北上夜曲【Dm】

作詞
作曲
菊地  規
安藤 睦夫

匂い優しい 白百合の
濡れているよな あの瞳
想い出すのは想い出すのは
■北上河原の 月の夜

雪のちらちら 降る夜に
君は召されて 天国へ
想い出すのは想い出すのは
■北上河原の 雪の夜

宵の灯(ともしび)(とも)すころ
心ほのかな 初恋を
想い出すのは想い出すのは
■北上河原の せせらぎよ

僕は生きるぞ 生きるんだ
君の面影胸に秘め
想い出すのは想い出すのは
■北上河原の 初恋よ

銀河の流れ 仰ぎつつ
星を数えた 君と僕
想い出すのは 想い出すのは
■北上河原の 星の夜
こんな4番も
春のそよ風 吹く頃に
楽しい夜の接吻(くちづけ)
想い出すのは想い出すのは
■北上河原の 愛の歌



新おけら歌集(07/05/16-12/05) / 楽譜:ビーさん(07/07-09/06)
+北上夜曲考+
■北上夜曲の作詞者は、岩手県江刺市出身の菊地規(のりみ)、作曲者はその友人の岩手県種市町出身の安藤睦夫である。

■昭和36年に雑誌『サンデー毎日』に作者不明の愛唱歌として紹介されたことをきっかけに、作曲者の安藤睦夫氏が原作の名乗りをあげ、ビクター、キング、東芝など6社からレコード発売、日活など3社による映画競作など一大センセーションを巻き起こした。

■作詞者の菊地規は、大正12年、江刺郡田原村原体(現奥州市江刺区田原)に生まれた。水沢農学校在学中から詩作をはじめ、友人たちと同人誌を発行するなど創作活動をしていた。

■当時、水沢農学校には安藤清蔵少尉という配属将校がおり、菊地規と安藤とは同じ下宿に住んでいた。この将校が安藤睦夫の叔父にあたる。旧制八戸中学の生徒であった睦夫は、叔父の下宿を訪れて規と出会い、二人は意気投合。歌を作る約束をした。
 安藤に曲をつけてもらうため、昭和15年12月に菊地規が初めて作詞した「北上川のささやき−今はなき可憐な乙女に捧げるうた」と題した歌詞に、翌16年2月、安藤睦夫はこの歌詞の曲作りに没頭。試験勉強がおろそかになり、危うく留年の憂き目を見るところだったという。こうして「北上夜曲」が誕生した。

■菊地はその後、盛岡の岩手師範学校に進み、安藤は盛岡高等農林学校進学し、昭和10年代後半に、盛岡で再会する。この二人の再会によって、「北上夜曲」が、まず盛岡の若者たちに伝播され、全国に広まっていったのである。
北上夜曲余話 2015/03/15・bunbun.