荘厳寺本尊の由来


 むかしむかし、深浦に総左衛門という人が住んでおりました。可愛い子供に先立たれ、その菩提を弔うために荘厳寺の良最上人という人の弟子につき、貞欣という名前を貰い、荘厳時のとなりに庵を作って子供の菩提を弔う毎日を送っておりました。

 ある年の正月二日の夜ことです。貞欣坊が休んでおりますと、枕元で 「貞欣坊や、貞欣坊や。」 と、呼ぶ声がします。貞欣坊がビックリして飛び起きると、一条の光とともに阿弥陀様が姿を現しました。

 ・「いやいや、そんなに驚かなくともよい。私はその昔、備前岡山のさる寺の本尊であったが、岡山の殿様が急に神道に凝り、領地の寺を沢山壊したのじゃ。」
 ・「私の寺も壊されたが、一人の僧が私を背負って大阪まで逃れた。大阪では名越源兵衛正という者に預けられ、今は源兵衛正の土蔵に入っておる。」
 ・「ズーッと蔵の中に入っておったので、これからお前のところに行き、仏の力を現すことに決めたので。四月二七日、鯵ヶ沢の港に着くことにしたので港まで迎えに来るように。」
 と、お告げになりました。貞欣坊はかしこまって承り、その日からますます修行を積み、信心を重ねました。

 四月二十七日、貞欣坊は夜明け前に深浦を出発して、ようやくのことで鯵ヶ沢に着きました。鰺ヶ沢の港には大阪からの船が入っています。貞欣坊が恐る恐る尋ねたところ、確かに、名越源兵衛という人が大阪から阿弥陀様を運んできているとのこと。

 源兵衛と会っていろいろと話を聞いたところ、今年の正月二日、源兵衛の父の夢枕にも阿弥陀様が現れて、「私は、お前の蔵の中にいる阿弥陀である。これより陸奥の国津軽の深浦に住む貞欣坊の所に行き、一切衆生を済度したいので、早くつれて行け。」と、告げたと言います。
 その日から土蔵がガタガタと鳴り動いたので、不思議に思った源兵衛が、阿弥陀様を蔵から出して、三月十日に大阪を出発して運んで来たと言うことでした。貞欣坊は 「同じ日に同じ夢を見るとは不思議なこともあるものだ。これも阿弥陀様の御心だ。」と、涙を流して感激したそうである。

 名越源兵衛から阿弥陀様と譲渡の証文を渡された貞欣坊は阿弥陀様を背負って自分の庵まで運びました。以来、昼夜の別なく念仏を唱えていましたが、寄る年には勝てず、念仏を唱えつつ往生しました。

 その後、その阿弥陀様が荘厳寺の和尚様の夢枕に立って、「荘厳寺の本尊にせよ。」と言われたので、貞欣坊の草庵から勤講して、荘厳寺の本尊にしたということです。
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