海鵬 安美錦 安壮富士 将司 豆知識1 豆知識2 写真集 Menu トップ


将司 昂親(まさつかさ こうしん)

本名 小野 正仁(おの まさひと) / 昭和59年06月07日生
出身地 青森県西津軽郡深浦町風合瀬 / (五所川原農林高校)
体格 身長:183cm / 体重:143kg
部屋 入間川部屋(師匠:関脇 栃司)
今場所
初日 2日 3日 4日 5日 6日 7日 中日

寄り切り
武州山

上手投げ
境澤

寄り切り
栃乃若

押し出し
宝富士

下手出投
城ノ龍

寄り切り
春日王

寄り切り
魁聖

寄り切り
旭南海
9日 10日 11日 12日 13日 14日 千秋楽 8勝7敗

押し出し
明瀬山

寄り切り
大道

引き落し
高安

押し出し
鳰の湖

送り出し
安壮富士

上手投げ
佐田の海

小手投げ
清瀬海
応援 ・おっしゃー!今回も風合瀬の「イカ焼き村」は幟を立てて、大応援だ!! おーし、こっからだどぉー けぱれ!
戦歴
1月 3月 5月 7月 9月 11月
23 西十両4 西十両4 西十両4      
8勝7敗 中止 引退      
22 西十両6 東十両2 東十両5 西十両3 西前頭8 西十両5 
9勝6敗 6勝9敗 8勝7敗 13勝2敗 全休 8勝7敗 
21 西前頭14 十両東5 十両東2 十両東3 東前頭16 東十両1
4勝11敗 8勝7敗 7勝8敗 9勝6敗 7勝8敗 4勝11敗
20 東十両10 東十両9 東十両3 東前頭16 西前頭8 東前頭13
8勝7敗 9勝6敗 9勝6敗 10勝5敗 5勝10敗 6勝9敗
19 東十両7 西十両3 東十両4 西十両6 西十両7 西十両8
8勝7敗  7勝8敗 6勝6敗3休 7勝8敗 7勝8敗 7勝8敗
18 西十両14 東幕下2 東十両14 西十両12 東十両9 東十両10 
6勝9敗 4勝3敗 8勝5敗 8勝7敗 7勝8敗 8勝7敗
17 西幕下18 東幕下7 西幕下1 西幕下3 東十両11 西十両11
6勝1敗 6勝1敗 3勝4敗 6勝1敗 7勝8敗 5勝10敗
16 東三段08 西幕下45 東幕下19 西幕下25 東幕下19 西幕下23
5勝2敗 6勝1敗 3勝4敗 4勝3敗 3勝4敗 4勝3敗
15 前相撲 東序口27 東序二24 西三段61 東三段35 東三段22
合格 7勝0敗 6勝1敗 5勝2敗 4勝3敗 4勝2敗

西十両 平成23年04月 引退
再十両 平成21年11月 西十両 平成22年07月 十両優勝
再十両 平成21年03月 再入幕 平成21年09月 
新十両 平成17年09月 新十両 新入幕 平成20年07月 新入幕
西幕下 平成16年03月 東三段 平成15年11月 休場1回
西三段 平成15年07月小野/改名:将司 初土俵 平成15年01月 序の口優勝
通算
幕内2場所  「最高位=西前頭8」(平成20年9月) ・生涯戦歴 : 289勝252敗6休(46場所)
・幕内戦歴 : 032勝43敗(5場所)
得意技 ・右四つ、寄切り
★ 過去6場所の平均だよー!!★
No 決まり手 回数 No 決まり手 回数
寄り切り 12回 寄り倒し 5回
押し出し 8回       
参考

引退までの経緯■
 4月1日、大相撲八百長問題に関する相撲協会臨時理事会の結果、引退勧告を受けた。この処分について「全部がおかしすぎる。受け入れなかったら、これ以上重い処分にすると、理事長から言われた」とコメントした。今後、相撲協会を提訴する見通しとされたが、4月5日に引退届を提出し受理された。
大相撲・将司(深浦町出身)が新入幕■ 陸奥新報(2008/7/1)
 大相撲の将司関=深浦町出身、本名小野正仁=が新入幕を果たした。先場所9勝6敗の好成績を挙げ、東十両三枚目からの昇進。実家の深浦町では家族らが喜びに沸き、名古屋場所での活躍に期待を寄せた。
 「まだ本人からは連絡はありませんが、先月26日の風合瀬地区の激励会で『もしかしたら』と顔をほころばせていたので、実現してよかったです」。
 深浦町風合瀬の将司関の実家では母一美さん(49)が、新入幕を祝福する知人らからの電話の応対に追われた。父正夫さん(55)が出稼ぎ中のため、一人留守を守りながら、息子の出世を手放しで喜んでいる。
 将司関は、先場所初日直前の5月4日、かわいい盛りの長男昴親ちゃん(4つ)を不慮の事故で失うという不幸に見舞われた。場所直前ということもあり、悲報を聞き、駆けつけたものの、自宅にはわずか数時間しか滞在できず。無言の息子に新入幕昇進を誓い、後ろ髪を引かれる思いですぐに帰京した。人知れない深い悲しみを抱え、「天国の息子に強い父親の姿を見せたい」と、東十両三枚目という入幕目前の位置で場所に臨み、9勝6敗と勝ち越した。30日発表の番付で新入幕昇進を見事に決め、息子との約束を果たした。一美さんは「孫の49日も終わり、気持ちを入れ替えて頑張ってほしい、けがだけが心配です」と息子をいたわった。

亡き愛息にささぐ白星(将司)■ 東奥日報ちから水(2008/05/25付)
 将司が自己最高位の東十両3枚目で勝ち越しを決め、来場所の新入幕のチャンスを引き寄せた。貴重な8個目の白星を挙げても笑顔はない。今場所直前、長男の昂親君(四つ)を不慮の事故で失った。「しんどかった」。23歳は軽く息をつき、ポツリと心情を吐露した。
 出げいこで積極的に関取衆の胸を借り、今場所に向けて意気込んでいた5日、事故の連絡を受けた。急いで入院先の青森市内の病院に向かったが、長男の容体は悪化する一方。3日後に息を引き取った。初日前日に火葬を済ませて帰京し土俵に臨んだ。

 連日、首に数珠をかけて場所入り。自身の出番を待つ間、肌身離さず身につけ、手を合わせて土俵へ向かった。制限時間いっばいになると、花道奥に視線を注ぐ。「ガキのために」。付け人の胸に抱かせた昂親君の遺影を目に焼き付け、闘志に変えた。
 「何も考えないで落ち着いて取る」ことを心掛けたが、事情を知らない周囲から期待の声が降りかかる。「応援してくれるのはうれしいけれど…」。悲しみと闘いながら勝負に挑んだ。
 勝ち越しを掛けたこの日の一番。立ち合い、もろ手で霧の若の出足を止めて右上手を取る。相手の動きを誘い上手投げで仕留めた。
 愛息に自分が勝つ姿を見せるのが、何よりの励みだった。だが、それができない。今場所は、無念が将司を支えてきた。
 新入幕の可能性を高めるためには、手秋楽の一番での自星が必須。「相撲を取って勝てば、(昂親が)喜んでくれると思う」。息子への愛情は天にも届いたはずだ。

将司 勝って恩返し■(深浦対決 先輩安壮富士を破る) 東奥日報(2005/09/22付)
 深浦町出身関取の対戦が実現した。新十両の将司が8歳年上の安壮富士を一気の出足で押し出し。初顔合わせの一番は、後輩に軍配が上がった。立ち会い、将司は頭を下げて懐に踏み込んだ。左で手繰ろうとする安壮富士に対し、間髪を入れず左右の突き押し。上体の起きあがった安壮富士はたまらず土俵を割った。
 「勝ったー!」と素直に喜んだ将司。同郷の先輩との対戦に、取り組み前は「勝っても負けても複雑な気持ち」だったが、「勝って恩返しするつもり」で土俵に上がったという。
 一方で安壮富士は「ちきしょう やられた」と、黒星にも同郷の若手の台頭に目を細めた。将司が初土俵を踏んだ2003年初場所は、幕下8枚目で関取の座を狙っていた。今では、ともに十両力士として相撲を盛り上げている。反撃の機会すら与えられなかった一番も、「年を食ったかなー」と笑い飛ばした。

勝ち越して昇進を(東幕下7枚目 将司)■ 東奥日報「あすなろ桟敷」(2005/03/14付)
 先場所、6勝1負の好成績を上げ、十両が見える位置まで一気に番付を上げてきた将司(20)=本名小野正仁(深浦町出身/入間川部屋)。低い態勢で当たり、いったん押し込まれた物の、相手の右を手繰るようにして体を入れ替え形勢が逆転。下から突き上げるように押し出した。
 動きがいいように見えたが、本人は「腰が痛くて、全然けいこが出来なかった。休場しようかと思ったぐらい。一番相撲を取るまではビクビクしてた」と苦笑い。
 「腰は針や電気治療をしているが、相撲を取ってる分には気にならない。とりあえず今場所は勝ち越して、次に十両昇進を狙いたい」と気合を入れていた。

・2003年3月場所デビュー。いきなり序の口優勝と勢いづいています。
・相撲を始めたのが小学校1年生で、そのころから横綱の風格がありました。中学校は越境入学で海鵬や安美錦と安壮兄弟を育てた「大戸瀬中学校」へ進学。大らかで負けず嫌いな性格は、まさにプロ向き。兄弟は4人。一番下だが、一番でかい。 深浦町3人目の関取を目指し、がんばってほしい。