花【D】
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詞曲
訳詞 |
ウルガル
囚人楽団
島村 喬 |
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あの地区でくれた
名の知れぬ白い花は いま散って
残る可細い 小枝だけ
散るのは 花のさだめ
馬車はいく 河岸を………
おいら さすらう楽隊
暗い社会の 友のために歌い歩く
■そこで貰った 花束の
■花は散ってもあの娘は忘られぬ
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新おけら歌集(10/10/10-12/25)ロシアの詩 / 楽譜:ビーさん(10/12) |
■花
広いシベリヤを、いくつもの囚人楽団がラーゲリからラーゲリを、馬車に乗ったり、トラックに乗ったりして慰問して歩く。
男囚も女囚も彼らのやってくるのを首を長くして待っている。愉しみは月一度の映画だけだ。楽団がやってくるなんてことは一年に一度あるかなしである。いよいよ来ると恋が初じまる。
「花」はそのような囚人楽団が、美しい、不幸な女囚から手渡たされた白い花の咲く小枝を貰って悦びと哀しみをこめて歌われる。
だれかが歌い、だれかがそれに和し、やがていつとはなしにひとつの纏った歌としてみなの口にうたわれるようになったのが「花」だ。その意味では「シベリヤ大地の歌」の主題歌「バイカル湖のほとり」も「ヴォルガの舟歌」も「流刑人」も苦しい囚人達の、課せられた労役から、うめきのようにうたいだされたものである。
ロシヤ民謡には囚人たちに歌われていた歌がいっの問にか一般に流布された、という性質のものが非常に多い。帝政時代の農奴階級と、囚人の境遇とは同じであった。あらゆる意味で一般の同情を買い、場合によっては彼らも囚人とは無関係でなかったところに・囚人らのうたう歌が自然に民謡となっていった当然の経路がうかがえる。
ソ連の治下になっても囚人は減っていないし、捕らわれているひとびとの感概に変わりはないだろう。いまは囚人楽団が彼らに代わって悩みや、絶望や、憤りをモチーフとした作曲をして、歌ってくれる。「花」」よその代表的なものだ。
そのような生活をっづけている彼らの中からも優れた歌曲がうまれていたということ、また今後もうみだされるという点を忘れてはならないだろう。 |
1960/01/28 百瀬三郎【島村喬】 |
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