農民への祈り 【Fm】
+別名:耕すものへの祈り+

作詞
作曲
訳詞
ビクトル・ハラ
ビクトル・ハラ
林   光


起きあがれ 山を見てくれ
風と太陽と水の源(みなもと)
君は川の流れを変え
魂に羽ばたきの種を蒔いた
起きあがれ 耕す者よ 君の手を僕らに寄こせ
  ■一緒に行こう 血を分け合って
  ■今日を明日に変えるのは (Tempoアップ)
● ………ここから変調+Tempoそのまま………
奴らの手から僕らを 救い出せ
正義と平等の国を 作れ
  ■吹け野山を 嵐のように
  ■磨け我等を 火のように

この地上で君の仕事 実らせよ
力を貸せ僕らの 戦(いくさ)
  ■吹け野山を 嵐のように
  ■磨け我等を 火のように
● ………ここから変調+Tempoそのまま………
起きあがれ 君の手を見ろ
真っ直ぐ立ち 仲間の手を取れ
一緒に行こう 血を分け合って
  ■命投げ出す時は 今
  ■アーメン アーメン アーメン

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新おけら歌集(04/12/06) / リクエストおやきさん(04/12)
楽譜:ビーさん(05/05)

ビクトル・ハラ伝
●1938年ビクトル・ハラはチリ南部に生まれる
●チリ大学演劇学部に奨学生として合格。演劇と共に音楽にも熱中し、チリ大学合唱団に入り初めてギターを手にする。19才の時、フォーク界の中心人物、ビオレータ・パラと出会う。彼女は、ハラの才能を高く評価し音楽家の道を勧めた。


●1961年(21才)、キューバ革命。ゲバラ&カストロがハバナ入城。南米が揺れる。
大学卒業後、同大学の劇団に舞台監督として迎えられ、28才の時に年間最優秀演出家として各賞を受賞した。

●29才、初レコード『ビクトル・ハラ』を発売。この年ビオレータ・パラ自殺。ゲバラもボリビアで銃殺。彼はゲバラに曲を捧げた。
●1970年(32才)、9月、大統領選で人民連合のサルバドール・アジェンデが勝利。

●・33才。人民連合政権は、チリの主要産業を米企業から取り戻して国有化したり、その一方で教科書や教材を無料にして皆に教育の平等の機会を与え、ミルクの無料配給で乳児の死亡率を低くするなど、貧しい一般民衆の為の政策を次々と実施。そのため、それまで甘い汁を吸ってきた大企業、そして彼らと協力関係にあったアメリカは政権転覆を企みCIAの工作員を派遣、チリ陸軍のピノチェト将軍を援助してクーデター計画を進める一方、ハラたちの「新しい歌」運動に対する執拗なテロ行為を繰り返す。

●1973年(34才) 2月、総選挙が行なわれ、度重なる右翼テロに屈服することなく、人民連合はさらに議席を増やした。これは右派や米政府に、民主的な手続きによるアジェンデ政権打倒の困難さを認識させ、反乱計画が強化される。
6月、この1ヶ月だけで右派による放火、爆弾の投入れ、労働者と学生への銃撃など91件のテロがあり、サンチアゴでそれに対する百万人の抗議集会が開かれる。教会の大司教も集会を支持すると声明。

●8月、右翼が全国30ヵ所で鉄道を爆破。石油会社のパイプラインも破壊され、多くの工場が操業停止に。翌週、送電線が切断され首都全域が電力ストップ。チリ経済は崩壊状態へ。

●9月4日、再び百万人がアジェンデ政権支持デモ。
●9月7日、アジェンデは自分の政策の是非をあおぐ国民投票を9月11日に公示すると宣言。軍上層部は国民投票阻止の為、11日に蜂起することを極秘裏に決定。
●9月9日、米海軍艦隊が“訓練”という名目でサンチアゴの外港バルパライソに集結。


●9月11日、米国から約300億円の軍資金と数千名のCIA工作員という圧倒的支援を受けたピノチェト将軍が陸海空軍を率いてクーデターを起こす。最初にバルパライソを制圧し、一気にサンチアゴへ進軍する。
●大統領府は戦闘機のミサイル20発という猛爆撃を受けた。アジェンデ大統領は攻撃のさなかに国民へ別れの演説をした後、「民主主義は軍部に降伏しない」と言い残しピストル自殺を選ぶ。その日サンチアゴは快晴。しかしチリ国営放送は「サンチアゴには今雨が降っています」という声を流し続けていた。

●ハラは軍部に抵抗した7000人もの人々(国際赤十字推計)と共にスタジアムに閉じ込められた。やがて拷問や処刑が始まると、ハラは皆を励ますためギターをとり人民連合のテーマ曲『ベンセレーモス(勝利するぞ)』を歌って抵抗した。軍人たちは怒ってギターを取り上げた。
 「歌えるものなら歌ってみろ!」脅迫されたハラは今度は手拍子で歌い続けた。兵士は彼の両腕を折り、さらに指を銃の台尻でメチャメチャに打ち砕いた。ビクトル・ハラはそれでも立ち上がって歌おうとした。彼は銃剣で口元を切られ、雨のように機関銃の弾丸を撃ち込まれた。


▼ビクトル・ハラの亡骸を妻が発見した時(クーデター1週間後)の証言

●死体収容所は建物全部が死体であふれていて、事務所までも一杯だ。長い廊下、扉の前、床の上の死体の列。学生たちも死んでいた。
●そして無数の列の中ほどに、私は夫を見つけた。彼らは1週間でこんなにも変わり果てるような、どんなことを貴方にしたのか?眼は見開かれていた。頭部や顔面の皮膚の恐ろしい裂け目にもかかわらず、いまだに激しく果敢に抵抗しながら前を見つめているように思えた。
●彼の服はナイフか銃剣で切られたように引き裂かれ、下着はお尻のまわりにボロボロになってぶら下がっている。胸は最もひどく、穴だらけでパックリと傷口が開いていた。そして彼の手は…手首が異様な角度で、腕からぶら下がっていた。…それがビクトル、私の夫、私が愛した人であった。