深浦を育む地層(詳細)

 日木海沿岸南部地域は、秋田・青森県境にそびえる白神岳(標高1,232m)から桝形山(820m)、笹流山(720m)・追上山(360m)等を経では々に高度を減じながら北々東に直線状に延び、北金ケ沢・大戸瀬間の突出部に連なる桝形山地とその西の長慶平−風合瀬丘陵及び東の赤石丘陵から成る。

 長慶平−風合瀬丘陵は、大間越断層帯の地形的表現である急崖によって桝形山地と境されている幅約3kmでは高300m以下の台地性丘陵地である。笹内川河ロ北岸の長慶平−風合瀬丘陵の西方には、岩崎断層を挟んで深浦台地が広がっている。

 本地域の新第三系は下位より笹内川層、大戸瀬層、田野沢層。大童子層、赤石層及び舞戸層に区分される。

 大戸漸層と田野沢層は不整合関係にあり、一部不整合が認められるものの、大童子層より上位はほぼ整合に重なっている。鯵ケ沢北部には鳴沢層が、深浦町北東部には北金ケ沢層が、岩崎村には十二湖凝灰岩と黒崎層が、各々地域を限って分布している。鳴沢層は舞戸層を整合に被覆し、北金ケ沢層は舞戸層と断層で接する。

 十二湖凝灰岩は赤石層下部と同時異相の関係にあり、黒崎層は十二湖凝灰岩を不整合に覆う。舮作岬沖合い約30kmに火山岩の岩礫が離水しており、島の名前(久六島)をとって久六島玄武岩と呼んでいる。


笹内川層(Sasanaigawa Fomation)
 中島(1959)により命名され、高安(1950)及び岩佐(1902)の岩館層に相当する。西津軽郡岩崎村笹内川中・上流域を摸式地とし、同郡深浦町追良瀬川流域−帯にも広く分布する。層厚は600-1,400mで、白亜系基盤岩類を不整合に覆っている。

 本層は主として変質の著しい暗緑紫色・暗緑色・灰褐色或いは赤褐色を呈する安山岩溶岩と褐灰−青緑色を呈する同質火山角礫岩及び凝灰角礫岩より成り、デイサイト質火砕岩類や赤紫色の流紋岩−ディサイト溶岩のほか、礫岩・砂岩互層とアルコース砂岩等を挟む。

 安山岩は普通輝石安山岩や力ンラン石含有普通輝石安山岩及び玄式岩質安山岩が主体をなし、緑泥石化を受けている。やや斑晶が目立つ岩質と緻密で斑晶が目立たない岩質があって、一部は自破砕溶岩となっている。木層最下部に薄く狭在するデイサイト質溶結凝灰岩は、炭緑色を呈し扁平な浮石を含む紫灰−赤褐色を呈する堅硬な強溶結部と、淡緑・炭緑灰色を呈する脆弱な弱−非溶結部とから成る。

 本層上部に挟まれる角閃石流紋岩は、斜長石と石英の微晶中に自形の斜長石及び角閃石の斑晶を有し、流状組織が明瞭である。阿仁合型植物化石群が報告されており(岩佐、1962)、甲田ほか(1992)によると台島型植物化石群も産する。

大戸瀬層(Odose Formation) ばっく
 柴山(1928)によって命名された。飯塚(1930)の大戸瀬統の下部、半沢ほか(1958a)の清滝沢層と弁天島安山岩を合わせたもの、及び北村ほか(1972)と氏家・宮城(1989)の追立沢層にほぼ相当する。

 深浦町大戸瀬付近を模式地とし、笹流山を中心とする大戸瀬複背斜軸部を占めて、岩崎村北方に至る範囲に広く分布する。層厚は100−800mある。

 本層は下位より清滝沢安山岩部層、吾妻川流紋岩部層及び扇田沢安山岩部層に細分され、下位の笹内川層を整合的に覆う。本層下部に挟まれる挟炭層からは阿仁合型植物化石群に対比される化石植物が発見されており(岩佐、1962:盛谷・上村、1964:盛谷、1968)、台島型植物化石群も産出する(甲田ほか、1991)。

清滝沢安山岩部層(Kiyotakizawa Andesite Member)
 半沢ほか(19588)の清滝沢層に由来し、岩佐(1962)の沢辺層に相当する。
 深浦町田野沢の清滝沢中−上流部を模式地とし、北金ケ沢から大戸瀬にかけての海岸部及び桝形山地の東半部に分布する。層厚は600mを越える。

 下部は安山岩溶岩、同質凝灰角礫岩及び火山礫凝灰岩より成り、凝灰角礫岩は−般に暗緑灰−暗緑色を呈する。含まれる火山岩塊は拳から人頭大で、斜長石及び輝石の斑晶を含む輝石安山岩より成る。暗灰−暗緑灰色を呈する火山礫凝灰岩は浮石を含み、安山岩溶岩は塊状−自破砕構造を有する輝石安山岩から成る。

 中部は主として礫岩及び細−中粒砂岩から成り、泥岩及び浮石凝灰岩を挟む。礫岩は安山岩及び玄武岩の細−中円礫で構成される。

 上部は安山岩質凝灰角礫岩及び火山礫凝灰岩を主とし、これに同質溶岩、浮石凝灰岩及び凝灰質砂岩を伴う。福留ほか(1990)により20.6±2.0MaというK−Ar年代が報告されている。

吾妻川流紋岩部層(Azumagawa Khyoiite Member)
 盛谷・上村(1964)により命名された。深浦町の吾妻川流域を模式地とし、深浦町吾妻川支流東股沢及び南股沢中流域、深浦港−帯、深浦町六角沢北方支流、岩崎村脇ノ沢等に発達する。層厚は300−400mで、流紋岩溶岩及び同質火砕岩より成る。

 流紋岩溶岩は一般に珪化作用を受けており、原岩の構造を把握すにとは困難である。未風化の流紋岩は斜長石、石英及び黒雲母の斑晶を含み、流理構造が良く発達する。

 吾妻川流域では厚さ10mの玄式岩質安山岩溶岩を狹む。火砕岩は緑−赤紫色を呈する凝灰角礫岩及び浮石凝灰岩を主とし、所によっでは細粒凝灰岩と灰色の凝灰角礫岩の互層より成る。

 本部層下部は粗粒・角礫質であるが、上部で細粒化する。岩崎村の岩崎川及び脇ノ沢付近では上部に安山岩質凝灰岩が挟まれる。下位の清滝沢安山岩部層に整合に重なる。金属鉱業事業団(1982)により16.8MaのK−Ar年代が得られている。

扇田沢安山岩部層(Ogidazawa Andesite Member)
 盛谷・上村(1964)により命名され、平山・上村(1985)の小浜館沢安山岩部層にほぼ相当する。深浦町扇田沢流域を模式地とし、深浦町上晴山−帯、田野沢付近より大船沢中流にかけての一帯、深浦町笹流山−帯、小滝子川上流域、小浜館川上流域、黒崎沢上流域等に広く分布している。層厚は最大で500mに達し、吾妻川流紋岩部層に整合的に重なる。

 本部層は安山岩溶岩及びこれに伴う火砕岩によって代表され、流紋岩−デイサイト質の火砕岩及び溶岩を伴う。安山岩は普通輝石安山岩・カンラン石普通輝石安山岩・両輝石安山岩等より成り、弱い変質作用を被っている。

田野沢層(Tanosawa Formation) ばっく
 柴山(1929)により命名された。半沢ほか(1958a)の大童子層と深浦層を合わせたもの及びFujii(1962)のshiomizakiFormationとodojiFormationを合わせたものに相当し、また氏家・宮城(1989)の塩見崎層にほぼ相当する。

 深浦町田野沢付近から同町追良瀬川河ロにかけての海岸沿いを模式地とし、大戸瀬複背斜軸部を取り巻くように深浦町中山峠付近よりその北方湯の沢西方の沢、深浦町追良瀬より塩見崎に至る鉄道沿線一帯、田野沢及び大船沢に分布している。更に、母沢中・下流域・広戸川流域・吾妻川中流域・北金ケ沢・弁天崎・小童子川中流域等にも露出が見られる。層厚は50m−250mと著しく増減する。

 本層下部は暗灰緑色の流紋岩質凝灰角礫岩と凝灰質砂岩の互層より成り、礫岩を挟む。田野沢付近では貝殻片の密集した不純石灰岩或いは石灰質砂岩が発達し、大戸漸層の流紋岩質疑灰岩及び安山岩を不整合に覆う。吾妻川では砂質浮石凝灰岩、礫岩、流紋岩質凝灰角礫岩等が厚く発達し、下位の吾妻川流紋岩部層にアパット(不整合の一種)している。北金ケ沢付近では薄化し、磯質の貝殻石灰岩と斜交層埋の顕著な石灰質砂岩より成る。

 本層は、珪藻及び浮遊性有孔虫。ウニ化石、大型有孔虫、貝化石群が報告されている。

大童子層(Odoji Formation)
 八木(1942)の大童子珪質頁岩層に由来する、岩佐(1962)の大童子層と寺沢層から十二湖凝灰岩層を除外したもの、及び北村ほか(1972)の大童子層と広戸層を統合したものに相当する。

 深浦町大童子川中流の大童子・岩坂集落付近を模式地とし、大戸瀬複背斜の両翼を構成して、大戸瀬海岸から驫木に至る海岸、吾妻川支流東股沢上流の長慶平付近及び岩崎村脇ノ沢上流より笹内川中流域にかけて分布する。層厚は50-300mである。

 本層は主として厚さ10cm程度の薄層理の発達したチャート、ポーセラナイト及び珪質泥岩で構成され、これらは灰−暗灰色を呈し、風化すると褐−灰褐色となる。基底部付近には海緑石砂岩或いは含海緑石砂質シルト岩が発達する。希に珪長質細粒凝灰岩の薄層を挟み、下部にはしばしば凝灰質砂岩の薄層を挟む。笹流山北東麓に分布する本層は、その厚さを減ずると共に岩相も変化し、灰色を呈する鍬密な泥岩及びシルト岩となって層理も不明瞭となる。下位の田野沢層とは整合関係にあるが、一部に不整合面が認められる。

 下部からは珪藻、上部から珪藻の放散虫や有孔虫群報告されている(岩佐、1962)。深浦町の本層からは鯨化石が産出している(木材、1990)。

十二湖凝灰岩(Juniko Tuff) ばっく
 北海道大学埋学部存森県地下資源調査団地質調査第3班(1954)の十二湖層に由来する。岩崎村十二湖付近を模式地とし、笹内川流域から泥ノ沢川流域及び脇の沢流城にかけて分布する。層厚は十二湖付近で300mであるが、南北へ厚さを減ずる。

 本層は一般に塊状で、白−明灰白色の流紋岩質−真珠岩質火山角礫岩・凝灰角礫岩・浮石凝灰岩等より成り、流紋岩溶岩、凝灰質泥岩及び凝灰質砂岩を挟む。赤石層下部とは同時異相の関係にある。

 温冷性落葉樹の植物化石を産出する(岩佐、1962)。流紋岩溶岩に関して11.2±0.6MaのK−Ar年代が得られている(根本、未公表資料)。

赤石層(Akaishi Formation)
 名称は柴山(1929)の赤石頁岩層に由来し、八木(1942)により再定義された。氏家・宮城(1989)の赤石層から十二湖凝灰岩部層を除外したものに相当する。 鯵ケ沢町赤石川中流域を模式地とし、大童子川流域・赤石川流域・中村川中流域・岩崎村久田・笹内川下流域・泥ノ沢下流域及び脇ノ沢中流域に分布する。層厚は120m−1,200mである。

 本層下部は暗灰色の板状泥岩で特徴付けられ、明青灰色を呈する珪長質浮石凝灰岩−細粒凝灰岩や明灰色の火山磯凝灰岩及び凝灰質砂岩を挟む。泥岩は厚さ30−40cmの硬質部と厚さ数cmの歓質部から成る硬軟互層で特徴づけられ、風化すると褐−赤褐色を呈する。全層準に渡って炭酸塩団塊を多産する。

 岩崎村に分布する本層縁辺相は灰−灰緑色を呈する塊状のシルト岩を主とし、流紋岩質細粒凝灰岩及び凝灰質砂岩を挟む。シルト岩は炭質物を多く含み、一般に珪藻質である。本層は下位の大童子層及び十二湖凝灰岩を整合に覆う。

 珪藻及び放散虫、有孔虫化石を産する。笹内川下流では、石灰質種から成る底生有孔虫群集が報告されており(岩佐、1962)、赤石川上流では軟体動物が産出している。(金属鉱業事業団、1982)

舞戸層(Maido Formation) ばっく
 高橋ほか(1934)により命名され、八本(1942)により再定義された。鯵ケ沢町舞戸を模式地とし、赤石川東岸より中村川流域にかけて鯵ケ沢背斜の核心をなして広く分布する。 赤石川以西では、小童子川江沢の向斜部にわずかに分布するに過ぎない。層厚は約700−800mである。

 本層は、緑灰−青灰色を呈する塊状の珪藻質シルト岩を主とし、凝灰質砂岩や浮石凝灰岩及び珪長質細粒凝灰岩を挟む。本層下部は凝灰質砂岩をしばしば挟んで互層となるが、中部は塊状のシルト岩が優勢となり下位の赤石層を整合に覆う。

 珪藻の及び放散虫の本層上部には有孔虫が存在する(根本、1990)。本層は全般に無−貧化石相を示すが、本層最上部からは有孔虫群集が報告されている(岩佐、1962)。

鳴沢層(Narusawa Formation)
 名称は八木(1942)の鳴沢砂質泥岩層に由来する。鯵ケ沢町南浮田付近及び七里長浜を模式地とし、中村川以東の岩木山北麓に分布する。層厚は約150−250mである。

 本層は青灰色の砂質泥岩及び比較的固結度の低い塊状で青灰色の凝灰質細粒砂岩より成り、白色の浮石凝灰岩、中。粗粒砂岩、石灰質団塊及びシルト岩の薄層を挟む。下位の舞戸層を整合に覆う。本層下部の底生有孔虫化石が報告されている。

北金ケ沢層(Kitakanegasawa Formation)
 根本・若林(1995)により命名された。模式地である深浦町北金ケ沢付近にのみ分布し、層厚は約50mである。

 下部は貝化石の破片を多数含む中−粗粒砂岩より、また上部はシルト岩が優勢な砂岩・シルト岩互層より構成される。下位の舞戸層とは断層で接する。珪藻の浮遊性有孔虫が報告されている。

黒崎層(Kurosaki Formation)
 藤岡(1960)により命名された。岩崎村黒崎付近の海岸を模式地とし、層厚は150m以上である。

 分布は摸式地周辺に限られ、下位の十二湖凝灰岩を不整合に覆う。主に礫岩、泥岩及び珪長質浮石凝灰岩より成り、スランプ構造(すべりやズレ)が認められる。礫岩は長径l5cm程の白−白灰色を呈する流紋岩及び黒色を呈する真珠岩の円礫から主に構成され、淘汰は悪い(粒がそろっていない)。基質は一般に固結度の低い白灰−褐灰色を呈する粗粒凝灰岩であるが、黒崎海岸では堅硬な石灰質砂岩となっている。

 本層の砂岩からは貝化石が得られており、更に上部の泥岩からは底生有孔虫の産出が知られている(岩佐、1962)。

久六島玄武岩(Kyurokushima Basalt)
 名称は福留ほか(1990)の久六島アルカリ玄武岩に由来する。模式地は深浦町久六島で、同島のみに分布する。

 本層はアルカリ玄武岩質自破砕溶岩並びに火砕岩類から成る。3.32MaのK−Ar年代が得られており、更に正帯磁していることから、ガウスクロンに対比される可能性が高い(幅留ほか、1990)。

 福留ほか(1990)は細粒凝灰岩より海棲珪藻を発見しているが、産状から陸上噴出の溶岩と解釈した。

ばっく