武藤さんのメール(2004/11/20/15:02) |
はじめまして
新宿のカチューシャなき後、小倉義雄さんのアコーディオンを中心に、西新宿「トミ」で歌い続けている武藤と申します。歌声に嵌ったのは、高校1年のとき、吉祥寺に「ともしび」という店が出来、どんなものじゃと入ったのがきっかけで、青柳常夫やら上条恒彦とやらが素晴らしいリードをしていたためか、病み付きになりました。
さて、すっごい充実したHP、感動して見ていますが、まだ完了していません。このページに入って来たのは、「私の愛した街」の英語バージョンはどこかに無いか、と捜していたら、行き着いたのです。英語も日本語も楽譜も音も入っている、なんて素晴らしい歌集でしょう。ご努力に敬意を表し、どんどん使わせていただきます。
英語バージョンが見たかったのは、ある人が、「5番の『戦うことだけなのだ』は原歌では『祈ることだけなのだ』らしい」といったので、そうだったらなんと深い歌なのだ、これは確かめずにはおけない、と捜したのです。
おけら歌集のおかげで、英語バージョンが確認できました。たしかに、「祈ることだけ」でした。そして、1-4番は、少ない日本語に訳して、実に名訳だと思いました。(原詞と書いてある平井則之とはどういう人ですか、原詞そのものは手に入りますか?) が、5番だけは、全然だめで、深い諦観の中に「祈る」という何にも侵されない強い行為のメッセージが込められた、この歌のやまばを台無しにしていました。Philp Coulterがこの歌で伝えたかったメッセージは、まさに5番の以下の所です。
Oh what's done is done, and what's won is won
And what's lost is lost and gone
forever.
I can only pray for a bright brand new
day |
その後本人が歌っているCDも見つけ出し、買って聞きましたが、ここだけは、山場だぞという前奏を付けて、若い専門家の歌手とデュエットにしています。しかもそのことを短い解説文の中に付記しています。
ちなみに、上の英文はおけら歌集のものとは少し違います。おけら歌集を見ながら聞いていたら、本人の歌が若干違うので、わかりにくい発音を一所懸命に聞いて(英語国民にも聞いてもらって)直しました。
この直したバージョンと、私が部分的に訳し直してみましたものを添付しますので、ご覧になてみて、もしよろしかったらお使い下さい。
ちなみに、楽譜は3拍子になっていますが、本人の歌は4拍子でした。ただ、日本語訳で、4拍子で歌うと、いかにも間が抜けますので、これは3拍子で良いと思います。
貴HPから、ずっと見たいと思っていた「ねがい」の5番以降にも行き着くことが出来ました。ざーと見ていましたら、最新の202番に神戸の中学生が、
二百二(2004/11/09) |
失った人やものは もどってきやしないけど
今あるものを大事にしていこう!
人はいらないものから捨てていくけど
決して捨てないで 自分の心だけは |
杉井祐一 神戸市立湊中学校2年 |
と書いていました。彼は圧倒的な戦車に蹂躪されて、すべてを破壊され、抑圧されてしまった経験が無いので、Coulterの諦観には行き着いていないけど、同じ精神を歌ってますね。
初めてなのに、このような勝手なことを長々と、申訳ありませんでした。これからも、おけら歌集益々充実しますことをお願い致します。
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武藤 英輔 |
■♪〜思い出の中にいつまでも…。1975年、ベルリン開催のポリティカル・ソング・フェスティバルに参加したフォークシンガー横井久美子が日本に持ち帰った歌。アイルランドの3人の男性が、最近の事件をテーマにして作られたばかりと紹介して歌ったという。
それは、1972年1月30日、公民権要求の平穏なデモにイギリス軍が発砲し、13人が死亡した「血の日曜日事件」。各地で続々と抗議デモが起こり、ダブリンのイギリス大使館は3万人の群衆に取り囲まれ全焼した。
歌われる町はイギリスが名付けたロンドンデリーだが、住民は昔からデリーと呼び続けている。原題は「The town I loved so well」。作者フィル・クルターは、作曲家、ピアニストそして歌手。この歌はデリーの聖歌といわれている。 |
うた新「歌の小箱」169(09/10/19) |