夢を見る若者【Cm】

作詞
作曲
訳詞
作者不詳
イワノフ
島村 喬


憧れに満ちて はるか都より
雪降る アムールのほとりは
(たた)づんだ 遠い昔を偲ぶ
  ■その名も コムソモリースク
  ■明日を指さす 誇りの街
  ●その名も コムソモリースク
  ●明日を指さす 誇りの街

憧れに満ちて 夢見る若者
空は晴れ アムールのほとりに
われらが造る 希望の街は
  ■その名も コムソモリースク
  ■明日を指さす 素敵な街
  ●その名も コムソモリースク
  ●明日を指さす 素敵な街



新おけら歌集(10/12/25)ロシア詩 / 楽譜:ビーさん(11/03)

■夢みる若者
 1929年の秋、ハバァロフスクから2、300キロほどアムール河にそつて下った地点に貧しい、みるからに寒々とした漁村があった。戸数は14・5戸、秋と春に遡る鮭と鱒、カレイや河魚を獲って生活していた。一面アシの生えた湿地帯であった。アムールはゆっくり流れいる。極東の典型的な、あらあらしいかぜを伴った風景だ。
 この秋、12人の若者が遥々モスクワからやってきた。いずれも専門の大学を卒えたばかりの技術者・科学者で「青共」つまりコムソモ一ルたちであった。彼らは党と政府から極東一の大生産都市を建設する、という遠大な計画の先駆者としで派遣きれてきたのである。
 都市建設計画のための基礎的な調査が毎日雨の中でつづけられていく。測量は困難を極めた。地元民の妨害が執拗である。衣食住ともひどい状態で、モスクワから補給が絶えても、一番距離の近いハバァロフスク市では、いっこう関心をもっていない。
 やがて人心の離反・相互不信が起きてくる。無断でモスクワヘ帰っていこうとする者も出てきた。「ここに都市を? ハ…! 夢でもみているのか。み給え。ここは極東のどこにも類のない貧困に満ちた土地だ」こうして、はっきり彼らは対立する。
 1932年の秋、ここに巨大な都市が建設されつつあった。人口はすでに5万。2年後には更に7万になる。かって深刻な争いをくりかえしつつ、12人のコムソモールは極東一の工業都市建設の基礎的任務を成しとげた。このあとに更に数千の男女コムソモールがモスクワからやってくる。そして街の名を彼らの功績をたたえるために"コムソモォリスク」とした。現在、この街は人口30万、極東一の大造船工場をもっている。「12人の夢」は、このようにして実現した。
1960/01/28 百瀬三郎【島村喬】