっせんすると言っていた。そういうことで了承して戴きたい」ということだった。
小僧の使いでもあるまいし。問題は人権の拡張だったんだよ、と ひとりごちしたりして私もその市立病院へ出向いたが、結果はむだに近かくても考えの違いは幾分明瞭になった。総務部長は私にこう言った。
「私もそうしたいと思うんですがねえ。予算の都合で出来ないんですよ。今のここの病院の制度では、結婚したら辞めてもらうことになります。寒くなりましな。早くお茶を持っておいで。」
 看護婦の数をふやして、交替勤務にすれば通勤が出来る筈だと私は言ったのだが、相手は早く引き取ってくれといわんばかりの素振りだ。
「あなたは通勤ですか。」判りきったことだが、どう答えるかと思って訊いてみた。
「さようです。居ても、患者さんのお役に立たんですからね。」
「看護婦さんの就業規則のようなものがありましたら、見せて戴けませんか。」
「そういうものは特に造っておりません。」
立ちかけて思い直した。なるべくゆっくり言おうとしたのだがとうだったろうか。
こんな言葉が交わされた。
「結婚したら辞めてもらうというのは、勧告するという意味ですか。」
「そうです。」
「勧告に応じなかった場合には?」
「そういう例は一度もありません。ここへ這入る時から承知なさっている筈ですから。しかし退職は気の毒なことなので、私どもの方で八方手を尽くして職をあっせんしております。」
「ぜげんみたいですね。」
「ぜげんとは何ですか。」
「女を餓えると書きます。」
 そこで私は一礼をして立ち、振り向いて歩きだした。五つつ並んでいる病棟の横にある公園へ行って、煙草に火を点けた。十一月を半ば過ぎた夕方だというのにベンチは満員だった。
 ひるの「買い」にあぶれて夜の「買い」を待っている立ちん棒の群だ。蓮の上に寝転んでいるのもいるし、真剣な顔で、紙の盤で将棋をさしている者。水飲み場でコッペパンを噛りながら水を鞍っている石炭の荷役帰りらしいまっ黒な男。
いい気持ちそうにぶらんこに乗って鼻歌をうたっているやつ。女はひとりも居ない。が夜になるとひも着きで現われるというはなしだ。ひもは、今此処に居る連中であるかも知れない。
 だが、「里子にやられたおけい」は今もじっさいに、これに似た生活をしているのだろうか。片口安造さんは確かに厳しく生きた革命家だった、が、その生涯はどうだ。追われ、ぶち込まれ、妻には去られ子供とは離れ、立ちん捧同様の日雇いをしてさびしく終えた。
 しかし私には、片口さんの「六感」を言った時の鋭い眼を忘れることは出来ない。「般若の子」の妹にもそれがありありと残っていた。がそれにしても何処かにさびしさを湛えているのは何故だろう。
おけいやおけい達、いや弱い者達の智窓に負わされた運命であるかも知れない。---ふいにぽんと肩を叩かれた。
おどろいて振り向くと「北さんじやねえか。なに呆やんとしているんだよ。」頭髪のぼさぼさした陽に赦けた顔で、前歯の無い口が大きく開いている。背高のからだを包んでいるのは鉄鋼石の粉塵で淡褐色に汚れた作業衣。船の荷役をしての帰りなのだろう。
 競輪の予想紙を手にしている。「もう六レースが始まるんだ。四・二の死に目、こいつは絶対に受けるぜ。受けたら一升持って行くから刺身を用意しておきなよ。じや。」「お前をなますにしてやる。」「鮪の中卜ロんとこがいいや。」息を切るようにして駈けていった。
 一八年程前、多摩河畔にある電器工場から、自由労勘狙合の組織者として働くため自己理由による退職をした、門馬昇だ。商工卒の技術者だが、ミイラ取りがミイラになった恰好で、五年前妻君に捨てられ今立ちん棒になっている。
いろいろなことが何の予告も統一もなく頭をよぎっては消えるので、こんな状態のなかに鞘らく自分を置きたかった。自分を倖せにする異状で素晴らしい考えが突然浮ぶとも考えないが、何か新しいものが生れるかも知れない。それからニ十分ぐらいも居たろうか。
 結局、なんということもなく歩きだした。相変らず煤煙と紙屑が通りに渦巻いている。遠く林立する製鉄や電工・電線・造船なと、大工場の煙突と黒い屋根々々。東京湾の海面は夕風で今日は白く光っている。
痩せたブラタナの並木にそって歩いていく。プラタナは空中から窒素を貪婪に摂る強い木だが、この街では良く育たないらしい。空気が濁っているし、葉も樹皮も土も油・煤煙や塵袋に汚されるからだろう。しかしこのおびただしい騒音によって木が神経障害を起こしはしないだろうか。
 家の前へ来ていた。あちこちうろついたからだろう、四時半が過ぎていて女房が部屋で着替えをしていた。顔の小さい、痩せて貧弱なからだだ。
「手紙が来ているよ。」一週間前の感情のしこりが小さく凝固しているようだ、と思う。
「米はおれがとぐよ。ロツチンの飯を造ってやってくれや。」
今まで何をしていたの、とでも訊いてくれればいいのだがと思いながらちやぶ台の上にあるその手紙の封を切る。
 相変らず誤字だらけの、小坂の妻君からので、内容は、小坂はまだ言葉の反応がにぶいし、感覚のズレも変らないから、病気は良くなっていないと思う。信頼出来る医者にそのことを話したら、当分別居した方がいいと言うので、そうします。が、手紙の内容は小坂に伝えないで下さい、ということだった。
小坂の妻君は派出看護婦で、月にニ・三度より帰らない。小坂はひとりっ子で母を養って生きてきた孝行息子のブレスェだが、胸を病んで入院しているうち今の妻君と知り合い、退院と同時に逃げるようにして鶴見へ来た。
 母ひとり子ひとりということで入院中母を養老院へ入れた。別居はもはや十年近かくになるだろう。文学や小説などに燭かれずに、ふたりで働いて母子三人で楽しく暮らしていたら、小坂も分裂症にならなかったかも知れないと思ったりもする。妻君が良くないなと咳いて封書を置く。
台所から女房の声がした。
「河山さんの事、とうだった?」
「急にはうまくいかんよ。一年ぐらい心棒するさ。」
 どうして近頃、女房に自分の考えを説明することがこうも億劫になったのだろう。このひとつのことを解決する為には、病院の労組が問題として取りあげること。その前には、看護婦間にある複雑な感情の渦を平常で健康な方向への流れにむかわせることが必要であること。
 これに対しては財源は別としても反対する議員はひとりもいないだろうから仕上げは市議会で予算を計上させる。そういう努力をおおぜいでしなければ・般若の子の妹は、あの病院の準看護婦として公然と結婚することは出来ない。
そう言いたかったのだが、何かつかえるものがあってとうにも言えないのだ。どれひとつ取っても、うんざりする程むづかしい問題であるほかに、今日は日が悪い。月末が迫っている。やがて相手から出される言葉は判りきっている。今月の赤字のことで、その責任の所在を追及する機会を求めているにちがいないのだ。うかつなことは言えるものではない。
あとがき この続きを一年ぐらい後に書くつもりでいるがその時は「不運なやつら」としては書きたくない。しかし、どうなることか。 (1960/04/01)

■この「不運なやつら」は、熱田五郎の絶筆となった。

■♪〜おっかは行商 あんちゃん工場 お父っちゃんは牢屋…。1930年に発表された日本プロレタリア音楽家同盟の代表的な歌。
 作詞はプロレタリア文学の理論家で晩年は石川啄木研究に専念した文芸評論家・窪川鶴次郎(1903-74)。作曲は「小さい同志」等のプロレタリア童謡でも知られた作曲家・守田正義(1904-92)。国民の自由を奪って侵略戦争に突き進む時代に低抗しながら苦しむ家庭の様を、幼児おけいの目線からリアルに伝えている。
 遂にあんちゃんも牢屋に入れられ、里子に出されたおけいが「剣と帽子の絵」に向かって、あどけなさを残しつつも怒りを見せるラストは戦前、天皇制政府の圧力で歌えなかった。
うた新「歌の小箱」138(**/**/**)