原爆を許すまじ 【Dm】

作詞

作曲
中央合唱団
浅田 石二
南部文化集団
木下 航二
1: ふるさとの 街やかれ 
身よりの骨うめし 焼土に
■今は 白い花咲く
■ああ許すまじ 原爆を
■三度許すまじ 原爆を
■われらの街に

3: ふるさとの 空重く
黒き雲 今日も大地覆い
■今は空に 陽もささず
■ああ許すまじ 原爆を
■三度許すまじ 原爆を
■われらの空に

2: ふるさとの 海荒れて
黒き雨 喜びの日はなく
■今は舟に 人もなし
■ああ許すまじ 原爆を
■三度許すまじ 原爆を
■われらの海に

4: はらからの たえまなき
労働にきずきあぐ 富と幸
■今は全て ついえ去らん
■ああ許すまじ 原爆を
■三度許すまじ 原爆を
■世界の上に




おけら歌集(00/08/13) / 楽譜:ビーさん(2004/09)

■1954年三月一日、水爆実験で第五福竜丸が死の灰を浴びた。うたごえ運動の中で原水爆反対を訴える歌の創作を呼びかけ、当時、中央合唱団作曲班の作曲者が東京南部の作詞者と共に創った曲。

■1954年3月1日のアメリカによる水爆実験(太平洋ビキニ環礁で実施)は広島・長崎の原爆の脅威、実相をあらためて伝えた。広島・長崎型原爆の千倍の爆発カを持ち、海中の珊瑚を粉々にして舞い上げ、放射能を含んだ「死の灰」を降らせた。
 静岡・焼津のマグロ漁船「第五福竜丸」も死の灰を浴び、乗粗員23人は急性放射能症で帰港後直ちに東京の病院に入院。9月23日、無線長久保山愛吉さんは「原水爆の犠牲者は私を最後に」とことばを残して亡くなる。
 久保山さんらの入院中から、中央合唱団は歌作りで被災者支援と核兵器反対の行動を起こし、同団作曲班の木下航二は友人の浅田石二の詞で「原爆を許すまじ」を作った。
 「三度許すな、原爆を」の広島・長崎をはじめ、日本中の声が、翌1955年の原水爆禁止世界大会開催へと進め、その中でこの歌は歌われていった。
 また、1955年の世界青年学生祭典(ワルシャワ)に参加した日本のうたこえ代表団によって世界に広められた。
No moer Hibakusha01(うた新/2004年)