■ルチーヌシカ
十九世紀のはじめ頃からロシヤの織女たちの口に、伝われた民謡である。
日本語に訳すと・タイマツとなる。しかし日本人にはタイマツという語感からくる連想にあまり、抒情的な美しさはない。タイマツといっても日本のタイマツとは違っていて・古い頃のロシヤ人は油ツ気の多い木の根を燃やして灯りの代用とした。それをルチーヌシカという。
このルチーヌシカのはかない火に例えた恋物語りは、いまも古いロシヤ人たちの口から口ヘと語りつたえられている。この歌は帝政時代・18世紀末から盛んに織り女たちのあいだで歌われた。日本でいうと、さしずめ「女工哀歌」である。
■どこの国でも封建時代の貧しい・そして美しい娘は金持ちの男にもて遊ばれたものらしい。この歌の中の孤児もそれを味合っている。但し日本の女工哀歌の低級なメロディ一と違って、非常に音楽的な、魂をゆすぷるものをもっている。織り女たちは自分の境遇から、この歌のもつ哀しみに無条件で入っていったのは勿論だが、それよりは、この歌の訴えかける異常なまでも哀しみを追求するメロディーにはどんなひとも感動を受けるだろう。
これが民謡だが、日本人の感覚には・こういう1歌が民謡だとしてもあまりピッタリこないだろう。これは民謡と、いわゆる音楽というものとの間に本来限界はない、ということを示すテピカルなものだ。
|
1960/01/28 百瀬三郎【島村喬】 |
|